『言説分析の可能性』を読んでみた。

難解をもって知られる『言説分析の可能性』を社会学の院生さんたちが読んでみたようです。 佐藤俊樹・友枝敏雄(2006)『言説分析の可能性―社会学的方法の迷宮から』(東信堂)  佐藤俊樹「閾のありか」pp.3-25.  遠藤知己「言説分析とその困難(改訂版)」pp.27-58. 続きを読む
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岡澤康浩 @okazawa_y

「全体性」の話は研究者が読者に対して自身の主張の正しさを示す論証過程において出現する問題である可能性を思いついたのでここにメモしておく。

2014-04-06 16:52:58
Kashima Takashi @oxyfunk

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2014-04-06 23:47:02
岡澤康浩 @okazawa_y

[メモ]行為の特定不可能性がエイリアン視点の導入ではなく、「アーカイブ」問題の導入によって引き起こされている可能性を検討すること

2014-04-08 10:18:16
Ken Kawamura @ken_kawamura

(断片にコメントするのも違うこと考えてる可能性があるのでアレですが)僕も「無限の連鎖からの切り出しの恣意性」と「根源的決定不全性」とかは、割と同じフォルダに入る気がしています。

2014-04-08 10:26:52
岡澤康浩 @okazawa_y

河村くんの以下のツイート(https://t.co/EykLHP2XzS)を見て考えたわけですが。

2014-04-08 23:16:30
岡澤康浩 @okazawa_y

この整理は河村くんがサールに対して行っていた批判と同型のものに見えます(河村賢(2013)「「ルールに従うこと」はいかにして記述さ れるか」『現代社会学理論研究』vol.7)。

2014-04-08 23:16:48
岡澤康浩 @okazawa_y

論文ではなぞのエイリアン視点を導入することで、根源的決定不可能性なるものが人工的に「 問題」としてつくりあげらていることを論じていたと思います。

2014-04-08 23:17:06
岡澤康浩 @okazawa_y

実家のwifiが不安定すぎますね。

2014-04-09 00:18:29
岡澤康浩 @okazawa_y

河村くんの当該ツイートのまとめでも研究者が研究対象のなかでひとびとが現におこなっている実践の切り出しを「なぜか」無視することで「どのように記述してもそれは恣意的なものにしかなりえない」という奇妙な不可能性の議論を作り上げていることを指摘しているように思えます。

2014-04-09 00:19:15
岡澤康浩 @okazawa_y

これを私なりに言い換えると以下のようになるかもしれません。理解可能性が文脈の中に埋め込まれている実践を、その当の文脈から引き抜いて見せることで理解可能性を失わせ意味の「決定不可能性」を出現させる。

2014-04-09 00:19:29
岡澤康浩 @okazawa_y

そして脱文脈化によって引き起こされた文脈の決定不可能性は「原理的には」その活動がそれによって理解されるべき文脈の可能性をを無限に拡大させる。

2014-04-09 00:19:31
岡澤康浩 @okazawa_y

研究者は無限の可能性の中から文脈を特定させないといけないが、それは研究者の恣意的な選択にならざるを得ない、だから研究者にできる最も誠実な対応はその特定が結局のところ恣意的なものとならざるをえないということを述べることとなる。

2014-04-09 00:19:43
岡澤康浩 @okazawa_y

この問題に対しては以下のような反論が予想されます。ここで述べられている決定不可能性なるものは当の文脈からの引き抜き、つまり脱文脈化という研究者の操作によって行われている。

2014-04-09 00:20:02
岡澤康浩 @okazawa_y

だが、そもそも研究者がこの脱文脈化を行うべき理由は存在せず、ゆえに研究者は素直にその理解可能性を当初の文脈に差し戻すべきである。

2014-04-09 00:20:04
岡澤康浩 @okazawa_y

河村くんの以下のツイート(https://t.co/LgpndE3xg8)はまさにそのことを指摘しているように見えます。

2014-04-09 00:20:11
岡澤康浩 @okazawa_y

これは私には正しく思えるのですが、一方でそうした疑問が「客観性の一段ずらし」的なテンプレ反論が用意されているらしいこと、また北田さんが河村2013をほめていたという事実を考えると、事態はもうすこし複雑な可能性があります。

2014-04-09 00:20:17
岡澤康浩 @okazawa_y

そこでぼくがいま考えているのが「アーカイブ」の問題です。この議論尾全体像がまるでよくわからないのですが、現段階では以下のように推測しています。

2014-04-09 00:21:05
岡澤康浩 @okazawa_y

北田さんなどの歴史的テクストを扱う言説分析が研究可能なテクストを発見するとき、それは研究可能な対象としてすでに再文脈化されてしまっている、という事態にこそ脱文脈化とその帰結としての決定不可能性問題の由来がおかれているのではないか。

2014-04-09 00:21:42
岡澤康浩 @okazawa_y

「なぜならこの考古学者[フーコーのこと(岡澤注)]がおびただしい発見をした図書館というものは、かつては宛先や」配布先指定の暗号や、機密度や、文書作成の技法などのちがいによってはっきりと性質の異なっていた文書をむりやり一ヶ所に集め、分類してしまうところだからである。」

2014-04-09 00:22:12
岡澤康浩 @okazawa_y

(Kittler1986:北田論文p61に引用されている)

2014-04-09 00:22:15
岡澤康浩 @okazawa_y

ただこの議論が北田さんの論文の後半部とどうつながるのかはわからないので五里霧中感があります。分析者がア・プリオリに定めた何かを研究対象に対して無理やり当てはめるのはよくない、程度の話であれば理解可能なのですが、実際にはもっと違うことがいわれている気がします。

2014-04-09 00:22:36
岡澤康浩 @okazawa_y

このあたりの(1)アーカイブ問題がなぜ決定不可能性に似た問題を引き起こすのか、(2)アーカイブ問題はそもそも正当な問いなのかあたりが気になっているので、その辺を注意しながら何週かしたいと思います。

2014-04-09 00:23:34
Kashima Takashi @oxyfunk

@okazawa_y 前半はそれなりに理解できたように思うのですが、「「アーカイブ」の問題」になってからが議論をうまく追えなかったので、続報を楽しみにしております。

2014-04-09 00:28:16
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