『言説分析の可能性』を読んでみた。
一方では研究者が社会の全体性を措定することを批判しつつ、他方で仮に目に見える実践をターゲットとする場合であってもその措定は不可避なのだと論じている。でも、後者はなんでそんなことが言えるのだろうか。
2014-04-06 03:27:50大雑把にまとめると、①研究者が記述を行う(論文を書く)ためには、対象となる実践の連なりを適切に切り出してくる必要がある②だがその実践の連なりは本来は無限の連鎖の中にある③そこで①の切り出し方が恣意的なものに陥らないためには、全体社会を措定する必要が出てくる、みたいな感じ?
2014-04-06 03:48:24それでファイナルアンサーで。RT @ken_kawamura ②で無限に訴える前に、人々がどういう風に切り分けてるかに着目してはどうか(提案)。
2014-04-06 03:52:21そもそも最初から何一つ理解していない可能性があって、他のやり方で述べられていることを理解できる可能性を探っているのですが、いまのところ良い手はうかんでいません。
2014-04-06 03:55:44それはかなり特殊な形で「理解」を定式化すればそういうことが言えるかもしれませんが、そんな特殊な仕方で「理解」を持ち出す必要性がよくわからないです。
2014-04-06 03:59:08@okazawa_y 僕もこれで終わりだとありがたいんだけど、どうもこれだけだと「客観性の一段ずらし」みたいなリプライが帰ってくるらしいので、さらに追い込んでいく必要がありますね。
2014-04-06 03:59:26つ「後は頼んだ」RT @ken_kawamura 僕もこれで終わりだとありがたいんだけど、どうもこれだけだと「客観性の一段ずらし」みたいなリプライが帰ってくるらしいので、さらに追い込んでいく必要がありますね。
2014-04-06 04:03:25「客観性の一段ずらし」って議論の転換前と転換後で同一の問題がのこっていることを示唆していますが、転換に伴って問題の性質そのものが変わっている可能性はないのでしょうか?
2014-04-06 04:04:42まあ、多分よくわからないのはこの辺でしょうね。今回はわたしが答えを出さなくても、なにがわからないかだけ述べればいいので気は楽ですが。
2014-04-06 04:06:33厳密には「無限」って使われてないけど「原理上きりがない」とか「果てしなく広がる言説の連鎖」あたりをこうパラフレーズしました。
2014-04-06 04:08:39素朴に言って、意味確定系のはなしは(意味確定という表現を誤解していなければ)まだひとびとの問題に見えるんですが、全体性はひとびとの問題に見えないんですよね。
2014-04-06 04:10:43「「これはメモです」って言えばtwitterで何言っても許されるという考えとは積極的に戦っていきたい」みたいなひとはどの程度いるのでしょうか?
2014-04-06 04:15:12