丹生谷貴志ツイートまとめ(2014年7月)

丹生谷貴志さんの2014年7月のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

前も書いたがヴァレリー『テスト氏』の末尾に突然現れる「ベルトとかいう女の腕」プレイアード版でも注はついていないからどうでもいい名なのか気になって仕方ない。フランス人が読むとどうなのか。「花子」とかいう感じか。或いはシャルルマーニュの母の名だから「慈母めいた」とかいう含みがあるのか

2014-07-22 15:01:01
nibuya @cbfn

渡辺哲夫さんは『祝祭性と狂気』で「生産労働の歴史」と「祝祭性の伝統」という対を本質的対立における交錯として提起する。同級生だったヘーゲルとヘルダーリンの交錯に比定し得るもの? 『精神現象学』と『エンペドクレスの基底』の衝突? シュトロープ・ユイレが『アンチゴーヌ』を撮った秘密?

2014-07-22 16:42:11
nibuya @cbfn

「0と1と∞」で世界は出来ているなんて言うとソーカルに茶々を入れられそうだがまあともかく「小説を読む」とは本来まずは「0」に窮迫し「1」と「∞」の微積波を経緯するということで、例えば「三日前から蚊帳をつるのをやめた。どうしたわけかそのころから蚊がいなくなった」こんな具合に始まる。

2014-07-23 02:18:34
nibuya @cbfn

まあまずは「疑似ゼロ」から始めるという手慣れたメロドラマの手法で「0」の膨脹の緩和=禁則を策略に持つ「書き方」が通俗設置されることで「小説のようなもの」の量産が可能になった。そういや小林秀雄『本居宣長』は宣長の墓の設計から始まる・・・重厚なライトノヴェルの手法・・・

2014-07-23 02:33:49
nibuya @cbfn

「おっかあ」の死というゼロにホタルに化した実体=幽霊という禁則をかけることで書き始められる小林秀雄のベルグソン論はその禁則の失敗によって未完に終わる。『本居宣長』はその失敗を・・・etc

2014-07-23 02:40:06
nibuya @cbfn

「おフランスはウンザリ、日本へ回帰」ってな投書。しかし「おドイツ」「おイギリス」「おアメリカ」とかは言わないのは語呂の問題でしょうか。まあ「日本へ回帰」も、多分小林秀雄でさえ「日本自体が〈異郷〉に見えた」という事態だということが重要でしょう。「還る日本」が現存する訳じゃない。

2014-07-24 10:11:51
nibuya @cbfn

夜、京都木屋町での「鈴木創士バンド」のライブ。授業帰りに神戸から京都はちょっと疲れたので感想はいずれ。疲れたと言っても、京都の交通の相変わらず変に殺気だった感じに神経疲れです。道路は御存知整然としているのに、何なんでしょう走る車のあの奇妙な無秩序感は。

2014-07-25 00:51:54
nibuya @cbfn

ついでに、京都市街はちょっとバイク停めると駐禁罰金なんで駐輪場に停めるのですが、大型バイク用があるだけ有り難いのですが、設計が悪くて入れるのにも出すのにも一苦労。盆地の蒸し暑さの中、バイク駐輪するだけで大汗憂鬱に襲われる。罰金は四輪なみなのに駐輪場の設計感覚の無神経はウンザリ。

2014-07-25 01:05:05
nibuya @cbfn

ライブでは言うまでもなくPAが重大なのだが、京都系のライブハウスの調整はバスドラ−ベースを強くする・・・これは基本なのだが京都はやや強過ぎる傾向があるんじゃないかと聞いた。ベースラインの重厚感は模範線だが逆に高音の、キーボードやギターの音が拡散してしまって聴き取りづらいのが難点か

2014-07-25 08:59:24
nibuya @cbfn

要は僕の位置からは肝心の鈴木創士のキーボードが聴き取りづらかったというひいき筋の贅沢ですが。ともかく相変わらず鈴木さんには得体の知れない広がりがあるのに感銘。一統を率いる、或いは同志を誘引する資質が完全に欠けている僕には想像を超えている。中島らもと並ぶと誘引の楕円だったんでしょう

2014-07-25 09:09:23
nibuya @cbfn

石川淳さんに「ロカビリー」のステージに興奮する場面があった。『荒魂』だったか・・・いや違うな。まあそれはともかく、あの「日本ロカビリー」の異常興奮には花田清輝も或る期待を抱いていたようだ。石川さん風に言えば「そのいき、そのいき、しっかり破裂しなさい」か。何だったんだろか、あれは。

2014-07-25 09:36:18
nibuya @cbfn

・・・何だったんだろうかあれは、って社会心理学的分析やらはいとも簡単に出来るだろうことは想像に難くないけれど、そんな文部・治安審議委員知識人めいた連中の分析なんてどうでもよくて、です。

2014-07-25 09:40:09
nibuya @cbfn

『構造と力』を一番真面目に読んだのは電通やら知識官僚待機の一群だった可能性、『共同幻想論』等々も要は次期知識官僚の愛読書でもあったろう。言説配置は遍在するので、正・反といった対立を描きはしない。僕は「思想系」の本について、それが知識官僚の想像上の机上にあるかどうかを推定して眺める

2014-07-25 10:29:12
nibuya @cbfn

サドの言説配置は当時形成されつつあったブルジョワジイ体制の「裏張り」でもあった。「だからこそ」彼の仕事は一種の近親憎悪を引き起こしたのだ。サドはそれを充分知っていて、執拗にそれを繰り出した。その結果彼は文字通り「手に負えないもの」、となった。

2014-07-25 10:41:50
nibuya @cbfn

宇井博士の論考は僕には歯が立たないので、東京で失くしたと思っていたのが研究室に埋もれていた上田義文『摂大乗論講義』、これも学問的だが比較的近づき易い秀著で追う。『摂大乗論』の現代語訳も研究室にあった。印哲・仏教系は専門家に失礼と思って半ば封印した本が部屋に結構ある。古いけど。

2014-07-26 22:36:19
nibuya @cbfn

別に仏教学やらに軌道変更する気はない。それじゃ専門家に無礼でしょう。単に、それをドゥルーズやらのスピノザ把握とかに互換性のあるパーツ、むしろ「銃弾」として「使えるか」がさしあたり僕には重要。因に龍樹は意外に古くからフランス訳が進んでいる。

2014-07-26 22:49:15
nibuya @cbfn

・・・松山俊太郎さんが今年の五月に亡くなったことを今頃になって知る。この驚異的な異形の碩学がさしあたりは著作らしい著作を僕らの手に入るかたちでは殆ど残していないことに・・・。本棚には『綺想礼讃』しかない。どこかに「蓮」についての小さな本もあったはず。無論、冥福などは言わない。

2014-07-26 23:18:41
nibuya @cbfn

『悪徳の栄え』の邦訳について澁澤さんの「編訳」は掘口−三島系譜の山の手言葉の優雅も含めて小説として完結で読み易いが、サドの本体ということならやはり全訳の佐藤訳を取るべきなのだろうと、今更ですがフォローしておきます。文字通り千ページの、飲むに難い過剰を耐えるのが本筋でしょうか。

2014-07-27 23:45:35
nibuya @cbfn

例えば冒頭のパンテモン修道院の場で澁澤訳ではデルベーヌの延々とした或る意味幼稚な無神論の説教がそっくり省略されていますが、これは渦を巻く様に次第次第に位相を拡張しながら偏執的な緻密さを増して行くサドの「力の原理論」の初発の運動を追うにはちょっとマズい省略かもしれません。

2014-07-27 23:55:04
nibuya @cbfn

湾岸戦争の勃発時或る知人が僕に「これでポストモダン思想も終わりですね」と言った。東北震災−原発損傷事件の時も別の者がそっくり同じ言葉を言った。正直僕には未だ彼らが何が言いたかったのか分からない。大体がポストモダン思想という言葉で彼らが何を意味しているのか僕には分からないのだ。

2014-07-29 01:54:13
nibuya @cbfn

或いは彼らは「ポストモダン思想」を「世界というフィクティヴな大問題に関わらない思考散逸のミニマリズム」みたいなことと理解しているのだろうと想像してもみるが、まあ、それ自体が「ナントカ思想」への彼らの勝手な思い込みに過ぎないから、僕は彼らの勝手な独り言を聞かされたということになる。

2014-07-29 01:59:52
nibuya @cbfn

何かちょっと「手に負えない現実問題」が起きると「思想」やら「哲学」、或いはそれを書いたり口にしたりする者、要は「口舌の徒」は「現実に対してお手上げになる」という如何にも通俗的なストーリーが彼らの頭に印字されているのかしらね。

2014-07-29 02:12:55
nibuya @cbfn

研究的テキスト・クリティックからはどうとでも言えようが、現時点でサドの『新ジュスティーヌ』『悪徳の栄え』”二部作”最終版の全訳は佐藤訳だけで、それだけでも壮挙とすべき。性的異常心理の興味から訳したという訳者”あとがき”が胡乱で遠ざけて来たのですが、労訳であることは確かです。

2014-07-29 17:24:39
nibuya @cbfn

プレイアード版サド全集が十五年ほど前に出て「大学研究レヴェルでのサド受容」も安定した、という話は何だかガッカリという面もあります。サドもついに18世紀思潮と文学史の中に整理され、どちらにしろ読者の少ない作家に留まるでしょうが、もはや「有罪」も「無罪」もない文書に鎮静するのでしょう

2014-07-29 17:33:23
nibuya @cbfn

別に奇麗事のつもりもなく、性的異常行動(!)一覧文書としてのサドはどうでもいいほど退屈なものにしか僕には見えないので、その面を強調してもサドを救うことにはならないでしょう。どのみちサドの「怪物たち」は『進撃の巨人』程にも殺さない訳ですし、その範囲では大人しいもんに見えますし。

2014-07-29 17:45:45