「デブ」の語源~出典をさらに遡った
学問でやってならぬ事3つ、筆頭は語源研究
@y_mizuno 金田一春彦先生が父京助に、学問でやってはいけない事が三つ、筆頭が語源研究で「たいていコジつけだ、学者仲間から相手にされない/『父京助を語る』」という事らしいので、そこそこにとどめておいた方が無難なのでしょうね。僕は『日国二』に語誌の無いものは諦めてますが。
2014-09-01 00:31:26この指摘を重要と分かった上で、もう少し遡る
>でっぷり<<副>> >助詞「と」を伴う。 >肥満したさま。 >でっくり。 >天明四年・角鶏卵 >「年の頃三十二三、でっぷりとふとり、大たぶさの丸わげ」 [講談社学術文庫 前田勇 編『江戸語の辞典』p675] @y_mizuno
2014-09-01 02:34:50>でっくり<<副>> >肥満したさま。 >でっぷり。 >助詞「と」を伴うこともある。 >天明四年・角鶏卵 >「おめへさんぐれいのせかっこうで、でっくりしたお方で御ざいます」 [講談社学術文庫 前田勇 編『江戸語の辞典』p674] @y_mizuno
2014-09-01 02:35:04『角鶏卵』は月亭可笑による洒落本ということらしく、天明四年は西暦で1784年、『見通三世相』(寛政八年1796)に先んじてますか。 @y_mizuno
2014-09-01 02:38:24@palomino3rd さん、すごいです^^ なお天明4年は1784年、『角鶏卵』(かくたまご)、著者は月亭可笑、出典としては ci.nii.ac.jp/ncid/BA31828117 >でっぷり<<副>> >助詞「と」を伴う。 >肥満したさま。 >でっくり。 >天明四年・角鶏卵
2014-09-02 11:37:57@palomino3rd (承前)また出典2:ci.nii.ac.jp/ncid/BA70006548 この本は正式には『甲驛妓譚角雞卵』、または『甲駅妓談角鶏卵』、読みは「コウエキ ギダン カクタマゴ」、というようです。これで擬態語でっぷり、または、でっくり→でぶでぶする→でぶ。
2014-09-02 11:42:46@palomino3rd だから(ここから推測ですが)江戸時代から明治までは擬態語として、でっぶり、とか、でぶでぶする、が言葉として存在(でもデブはなかった)。それで日本国語大辞典に繋がり、名詞「デブ」が出来たのは1919年(大正8)、里見弴(とん)の『今年竹』「渡風流水」から…
2014-09-02 12:06:51ここから先、頼りになったのは「JapanKnowledge」http://japanknowledge.com/library/
申し訳ないです。Wikipediaを見るのは私も同様(避けられない)ですが、あれは(著作者を確定しない限り)引用できない。なので私は「偏屈じいさん」として、それを指摘する人が一人くらいいてもよいと思.. togetter.com/li/713052#c159…
2014-09-02 12:51:33世界中に(おそらく)蔓延するコピペ文化(思わず文化と言ってしまった。悪いこととは思っていない剽窃行動。)はWikipediaがある限り、なくならないのではないか。もちろんWikipediaは原因でも何でもない。剽窃は昔からあった。だから逆に、コピペをなくすのは容易ではないと思う。
2014-09-02 13:15:12出典をさらに遡る
そうみたいですね。デジタル画像化もされていて、ここのどこかに出てくる^^ k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/mediaList.d… @palomino3rd 『角鶏卵』は月亭可笑による洒落本ということらしく、天明四年は西暦で1784年、『見通三世相』(寛政八年1796)に先んじてますか。
2014-09-02 12:23:41@palomino3rd 『角鶏卵』は『甲駅妓談角鶏卵』ですが、甲駅妓談の意味、駅妓とは何か…。江戸時代の宿駅制度(馬での交通通信制度、宿場町の発達を伴った)で、江戸時代のある時期から、宿場での休憩サービスをするようになりました。今の駅前のホテル街・○○街のような具合でしょうか?
2014-09-02 12:35:16訂正)思い出した。江戸時代の宿(しゅく)で食事等サービスをする女性を飯盛女と呼んだ。『国史大辞典』によれば「平安時代中期以降…社寺参詣が頻繁…沿道には常置の宿舎…糧や人馬の供給…また遊女」、「摂津の神崎河畔…遊女が群集する歓楽地」「宿に食売女(飯盛女)を置くことも助成」。
2014-09-02 22:52:52そうなんですよね。高校時代の教科書をちゃんと理解したら、相当行けますから^^ 今なら内容比較や参照も簡単。@harita_osu 戯作者「宿屋飯盛」は山川日本史に登場します。高校の頃純真に,平家に倣った筆名かと思い… < 江戸時代の宿(しゅく)で食事等サービスをする女性を飯盛女
2014-09-02 14:06:23@palomino3rd (宿駅制度の中の『甲駅妓談角鶏卵』、承前)絵でいうと、こんな感じ? k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/largeImage.… 食事とセットで「休憩」が行われていたらしい。「四角い卵」も「でっぷり」という言葉も、こんな中で生まれた言葉だと言われればそうかなと思いつつ。
2014-09-02 12:42:04ここで「好事家」の支援が…
@y_mizuno 柳道で客を引き込む遊女とか、いろんなパターンがあるそうで、それぞれ何と言ったか、三田村鳶漁の随筆にありましたが、うろ覚えで出てきません(^^; 鳶漁は子供の頃に母から幽霊と教わったらしいですが。矢場女もちょっとエッチな接待業で、露伴が好んでたとかありますね。
2014-09-02 13:18:00@murapyon71 江戸時代の戯作者で大田南畝が「安永年中(一七七二―八一)には『甲駅新話』『変通軽井茶話』など洒落本の佳作を仮号で書き、天明に入ると黄表紙にも筆を染めて、」とあって、例の洒落本、『甲駅妓談角鶏卵』、の背景にありそう。
2014-09-02 13:32:41@y_mizuno ありました。三田村鳶魚『江戸生活事典』【飯盛】【留女】では、幕府は当初、遊郭以外の娼婦を認めてなかったので、公娼と私娼の間のことを東海道の宿では飯盛女と言った。娼家と言えないので旅籠屋と言った、特に品川は飯盛の居ない普通の旅籠屋を平旅籠と言った。
2014-09-02 15:55:47@y_mizuno 万治三年、幕府が遊郭以外の遊女を認めてからは、一軒に飯盛二人、余った飯盛は陰見世と言って、表見世の裏の方に座らせた。旅人が通るのを、お泊まりなさいお泊まりなさいと客を引き留めるので留女とも。
2014-09-02 15:55:57