永遠の0 パクリ箇所リスト(他長編作品等盗作、事実誤認(要)確認リスト)

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end_NTak @end_NTak

んんー。そもそも例えば壬生義士伝みたいな新撰組ものも、先行作品からの流用設定も多いんだよね。新撰組の隊士の細かい事情ってそんな分かってなかったり食い違ってたりして、我々の抱いてるイメージはフィクションで書き継がれたものだったりね。togetter.com/li/754869

2014-12-08 10:50:08

それはそうですね・・・先生。

まとめ 百田尚樹先生、テレビ東京の「ありえへん世界」スタッフによる盗作行為に対して怒る! 朝日放送の有名番組「探偵!ナイトスクープ」で取材されたお店にスタッフが再び行ったところ、テレビ東京の「ありえへん世界」スタッフが後日取材に訪れ、同じネタをお店の店主に要求していたことが発覚。 それを聞いた主要スタッフである放送作家の百田尚樹先生が怒りのtweet。 98039 pv 777 88 users 81

テレビ番組はおびただしい数がある。偶然、同じものを取材することはあるだろう。「探偵!ナイトスクープ」でも、あったはずだ。しかし意図的な真似、盗作はひどい。それも構成もそっくりにして、演出もぱくるというのは、もう「モノづくり」をする資格がない。
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/84877518921928704
「探偵!ナイトスクープ」には絶対的なモットーがある。それは「嘘をつかない」「人を傷つけない」「人を笑いものにしない」ということだ。「笑い」よりも大事なものがある。そして常に「依頼者や協力者に、テレビに出てよかった、と思って帰ってもらいたい」と思って作っている。
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/85083741495640064
もう一つ常に心がけていることは「家族一緒に見られる番組にする」ということだ。親が子供と一緒に見られない番組にはしたくない。だから当然、エッチなネタは絶対にやらない! エロネタをやると数字は取れるが、それよりも大事なものを失う。その代わりウンコとかはいくらでもあり。
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/85083824437989376
小説やとくに殉愛はとても違いますね。別方針なんですか?

そこまで言わているので作品の情報を収集してみた

聖夜の贈り物(2007年太田出版)改題「輝く夜」(2010年講談社)はO.ヘンリーそのものとしか・・・

○元ネタははOヘンリーの賢者の贈り物、最後の一葉など
[感想文]
クリスマス・イブに関する短編集です。
O・ヘンリーの「最後の一葉」のような物語です。
それぞれの作品に感動します。お勧めです!
http://kenbooks.blog121.fc2.com/blog-entry-157.html
○人のことばかり考えていつも損をしている恵子は、この日もなけなしのお金を、ホームレスにめぐんでしまう。<ゼロ、殉愛、影法師、自己犠牲の賛美が百田の基本。だからゼロは戦争には反対でも正義のための自己犠牲は賛美する。ここが安倍に受ける。いい奴隷の道徳。
○ただし自己犠牲の裏には強烈な被害者意識と相手に対する徹底的な攻撃性があり、百田作品は自己犠牲という理屈で根拠のない被害者意識を肯定し、攻撃性まで賛美正当化している。

ボックス!(2008、太田出版)のプロットは松本大洋作漫画ピンポンをボクシングに置き換えたもの

面白いですね。でもラストは何かスカッとしなかった。
そのスカッとしない気持ちで冷静に考えると、ストーリー展開が漫画「ピンポン」のパクリです。
http://shibainterest.blogspot.jp/2009/04/blog-post_1213.html

ただ、これは『ROOKIES』というよりも、数年前に映画化された『ピンポン』とそっくりなシチュエーションで、ほとんど『ピンポン』のボクシング版と言ってもいい感じでした。原作は放送作家の百田尚樹が書いたベストセラー小説ということだけど、こんな盗作まがいのストーリーでベストセラーになるとは、いい商売しているなあと思いました。(笑)

だけど、『ピンポン』の場合は、卓球を取り上げた作品というのも珍しくて興味深かったんだけど、ボクシングを題材にした映画というのはこれまでにも沢山あって、しかも数々の名作も生まれているわけで、新鮮味もなければ、それらの作品ほどの感動もありませんでした。
http://ameblo.jp/caro88/entry-10566046938.html
http://www.ohtabooks.com/box/interview/2010/03/20210000.html
○ゴーストを使っているところ否定していない箇所
松田 だから、離れたところから見ていると 「この作家は同じ人なんだろうか?」って思われちゃいますよね(笑)。
百田 自分でも、ときどき「僕のホームタウンはどこにあるのかな?」って思うときがありますよ(笑)。
松田 100年後に誰かが調べると「百田尚樹は同じ名前だけど、 いろんな作家が描き分けてる"合同ペンネーム"じゃないか?」って言われそうですね。
百田 (笑)。だから自分でも不思議なくらい、どれも作品が違うなあと思いますね。
○結構コアなボクシングファンはニヤッとするところがあるんです。「これは、あの選手をモデルにしてるな」とか、実際にプロの名選手なんかもいっぱい出てきますから。
○一応オチまで見えてないと書けないので。
○鏑矢は私の中では70年代にいた、ライト級のロベルト・デュランというボクサー
○木樽のほうは、同じく70年代から80年代にかけて活躍したアレクシス・アルゲリョをイメージ
○ボクサーとしては、この3人に集約させて書いたところがあるんですけど、先輩部員たちがボクシングを始めた理由であるとか、ボクシングを続ける理由なんかについては、いろいろ取材して高校生を見たり、あるいは30年前の同僚や先輩の姿を思い出して書いた

風の中のマリア(2009.3 講談社)

○北欧神話が下敷き(マリア=Valkyrja )
○もうひとつはこの作品中でオオスズメバチにつけられた名前。
主人公のマリア、女王蜂のアストリッド、その他キルステン、ヒルダ、ヴェーヴァルト、アンネ=ゾフィー…などなど、大半がゲルマン系の名前。ここで連想してしまうのは、ワーグナー「ワルキューレ」の9人の姉妹たち。
http://bierfass.exblog.jp/19277034
○巻末補足資料に、やっぱりドーキンス博士の「利己的な遺伝子」
http://ameblo.jp/dg-hasi/entry-11089484041.html
○蜂の擬人化、しかもプロットを主客転倒させるという技を少し使っている。元ネタはつの丸、サバイビー。サバイビーはミツバチ視点、本作品はキイロオオスズメバチ視点
○ピンポンとこの作品は漫画の影響があるといえるので、百田ではない同じ人間が関与している。(この後の作品では見られないため)
○これまでパクリという気はないが、書いている人間もしくはグループががクラシックに詳しいと考えられる。
○クラシックジャーナルの連載にも関与している可能性があるため、このゴーストはずっと百田のかかわりがあるのかもしれない。

モンスター(2010.3,幻冬舎)は華麗なるギャッツピー?(真偽確認中)

これもやはり男性作家の思うところのヒロイン像ですのね~と。
「恋」の成就の変形パターンに集結させるなんて。
まるで「華麗なるギャツビー」整形美女版みたい。
http://blog.livedoor.jp/vivajiji/archives/52039080.html

長い長い自分探し、自己獲得の物語。読み始めてすぐ、このモチーフは昔読んだ「華麗なるギャツビー」と同じだと思った。(R・レッドフォードが微笑み、映画の洒落たタイトルロゴが入った表紙だったはず)ギャツビーは男の想いを純化したもの、モンスターは女の念を昇華したもの…。完璧なお膳立ての後、最後のステップは「待つ」姿勢なのも同じ。もっとエグい結末を想定していたが、百田はやはり美しく幕を引く。ギャツビーがギムレットを教えてくれたように、ここでも酔える美味い酒を奨めて欲しかった。
http://bookmeter.com/bl/4344018079?p=9

リング(黄金のバンタムを破った男)(2010.05 PHP研究所)はノンフィクションとされているのに致命的な事実誤認がある。

文章中に後楽園ホールに数万人の観衆とありましたが、
ホールには3000人位しか収容できません。
また、原田は後楽園では世界戦を行なっていませんよ。
http://www.amazon.co.jp/review/R3T1EXOJL05ID5/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4569679161

斎藤清作(元日本チャンピオン)についての記述で、物書きとして一番やってはいけないお粗末な間違いを犯している。
斎藤が同門のファイティング原田と新人王トーナメントで対戦することになるが、ジム側の意向で棄権させられた。おそらく、この出来事がのちに『がんばれ元気』の中のエピソードのヒントになったと思われると作者は書いている。おそらくというのが引っかかるが、それはそれでいい(なぜ、小山ゆうに確認しないのか、手抜きだなとは思うが)。
しかし、『がんばれ元気』では棄権を迫られたノボルは頑としてそれを聞き入れず、元気と対戦し立ったままKOされたと書いているのは明らかな間違いである。
まず、名前が違う。ノボルではなく皆川のぼる。
そして、のぼるは元気との試合を棄権している。立ったままKOされたのは、のちにジムを移籍し日本チャンピオンとなったのぼるが、元気を対戦相手として指名した試合でのことである。
自身の作品の中で、他者の作品の内容について語る際に、このような間違いを犯すことは、同じ物書きとして相手に対して非常に失礼なことである。作者および出版社には猛省を促したい。
http://www.amazon.co.jp/review/RYC0GVUSSO030/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4569779352

百田尚樹 @hyakutanaoki

8年前、初めての小説『永遠の0』を出した時、三つ決めたことがある。 ①同じジャンルの作品は書かない ②3作続けて重版しなかったら引退 ③10年は頑張る まあ今から思えば、肩に力が入りまくった馬鹿げた決意だが、とにかく意地で何とかやってきた。10年経ったら、また考えよう。

2014-03-31 05:39:52

こうやって振り返ると同じジャンルの作品を書いている気がしますね。

錨を上げよ(2010.11、講談社)唯一パクリがない作品

○理由は作者の自伝的要素が強いため
○この作品の評価は高くないが、これ以外の作品とのレベルの差がゴーストがいないと説明がつかない。百田を分析するためにのみ重要な本。
○講談社の小林氏のヨイショがキモイが原稿は存在しているようだ。
忘れられない「危険な書」
http://konoichi.kodansha.co.jp/1209/05.html
小林龍之
文芸図書第二出版部 48歳 男
 2010年8月1日から1年間、私は講談社労働組合の委員長を務めていました。任期中には、東日本大震災や野間佐和子社長の逝去という大きな出来事がありましたが、11月30日刊行の本作への関わりも、私にとって忘れられない記憶となっています。
 著者の百田尚樹さんから手書きの原稿コピーをお預かりしたのが、ちょうど8月1日でした。その後、所属部署の部長や他部署の同僚たちの助けもあって他社との争奪戦に勝ち、自社での刊行が決まったことは本当に幸いでした。
 約200枚の加筆を経て、出来上がった単行本は上下巻合計1200ページ、原稿枚数2400枚に及ぶ大作となりましたが、本作には当初から読む者を圧倒するパワーがみなぎっていました。
 初読時にまず驚嘆させられたのは、物語の吸引力と密度の濃さです。ご自身が公言されていることですが、本作は刊行より25年も前に百田さんが初めて書かれた小説がベースになっています。当初「作田又三の冒険」というタイトルだったその物語は、キャラクターやストーリー展開、そして細かいエピソードに至るまですべてが完成しており、そういう点での手入れはほとんど必要ありませんでした。デビュー作『永遠の0』やその後の諸作品でも発揮されている百田さんのストーリーテラーとしての力は、この時点で既に図抜けたものになっていたのです。
 当初の手書き原稿では改行が極端に少なく、原稿用紙何枚にもわたってすべての枡目に文字が埋まっていました。それでもどんどん読めてしまうところに百田さんの筆のマジックがあるのですが、そのままでは活字に組んだときにあまりにも各ページが真っ黒に見えてしまうので、改行を増やしていただきました。本がお手元にあれば開いてみてください。増やしてこれなのかと驚かれるかもしれません。
 ただ、私が驚いた密度の濃さとは、文字の量ではありません。物語の流れがどこまで行ってしまうのかという切迫感が、尋常ではないと感じたのです。第一章で主人公・作田又三がふらりと出かける単車の一人旅は、その一例です。まったく先が読めないここでの破天荒な道行きに私はテンションが上がってしまい、その興奮を伝える電話を夜、自宅から百田さんに掛けました。ですが、ここはまだまだ作品のさわりに過ぎず、まさに息継ぐ暇もない高密度の物語が、以降も全篇にぎっしり詰まっているのです。
「才能とは何か」「運命とは何か」「生きるとはいかなることなのか」──本書を通じて考えさせられることは、読む人によってそれぞれかもしれません。ベタを承知で言うならば、私にとってこれは「愛についての物語」でした。
 又三の恋愛に関係する女性は総勢20人近くも登場します。付き合いの濃淡はさまざまですが、彼女たちが彼の元を離れるたびに、私は又三と同化して傷つき、打ちひしがれました。上巻の中田百合子と小野田純果、下巻の依田聡子との別れが特にせつなかったことを告白しておきます。
 主人公は振られてばかり、みずからの短気や身勝手さが仇となって波瀾万丈の過酷な人生を歩んでいきますが、それでも本作が暗く、悲観的な小説にはならず、むしろ生きる勇気を与えてくれる物語になっているのは、人が前向きに生きる美しさが描かれているからだと思います。本書においては前向きどころか前のめりかもしれません。そこにも私は惚れています。
『錨を上げよ』は百田尚樹さんの自伝的小説というように紹介されることがあります。たしかに百田さんの人物像が投影されているところがあり、人生の舞台に重なる部分もあります。しかし、それらはすべて小説のために吟味された結果であり、当然ながら相当にフィクションが織り交ぜられているのです。たとえば主人公の家族構成はご本人とはまったく違いますし、作中で又三が訪れるある外国へは、実は著者は一度も行ったことがないのです。
 2011年に本作を第32回吉川英治文学新人賞候補にできたことは喜びでした。百田さんと二人で選考結果を待っていて、受賞できなかったのはとても残念でしたが、選考委員の浅田次郎さんより、選評で「これほど物語の推進力に満ちた長篇は類を見ない」「(長いとしても)省く部分が見当たらなかった」と推していただけて救われました。続く本屋大賞では4位を獲得しました。1位ではないとしても誠にありがたいことです。
 こうして評価してくださる方がいらっしゃる一方で、強い否定的感想を持たれる読者もおられました。プラスマイナスの評価が極端に分かれる作品だという話を百田さんとしていて、その後の新しい帯には「絶賛か酷評か」「熱狂か断罪か」というコピーを付けさせていただきました。
 未読の方は勇気をもって挑んでください。「貴方はどう生きるのか?」読む者の人生を問い直す、これは実に危険な書です。
(2012.09.15)

百田尚樹 @hyakutanaoki

前に、「ぼくの作品は全方位的に集中砲火を浴びている(涙)」と言ったが、よく考えたら、僕自身が全方位的に弾を打ちまくってるやん。作田又三と一緒やんけ(涙)。

2013-09-27 20:05:36

プリズム(2011.11 幻冬舎)は24人のダニエル キイス, Daniel Keyesの24人のビリー・ミリガン(病気解説+不倫)一応巻末には上がっているようだが・・・

多重人格の本。この本は妹がもっていたものを読んでみたのですが。
あまりにも内容が、ビリー・ミリガンすぎて、吹き出しそうになりました…

多重人格として出てくるキャラクターを見るたび
「ぁあ、あのキャラクターのポジションがこの人格ね」
と思えるくらいでした…
パクリすぎではないかと思います。

こちらの本を読むよりも、是非、ダニエル・キイスさんの
24人のビリー・ミリガンを読むことを勧めます。

そして、こちらを既に読まれている方にもです。
そうすれば、この本の「面白さ」が分かると思います。
本当に、吹き出しそうになるくらい。真似っ子作品です。
http://www.amazon.co.jp/review/R1P7SDYDFGYOV5/ref=cm_cr_pr_perm?ie=UTF8&ASIN=4344020642

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