ケンペイ天狗「ブラックジャケット・アンド・サイバーサングラス」

アナ・イゴール @KNPITNG

「提督、どうしたにゃ？酷い顔色にゃ」多摩が振り向き心配そうに提督の顔を覗き込んだ。「クソ提督！有能なわけでもないのに無理するからよ！」その隣では頬を膨らませた曙が、横目で提督の体調を慮っている。「大丈夫だ。酷い命令が上から出ていてな」提督は苦笑しながら応える。02 #ケンペイ天狗

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「戦況が苦しくても、提督ならなんとかなるにゃ、多摩もいるにゃ」「アタシもいるわよ。不本意だけど」ああ、ありがとう。提督はそう答えようとして、声がでない自分に気がついた。そもそも、ここはどこだろうか。自分は誰か。思い出そうとしても砕けたガラスのように欠けていく。03 #ケンペイ天狗

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提督は自身の手を見た。病的な青白い肌。多摩、曙。呼びかけようと口を開くと血鉄の味が口内を満たす。気づくと彼はアイアンボトムサウンドの暗い海の只中に立っていた。多摩の姿も、曙の姿も、もはや無い。彼女達は大本営により捨て艦に使われた。それだけが彼に残された記憶だ。04 #ケンペイ天狗

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酷い喪失感と深い復讐の憎悪が、かつて提督と呼ばれた深海棲艦の胸を灼いた。彼には最早何も無かった。人間の身体も、艦娘達との記憶すらも。ただ壊れた記憶の欠片が憎悪を呼び、目に映るもの全てを殺すように命じている。身を灼かれるような痛みに、深海棲艦は呻いた。 05 #ケンペイ天狗

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「多摩」深海棲艦は呻くように呼びかけた。「お前と一緒にいたい。たとえどんな形でも」答えは無い。だが、提督の目には一人の艦娘の姿が映っていた。「多摩」何も言わず微笑む艦娘。それは彼の狂気が見せた幻に過ぎない。だが、それは深海棲艦に残された唯一の人間性となった。 06 #ケンペイ天狗

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深海棲艦は、ケンペイ天狗となった。 07 #ケンペイ天狗

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―――――― 08 #ケンペイ天狗

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夜空からは再び赤い雪が降り始めた。 09 #ケンペイ天狗

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曙は雪の上に傷ついた膝をつき、殺戮者の背中を見上げた。自分を翔鶴から守るように立つ禍々しい背中。昼の弱々しい姿からは想像できない、復讐と憎悪の化身と化した殺戮者。「クソ、赤眼……なの……？」 10 #ケンペイ天狗

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「曙＝サン。感謝する」死神は曙に背を向けたまま言った。「共に暮らそうという誘い、嬉しかった」擦り切れ血で赤黒く穢れた第二種軍装、死人めいて青白い肌、そしてそこに隆起する、禍々しい赤黒い血管。その様はまさに深海棲艦そのもの。「だが私は殺す。ブラック提督を。殺す」11 #ケンペイ天狗

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「ドーモ。ヨンダ＝少将。ケンペイ天狗です」死神は威圧的に繰り返した。「アイサツも出来ぬか。観念してハイクを詠め」「ドーモ、ケンペイ天狗＝サン。ヨンダ＝少将です……」ヨンダは苦々しげにオジギを返す。海戦にアイサツは必須。教育勅語にもそうある。「羽虫め。大法螺を」12 #ケンペイ天狗

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「ドーモ、ケンペイ天狗＝サン。翔鶴です」続く翔鶴のオジギ終了からコンマ３秒、艦娘と深海棲艦は同時に地を蹴った。「イヤーッ！」「イヤーッ！」大きく後ろに跳び艦載機を周囲に旋回させる翔鶴に対し、ケンペイ天狗は一気に夜戦距離に詰め寄らんとそれを超える速度で跳ぶ！ 13 #ケンペイ天狗

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「イヤーッ！」ケンペイ天狗の断頭チョップを翔鶴は身を伏して紙一重で回避。銀髪が幾筋か断たれ宙を舞う赤い雪に紛れる。「イヤーッ！」追撃のチョップを構えたケンペイを急降下してきた流星の雷撃が襲う。ケンペイは大きく後ろに跳び、地面に落着した魚雷は火柱を巻き起こす！ 14 #ケンペイ天狗

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夜を燃す炎に銀髪を焦がしながら翔鶴は弓に矢をつがえる。６０を超える艦載機が翔鶴を中心に戦場全体を竜巻めいて旋回。「第一次、第二次攻撃隊、編隊よし」これはオールレンジ攻撃、戦艦を過去の遺物とした空母カラテの真髄！「全機、突撃！」矢を放つ！更に１０の艦載機が発艦！15 #ケンペイ天狗

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「イヤーッ！」全方位から襲い来る零戦！彗星！流星！遠距離武器の無いケンペイ天狗は地を穿つ機銃弾の雨の中を身を低くして走りだした。「イヤーッ！」そのまま燃える廃兵院の壁を蹴り、反動で宙に回転跳躍！一瞬後、狙いすまされた彗星の爆撃が地上を爆炎で覆う！ 16 #ケンペイ天狗

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「イヤーッ！」「イヤーッ！」やはり最大の危険は爆撃機か！宙に踊ったケンペイは二の腕を零戦の機銃弾が掠めるのも気にせず、飛行中の彗星３機をチョップで破壊！しかし翔鶴は死神の着地点を狙い追撃の流星を放つ！「イヤーッ！」ナムサン！避けられるタイミングではない！ 17 #ケンペイ天狗

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だが瞬間、死神の目が赤く光る！「五十鈴！」彼は艦娘の名を呼んだ。翔鶴は目を見開いた。当然そんな艦娘はこの場にはいない。だが呼び声に応えるかのように死神の肩口に赤黒い血管が隆起、それは歪に捩り絡み合い深海棲艦めいた対空砲の形を成す！「イヤーッ！」流星撃墜！ 18 #ケンペイ天狗

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ゴウランガ！これはいかなる現象か！？「いいぞ五十鈴！」ケンペイは着地、そのまま空中の艦載機達に向け第二射を構える！「対空砲！注意して！」一瞬の焦り、翔鶴は周囲に艦載機を引き戻す。だが、「イヤーッ！」その隙を狙いケンペイは翔鶴へと跳ぶ！「曙！」駆逐艦めいた加速！19 #ケンペイ天狗

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「な！？」翔鶴は十機の零戦で弾幕を作るが、「陸奥！」ケンペイの深海棲艦艤装が弾く！距離は既に夜戦距離！「イヤーッ！」死神の右拳を翔鶴は左腕で受ける！空母は近距離では脆い、鈍い痛みに顔を歪めつつ翔鶴は回し蹴りで反撃！「イヤーッ！」ケンペイは後方バク転回避！ 20 #ケンペイ天狗

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僅かな距離を空けて死神と翔鶴が睨み合う。夜空から降る赤い雪が、廃兵院を包む炎で溶け消える。街から遠く聞こえてくる無機質なジングルベルが一瞬の静寂を埋めた。死神が硫黄の蒸気をオメーンの呼吸孔から吐き出す。身体を覆う赤黒い深海棲艦艤装が心臓めいて鼓動する。 21 #ケンペイ天狗

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「その力は、なんだ」ヨンダは震える声で死神を指した。「お前の中に何人いる」「霧島」ケンペイ天狗は答えず、再び新たな艦娘の名を呼んだ。青白い右腕に赤黒い血管が集まり、捩じり合い、一際巨大な艤装を成す。１６インチ連装主砲。「提督、下がってください」翔鶴が構える。 22 #ケンペイ天狗

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「お客さん……」ヨンダに背中を踏みつけられながら、スズキが這いずった。「お客さん、やっぱり提督だったんだな」壊れたサングラスの下で笑う。ケンペイ天狗は答えない。曙は再びケンペイ天狗を見上げた。「クソ赤眼……」 23 #ケンペイ天狗

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「すまない、曙」「……」死神が放った言葉は、自分へ向けた言葉ではない。彼の声は、彼にしか見えない誰かに向けられている。曙はそれを直感的に感じた。「すまない、霧島」続けて男は低く、しかしよく通る声で別の名を呼んだ。 24 #ケンペイ天狗

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「すまない電、すまない雷、すまない、陸奥」男の声は細い記憶の道を辿るように艦娘達の名を呼び続け、その度に目の赤黒い炎が力を増す。気を抜けばすぐさま全てを敵として叫びだしそうな憎悪の矛先を、狂気が見せる艦娘の幻が統御する。 25 #ケンペイ天狗

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「那珂、五十鈴、球磨、由良、168、最上」もし、狂気が無ければ深海棲艦に飲まれ無差別な殺戮に走っていただろう。「摩耶、陽炎、満潮、古鷹、天津風、白雪、菊月」もし、憎悪が無ければ心が壊れ、ただ過去の幻に生きる廃人になっていただろう。「すまない―――」 26 #ケンペイ天狗