福永光司著作Bot

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fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 10-2 彼(寇謙之)は北魏の明元帝の神瑞2年(415)、嵩山(すうざん)の頂上で太上老君から「我が新科の誡を述べて道教を清め整え、三張の偽法を除去せよ‥‥」という神勅を受け、→

2014-12-29 21:12:37
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-10  陸修静から陶弘景に至る南天師道の道教に対して北朝における北天師道の道教を確立するのは、*北魏の道士寇謙之(365?~448)である。→

2014-12-29 21:10:22
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 9-3 この『真誥』の著者(陶弘景)が洞真部を輔ける太玄部の代表的道教文献とされているのもこのために他ならない。 <「道教思想史研究覚書(メモ)‥自ら学習する人のために‥」『道教と日本思想』福永光司著(1985年・徳間書店)>…p237〜9 →

2014-12-29 20:42:12
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 9-2 彼(陶弘景)の編纂になる道教の神学奥義書『真誥』7篇がよくその成果を代表するが、それを読むと『荘子』の「真」の哲学とともに『妙法蓮華経』をはじめ、漢訳仏典に基づく中国仏教の教理学を積極的に取り入れている点が彼の道教神学の大きな特徴であり、→

2014-12-29 20:38:41
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-9 陸修静が確立して南天師道の道教は南斉の道士・顧歓(420~438)らを経て梁の陶弘景(456~536)に引き継がれる。江南の茅山(江蘇省)に拠点を置いた陶弘景は、特に道教の神学教理の面における整備と強化とに勤めた。→

2014-12-29 20:35:25
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 8-3 (*南朝では廬山の道士陸修静が現存の道教文献のすべてを「三洞」に整理分類し)→ 南朝の皇帝貴戚の熱い信仰をも受けるに至っている。

2014-12-29 20:33:30
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 8-2 南朝では廬山の道士陸修静(406~477)が、上述の「三張」・「二葛」の道教を祖述敷衍して南天師道の道教を確立、当時、現存の道教文献のすべてを「三洞」に整理分類するとともに新しく道教の神学教理、宗教儀礼(最小儀範)などを整備、→

2014-12-29 20:27:41
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-8 いわゆる「二葛」すなわち葛玄とその従孫の葛洪とは江南(江蘇省句容)の出身者であり、葛洪の晩年には中国全土は政治的に二分されて南朝と北朝との対立となり、その中で道教も変わっていく。→

2014-12-29 20:25:46
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 7-2 『荘子』の「斉物」哲学に対しては厳しい批判の態度を取っていること、また仏教に対して積極的な需要の姿勢を見せていないことなど、次の陶弘景とは大きく異なる点であり、この時期の江南の道教思想を考える上で注目される。

2014-12-29 20:23:00
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-7 葛玄及び葛洪が思想的に密接な関連を持つ洞玄霊宝の道教神学については、ここであまり詳しく触れる余裕はないが、*葛洪が『老子』の「玄」の哲学を最大限に重んじながら→

2014-12-29 20:22:03
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 6-3 その錬金術を基盤的に継承し、広く戦国以来の神仙方術の思想信仰、道教の神学教理ないし思想哲学の基礎を確立したのは句容(江蘇省)の葛玄の従孫、西晋末期の葛洪・抱朴子(283~343)である。

2014-12-29 20:18:14
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 6-2 理論書としては呉(江蘇省)の魏伯陽の『周易参同契』が書かれている。この書は中国古代の錬金術を『易』(周易』)と『老子』の形而上学で理論化したものであるが、→

2014-12-29 20:13:15
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥学習する人のために」-6 張魯の五斗米道の教えや張角の太平道の教えが興った後漢の時代にはまた『史記』(封禅書)にいわゆる「丹沙は化して黄金となすべし」という錬金術(黄白の術)が、益寿延年の神仙信仰もしくは医療薬術と関連して理論と実験の面で新しい展開を見せた→

2014-12-29 20:11:17
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 6-3 ちなみに、五斗米道(天師道)の張魯の教団で幹部教育用に用いられたとされている『老子想爾注』の内容もまた干吉の神書の影響を強く受けており、その呪術宗教的傾斜を『老子道徳経』の解釈の中に大幅に持ち込んでいる。

2014-12-29 20:06:54
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 6-2 なお干吉の神書には「天師」の語とともに「神」もしくは宗教の真理を意味する「神道」の語もまた多く用いられており、この後は『易』のそれが自然哲学的傾斜を強く持つのに対して呪術宗教的傾斜を強く持つ。→

2014-12-29 20:04:53
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-6 「天師」とは、天のごとく偉大な宗師を意味して『荘子』(徐無鬼篇)に見えている語である。干吉の神書『太平清領書』(『太平経』)にも多く用いられているが、張陵もまた教団の最高指導者としてこの「天師」の称号を用いたと言われる。→

2014-12-29 20:02:24
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 5-3 (張陵の太平道の教えは‥)孫の張魯と受け継がれた五斗米道の教えと合流して天師道の教えと呼ばれた(張陵、張衡、張魯を「三張」と呼び、初期の天師道の教えをまた「三張道教」ともいう)。

2014-12-29 19:58:58
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 5-2 この神書(*『太平清領書」)170巻(*に説く道術に基づいて後漢の末期、霊帝(167~189在位)の時代に黄巾の乱の首謀者となった鉅鹿(河北省)出身の張角は太平道の教えを説き、この教えは後に上記の張陵から子の張衡、→

2014-12-29 19:56:24
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-5 張陵が五斗米道の教えを創めたのと同じ後漢の頃、瑯邪(山東省)の道術者宮崇(きゅうすう)は、師の干吉が海州(江蘇省*東海県の曲陽泉で得たという神書(『太平清領書」)170巻を朝廷に献上したが、→

2014-12-29 19:49:04
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 4-3 (「正一」の語は『老子』の「一を得て天下の貞<正>と為る」に、また「盟威」の語は儒教の経典『尚書』の「天の盟威』に基づく)。

2014-12-29 19:43:43
fukuebisu @fukuebisu_tao

4-2 蜀の成都(四川省)近くの鵠鳴山(こくめいざん)‥『道蔵』洞神部に収載する『正一法文天師教戒科経』によれば、同じく臨㓛の赤石城‥の上で張陵に垂訓した教誡(「正一盟威の道」の教)に基づくと言われる→

2014-12-29 19:42:33
fukuebisu @fukuebisu_tao

「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-4 五斗米道とは信者になった人々が5斗の米穀を供出するので、この名があるといわれるが、教えの中核をなすものは殷周以来の伝統的な巫術(鬼道)であり、この教えは順帝の漢安元年(142)、太上老君すなわち神格化された哲人の老子(老聃)が→

2014-12-29 19:38:09
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 3-3‥2世紀の半ば、後漢の順帝(125~144)在位時代、熱烈な神仙不死の信仰者でもあった漢の高祖劉邦と同郷の道術者・張陵(張道陵)によって‥→五斗米道の教えとして創始された。

2014-12-29 19:33:51
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 3-2神仙不死の信仰と各種の道術およびそれらと密接な関連を持つ医学薬学の理論と現実的実践などに持ち、2世紀の半ば、後漢の順帝(125~144)在位時代、熱烈な神仙不死の信仰者でもあった漢の高祖劉邦と同郷の道術者・張陵(張道陵)によって→

2014-12-29 19:31:48
fukuebisu @fukuebisu_tao

@fukuebisu_tao 「道教思想史研究覚書‥自ら学習する人のために」-3 中国における民族宗教としての道教は、その源流と成立基盤とを中国古代の巫術(鬼道)および墨家が『詩経』・『書経』などを典拠として強調する上帝鬼神の思想信仰、さらには秦漢時代の災異祥瑞の思想信仰、→

2014-12-29 19:26:20
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