ゲームデザイン討論会 第九回
#game_dsgn 「占い」と「博打」は、ゲームの起源と呼べるのではないかと思います。
2015-02-11 22:49:22いきなりすごいテーマきた。ゲームの起源ですか… 僕は歴史的知識はありませんが、たぶん狩猟にまつわる訓練から始まって今のスポーツ競技につながる流れと、決まった手順を踏むことで非日常を呼ぶ儀式の2系統から始まるんじゃないでしょうか。 #game_dsgn
2015-02-11 22:50:09#game_dsgn ここは堅苦しい場ではありませんので、むしろ「ゲームの起源」について、先生方の予想とか、勘だけどこう思っている、という形でお願いいたします。
2015-02-11 22:50:21#game_dsgn 学術的考察ではないと思いますが、 @Drosselmeyers_ さんがポッドキャストで「古代人がは『占いの要素がないとゲームとは言えないだろ』」と若者を揶揄」という旨の発言をしていました。素晴らしい想像力であるのと同時に真実味を感じます。
2015-02-11 22:54:31#game_dsgn 「狩猟」「占い」「儀式」「博打」「スポーツ」いろいろな起源の意見が聴かれました。とても面白いです。現代でいう「ゲーム」はいろんなものが合流した概念なので、それぞれを起源とする流れがあるに違いありません。その一つ一つの流れを研究して分類するのも学問の役割ですね
2015-02-11 22:55:56敢えて言うなら、人間存在は遊びと共にあった、と言えると思います。宗教とか文化とか言うような単語自体が、中世以降の枠組みの中に位置づけられるので、どこからがゲームかというのは、パラダイム次第と思います。#game_dsgn
2015-02-11 22:56:03@hourei さんの言う「占い」が先のツイートでの後者の系統ですね。博打は最低でも交換経済を前提にしないと成立しなそうだから、だいぶ後の時代になりそうな気がしますがどうなんでしょう? #game_dsgn
2015-02-11 22:56:09@miyayou 神や天の意志を何らかの方法で知るというのは、サイコロやタロットよりもずっと以前からランダム性をもつ道具で行われており、それがゲーム(勝敗がつくもの)と親和性が高いように思われます。#game_dsgn
2015-02-11 22:57:01#game_dsgn 二つ目の質問です。では、そういったゲームは消滅することなく、延々と何千年も伝承されて来ました。このゲームの発展と持続を支えて来た原動力はなんでしょうか? @kusabazyun @hourei @Drosselmeyers_
2015-02-11 22:57:27#game_dsgn ゲームがどの時代にもあった、ということは、それが人間の存在と深く結びついた必要なものであるからだと思います。それは人間の根源となんらかの形で繋がっている。
2015-02-11 23:00:44#game_dsgn 「神を試してはいけない」一神教の世界では早い時期に占いは途絶えたということはないのでしょうか。そういった信仰のある世界は、とても広いです。
2015-02-11 23:00:45#game_dsgn もちろん、俺はゲームなんかしないよ、という人もいます。しかし、大局的に見れば、どの時代にも、ゲームはずっと人類の中でプレイされて来た。この原動力となっているものは何なのか?
2015-02-11 23:01:49@miyayou スポーツにせよ、儀式にせよ、ポイントは「模擬性」ではないですか?ゲームとは偽物であり、遊び(おもちゃ)であり、気晴らし、非日常であって、ゲームに実質性を期待したら、それは仕事でしょうし。#game_dsgn
2015-02-11 23:01:50@miyayou #game_dsgn 「快楽」とか「人間の本能」、進化の過程で人間が獲得し、人間を人間たらしめてきたものではないかと思います。>原動力
2015-02-11 23:03:04飛鳥時代に「双六禁断」という法令が出ています。しかし、それ以来千年余り盤双六は遊び継がれてきました。現在では盤双六は廃れましたが、同系のバックギャモンは遊ばれています。その原動力を敢えて一言で言うなら、それは「判断の楽しみ」であると私は思います。#game_dsgn
2015-02-11 23:04:02#game_dsgn 少しとがった見方をするなら、社会においてゲームと言う存在は常に必要だった。もちろん、俺の村にはゲームなんてなかった、という村があってもいい。でも、とにかく大局的に見れば、ゲームは人類の社会の中で一定の役割を果たして来ました。そして、それは今もそうなはずです。
2015-02-11 23:04:21#game_dsgn 生存する上で必要・本質的でないことをあえて希求し続けてきた結果、人類はかくも多様になり、さまざまな環境に適応してきました。そこにゲームをすると快楽が生まれる下地があるのではないでしょうか。それにしても話デカすぎですが。
2015-02-11 23:10:46@miyayou ゲームは「(特に若者の)エネルギーの発散先」として有効だったと思います。ただ、微妙に現在の日本では、破壊・爆発的なゲームらしいゲームよりも、ライトな創作の方が優位に立っている気もします(印象論)。#game_dsgn
2015-02-11 23:10:58僕もゲームを形成してきた原動力は人間の本能、欲望、衝動そのものだと思います。ただ、例えば実際に食べ物や財を獲得して満足を得るのではなく、それと同じようなプロセスを経ることで脳に擬似的な満足を与える手法がゲームです。 #game_dsgn
2015-02-11 23:11:29@nekotoku @miyayou 人生はいわば判断の連続です。ネコトクさんの「模擬性」は、つまりモデルということと思います。ゲームは人生の一部を切り取り、モデルとして扱ってそこに自らの判断を試してみることができる、ここにゲームの原初的な役割があるのです。#game_dsgn
2015-02-11 23:12:08#game_dsgn 話がずれますが、3月の公開討論会のテーマは「奥野の百年、ゲームデザインの千年」となっております。デザイン=特定の故人またはグループによる意図的な創造や改変というのは、1000年も遡れるのかなあというのが、このテーマを頂いたときに最初に思ったことです。
2015-02-11 23:14:17@kusabazyun @miyayou 「訓練」としてのゲームですね。吉田戦車さんの「やらなくてもいいゲーム」が欲しいというのは、思考停止して惰性で動いていた戦後のポストモダン資本主義社会の象徴かもしれませんね。#game_dsgn
2015-02-11 23:17:06