@Butayama3 @buvery 変な組み合わせですが、フーコーと谷崎潤一郎(の「陰翳礼讃」)は、世界中の建築学科の学生が半ば無理やり読まされてるんではないかと思います。笑
2015-02-23 20:22:06@Butayama3 @buvery 特に両者の間に関係はないんですけど、フーコーは空間の政治性とか、権力などの関係性の構造の再生に建築/空間が如何に寄与するかとか、そんな感じで、谷崎は光と影みたいな物質性のないものと建築/空間の関係性とか、そんな感じで読まされます
2015-02-23 20:28:31監獄の中央に立つ監視塔(パノプティコン)が権力なんだ、という話ですね。RT @mariemot: @Butayama3 フーコーは空間の政治性とか、権力などの関係性の構造の再生に建築/空間が如何に寄与するかとか
2015-02-23 20:50:11@buvery @Butayama3 そうです!あと、ユートピア/ヘテロトピアとか。考えれば考えるほど難しすぎてよく分かんないんですけど。笑
2015-02-23 20:54:38先程の建築とフーコー、建築と谷崎の話、どちらも物質としての建築/あるいはその隙間としての空間と、非物質的なもの、権力とか陰影とかの間の関係性を考察するっていう点では繋げられないこともないかな…
2015-02-23 21:37:15そしてryoko先生。小児科のお医者様です。
全く異なる分野の方からお話を伺えるのもツイッターの面白さ。
@Butayama3 たとえば法律の知識で警察や検察や弁護士とそうでない人、とかも同じね。で、そういう場面を想定する限りでは「知識の専有が権力関係を生み出す」というのは当たっているし、現状の建設的批判にもなりえた(だから広く受容された)のだと考えています。
2015-02-23 20:16:39@Butayama3 専有は無理でも偏在はあるよね。で、ある集団に知識が偏在していたら(例・医学知識は医者を含む医療関係者に偏在している)、そこに「知っている者が知っていない者に一方的に指示する・場合によっては強制する・社会もそれを容認する」という権力関係が生じうる。
2015-02-23 20:14:57@Butayama3 フーコーは監獄とか精神病院とかをとりあげて論じたわけで、当時(日本でフーコーが広く受容されたころ)は実際に精神病院の強制性・閉鎖性とかが(世界標準に比べても)社会的に問題になってたというのもあって。
2015-02-23 20:19:54@Butayama3 まあでもフーコーってけっこういろんな人が好きなように解釈して引用してるんじゃないかという気がしないでもない。マルクスとかと同じで
2015-02-23 20:22:12@Butayama3 「知は力なり」ていうのは「知」は時の権力の理不尽にも抗しうるという意味合いだったけど、巨大科学技術の発展に伴って「権力としての力」になってるのでは、という反省もあったんだと思う。象徴的には核兵器、あと原発や先端医療や、一般人の理解を置き去りにしてないかという
2015-02-23 20:36:42@Butayama3 ただ実際に原発事故が起きて「一般人の理解を置き去りにしていた」部分があからさまになったときに、じゃあどうするか、ということの答えはそこからは出てこないんだなあというのが今のところの私の感想ですが
2015-02-23 20:39:40@Butayama3 あ、でもこれはあくまで私の解釈であってフーコーを隅から隅まで読んでる哲学者の人ではないので。どっちかというと私の周辺でのフーコー受容がそう見えた、ということでしかないです
2015-02-23 20:42:54わかったようなわからんような・・・。
皆さん、 buvery先生の無茶ぶりに答えてくださってありがとうございました(笑)。