- Bay_yamashiro
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ベイ山城が往年の名選手を紹介する謎企画、第四回は南海ホークスでパ・リーグの初代セーブ王、最優秀防御率を獲得し、晩年は大洋ホエールズでも活躍したこの投手を紹介いたします。 pic.twitter.com/y1EmPf5ggp
2015-03-01 21:02:56『ノーワインドアップのパ・リーグ初代セーブ王』佐藤道郎 小話 pic.twitter.com/aGaXurs3I6
2015-03-01 21:03:46横浜から埼玉を結ぶ東急電鉄。都市圏の中心的交通機関として今日も多くの乗客を乗せ運行しています。 自由が丘駅からほど近い学芸大学駅にはかつてプロ野球選手だったマスターがいる会員制のスナックがあります。
2015-03-01 21:05:46スナックの名前は『野球小僧』。マスターはかつて南海ホークスのリリーフエースとしていくつものタイトルを獲得した佐藤道郎さんという方です。 自身のグッズが飾られたスナックは連日、往年の野球ファンを中心に盛り上がっているようです。
2015-03-01 21:07:38佐藤道郎さんは東京生まれ。名門日大三高出身で甲子園出場はなりませんでしたが、恵まれた体躯と才能を持った投手として進学した日本大学では一年生にしてブルペンに入っていました。 しかし、そんな時『洗礼』が彼を襲います。
2015-03-01 21:08:49一年生にしてブルペンで投げているこの新人をよく思わなかった上級生により、集団暴行を受けます。大柄で気も強かった佐藤道さんですが、上下関係は絶対。抵抗せぬまま30発以上殴られ、鼓膜を破る大怪我をします。今でもタバコを吸うと耳から煙が出るそうです。
2015-03-01 21:10:36顔面は腫れ上がり、体中はアザだらけ。大好きな野球も断念することになります。退部届けを書き、失意の佐藤道さんは新宿で飲みふけっていました。そんな時、居酒屋には自分を殴った先輩部員がいました。 もう辞めるから関係ない、と佐藤道さんは先輩に『アンタ、外に出てもらおうか』と凄みます。
2015-03-01 21:12:03しかし、いくら1年生とはいえ当時としては破格の体格に腕っ節の強さは有名でした。上級生は逃げていき、その時、佐藤道さんは『こんな奴らのために大好きな野球を辞めるわけにはいかない』と退部するのをやめます。 そして、この時の恐怖からか上級生が退部届けを出すのでした。
2015-03-01 21:13:53余談ですが腕っ節の強さは本当に有名だったらしく、同期の第54代横綱『輪島』さんも佐藤道さんにボコボコにされたことがあるらしく、一番怖い相手だったとか。。。(相撲選手より強いってどういう) pic.twitter.com/tTYtHHC7z0
2015-03-01 21:15:27その後、東都リーグ一のエースピッチャーになった佐藤道さんは二季連続MVP、最優秀投手、ベストナインにも選ばれます。四年時の1969年に達成した年間16勝という記録は後に自身の後輩になるソフトバンクホークス大場翔太投手が08年に17勝を記録するまで史上最多という屈指の記録でした。
2015-03-01 21:17:23投手としての大きな武器は球威やマウンド度胸にもありましたが一番の武器は『投げ方』にありました。 ある日、当時球界のエースだった堀内恒雄さんのフォーム写真を研究していた佐藤道さん。疲れからか不覚にも居眠りをしてしまいます。そこで見た夢が彼にとって大きな転機となります。
2015-03-01 21:19:10『振りかぶらずに投げる』 そのフォームが強烈な印象に残った佐藤道さんは次の試合で早速、夢で見たまま投げてみることにします。 すると完封。これ以降、佐藤道さんは振りかぶらずに投げ続け数々の栄誉を手にしていきます。
2015-03-01 21:20:40『ノーワインドアップ』 今では当たり前のように確立された投方ですが、当時振りかぶらずに投げる投手は非常に珍しく、タイミングの取りづらさに打者たちは討ち取られていきました。 プロ野球史におけるノーワインドアップの先駆者であることは間違いないでしょう。
2015-03-01 21:22:16さて、ドラフトの大目玉となった佐藤道さんをドラフト一位で指名したのは南海ホークスでした。 名将鶴岡一人監督は勇退し、監督は当時選手兼任監督1年目の野村克也さんの『新生ホークス』 この大学野球屈指のエースピッチャーの獲得に南海フロントは両手をあげて喜びました。
2015-03-01 21:23:58大学野球では先発として活躍した佐藤道投手でしたが、野村監督はリリーフに適性を見出し、転向。一年目からリーグ最多の55試合に登板、18勝、防御率2.05の成績で最優秀防御率、新人王を獲得。当時、まだまだリリーフの立場が確立されていなかった時代においてその存在感は圧倒的でした。
2015-03-01 21:26:24その後、1972年には最高勝率、1973年にはリーグ最多登板で優勝に貢献、1974年には68試合に登板し、1.91の防御率で再び最優秀防御率とその年より新設された初代セーブ王を獲得しました。 70~78の在籍期間、4度ものリーグ最多登板という記録から佐藤道さんの貢献度が伺えます
2015-03-01 21:27:47また、珍しい?記録も持っています。1973年の5月ロッテ戦にてリリーフで登板もサヨナラホームランを打たれ敗戦投手。ここまではよくありますが、次戦の阪急戦でも福本選手にサヨナラホームランを打たれ敗戦投手…… そして。。。
2015-03-01 21:29:13次戦の阪急戦でも長池選手からサヨナラホームランを打たれる痛恨のミス。なんと三試合連続サヨナラホームランを打たれ敗戦投手という珍記録?にもなっています(ちなみに世界記録) ネットがある今こんなことが起きたらどうなるか……考えたくはないですね。。。
2015-03-01 21:30:24そんな佐藤道さんですが転機が訪れます。1977年、とある大投手にして球界屈指の問題児が阪神タイガースからトレードでやってきます。 『江夏豊』 史上最高の脱三振王にして後に数々の伝説と記録を打ち立てる左腕投手です。 pic.twitter.com/jUGw2PBr3e
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