知の欺瞞としての後期クイーン的問題
- quantumspin
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@komorikentarou そうですか…、私は『タイプ理論をスルーしてタイプ理論による解決を提案している話』に関してつぶやいてる最中だったので、てっきりその拙論へのコメントと勘違いしておりました。ご助言ありがとうございます。今後の考察の参考にさせていただきます。
2015-05-23 22:57:31以前ミステリ評論語として「ゲーデル問題」だとかよく使われた時期があるので、そういう俗流理解をバッサリ切りたかった点で芦辺さんは正しかったと思うし、私も共感もできます。しかしあまり正しくないゲーデル論を作中に持ち込んで、それに対するあまり正しくない批判をしたのが拙かったかと
2015-05-23 23:01:46小森は『ループものミステリ~』の中で、『タイプ理論によるパラドックスの解決は(…)メタをもちこめば、真偽決定できる』事とし、『記述者を犯人にしたトリックを用いる小説について、冒頭に名探偵が登場して、作中作として枠囲いしていれば、フェアで正当性がある』事との構造的類似を指摘している
2015-05-24 07:38:38そのうえで、『その枠囲いもまた、作者によって覆されることが可能である(…)枠囲いによる作者の真実保証もまた、基盤を崩されかねないあやうさがある』ことが、『ゲーデルの不完全性定理によってつきつけられた問題系と構造的に類似している』と述べている。これはいったいどういうことだろうか。
2015-05-24 07:45:55『記述者を犯人にしたトリックを用いる小説について、冒頭に名探偵が登場して、作中作として枠囲いしていれば、フェアで正当性がある』事は、読者への手掛かりの提示の仕方の問題にすぎない。(下位レベルの)手掛かりの真偽は、枠囲いの有無にかかわらず、決まっているものであるように思われる。
2015-05-24 08:32:36作中作として枠囲いすれば、読者は確かに『作中作であるから偽かもしれない』と疑いを持ちやすくはなるだろう。しかし作中作でなければ真偽保証できないわけではない。作者は作品に対し、最初からメタレベルにいるからだ。小森のいう〝構造的類似〟は、小森の考えるほどには似ていないように見える。
2015-05-24 11:52:41結局、小森健太朗のいう〝枠囲いによる作者の真実保証〟という認識は誤りである事がわかる。繰り返しになるが、作中作の真実を保証するのは〝作中作の作者〟であって〝作者〟ではない。〝作者〟は作中作も作品自体も真実保証出来る立場(メタ)に最初からあり、更なる〝枠囲い〟など必要ないのである。
2015-05-25 19:41:29いや、それは違います。たぶんゲーデルの定理について私が書いている文章を理解されていないと思います。「私は嘘をついている」というパラドックス文はその体系内においては真偽決定不能ですが、「私の手記」を枠囲いして「この手記の書き手は真実を言っていた」→「@quantumspin
2015-05-25 20:52:48→「この手記の書き手は嘘つきである」と外部から真偽判定を下すことはできます。このように枠囲いしてメタの立場から真偽決定ができるのが、とりあえずはパラドックスの解決法にはなる。でもって、外に出る(メタの立場に立つ)のがまた、パラドックス不可避であるの→ @quantumspin
2015-05-25 20:53:47→ が"ゲーデル的問題"だと指摘しています。その繋がりが把握されていないと思います。 @quantumspin
2015-05-25 20:54:17@komorikentarou 解説ありがとうございます。そして、作品は最初から下位なので、枠囲いがあろうがなかろうが「この手記の書き手は嘘つきである」と外部から真偽判定を下せますよね、といったような事をつぶやいていたわけなのですが・・・
2015-05-25 21:25:20作者と作中作の書き手での真偽決定レベルの違いというのは、たしかにありますから、それはそれとして議論はできます。例えば私が数百枚の不可解な手記を残して失踪した場合、その手記が実話なのか小説なのか決定できないとか、署名があっても別人の作でないかと疑えるとか @quantumspin
2015-05-25 21:30:09そのあたりの議論も展開可能ですが、メタによる(パラドックスの)解決と、それでもパラドックスが生じる(ゲーデル的問題の要点)という連関のところ、このキモが把握されていないので、私の論が正しく理解されていない感じです。@quantumspin
2015-05-25 21:32:30ごめんなさい何言ってるか全然分かりません。現代思想が難しいように、ミステリー批評はとても難解だ。 twitter.com/komorikentarou… っていうか何かと間違っていません?
2015-05-25 22:48:33@komorikentarou すみません、「真偽が決定できる」って、聞かない言葉なんですが、「真理値が決定できる」ぐらいの意味なんですか?
2015-05-25 23:05:04@ytb_at_twt 『探偵小説の様相論理学』で長々と書いたことなんで、要点だけ述べてもわかりにくいかと思います。枠囲い(メタ化)したらさしあたり真偽決定できるようにはなるけど、つきつめるとやはり真偽決定できなくなるよねというような話をしているあたりなんですが。
2015-05-25 23:02:39@komorikentarou というか、使わない言葉ですね。 そもそも、不完全性定理の証明の話の際には、真/偽や真理値と言った概念はあまり使わないので、奇異に聞こえます。 ゲーデルの証明も反証もできない命題は、任意の算術のモデルで真理値を持つ(その意味で真偽が決定できる)ので。
2015-05-25 23:11:01@ytb_at_twt ああ、そうですね。たとえば探偵小説で挑戦状がはさまれて「共犯者は考えなくてよい」とか「この証言は信用してよい」とか作者が保証してくれているような例でした。用語は不正確でしょうか。
2015-05-25 23:07:27@komorikentarou 文脈が分からないので、途中から推察するのは難しいですね。ただ、こういう言い方が定着している点からすると、論者の方の中には、意味論と統辞論の区別がついていない方とかもいそうな気配が漂っていますね。
2015-05-25 23:22:16@ytb_at_twt 私がミステリ論にゲーデル的問題を持ち込んで論じたのではなくて、既存の言説でミステリ論に"ゲーデル的問題"が持ち込まれていろいろとおかしな議論がそこから生じているので、それについて検討したときにそういう話にはなったのですが。
2015-05-25 23:20:20@ytb_at_twt 柄谷行人氏の『隠喩としての建築』でのゲーデル論が、この議論の大体の論者のベースにあるゲーデル理解になっていると思いますが、柄谷さんも意味論と統辞論の区別はわかっていなかったと思います。
2015-05-25 23:27:01文脈はいろいろあるのですが、要は『隠喩としての建築』のゲーデル論をミステリ論に移植していろいろと議論がかわされたというところなので、ご専門の方なら、『隠喩としての建築』のゲーデル論がどうなのかをご指摘くだされば、それで見通しはつきそうです。@ytb_at_twt
2015-05-25 23:47:44