@kaokaokaoruchan その前に、その意味を理解する人が多分、全くいないでしょうから、はなから無理(苦笑)
2015-06-23 20:45:33@y_mizuno @euroseller @MichiToyama そもそも、論理学や修辞学、私たちは風土として持っていませんね。美意識の違いかな、という気がします。
2015-06-23 21:00:34「バカロレア哲学試験は何を評価しているか?―受験対策参考書からの考察―」highedu.kyoto-u.ac.jp/kiyou/data/kiy… から見える世界は、日本の大学入試二次試験の国語や数学と大差ない試験対策と形式遵守が求められる泥臭さ。 @y_mizuno @ryuhei_tsuji
2015-06-23 21:00:21それはどんな試験にも当てはまる部分のご指摘かと。@online_checker 「バカロレア哲学試験は何を評価しているか?―受験対策参考書からの考察―」から見える世界は、日本の大学入試二次試験の国語や数学と大差ない試験対策と形式遵守が求められる泥臭さ。@ryuhei_tsuji
2015-06-23 22:59:34「「落ちこぼれ」の生徒がいかに哲学と付き合っているのかは、哲学教育の理想化によっては理解しえない。」(バカロレア哲学試験は何を評価しているか? ―受験対策参考書からの考察―highedu.kyoto-u.ac.jp/kiyou/data/kiy… より) @y_mizuno @ryuhei_tsuji
2015-06-23 20:53:47これも普遍的現象で、どんな科目でも言えますよね。いやでいやで仕方がなかったと、学生たちも言います、高校数学に対して。。。@online_checker 「「落ちこぼれ」の生徒がいかに哲学と付き合っているのかは、哲学教育の理想化によっては理解しえない。」@ryuhei_tsuji
2015-06-23 23:06:21「哲学試験の目的が決して哲学的才能や独創性を評価するのではないこと、そして、良い答案に不可欠なのは、明確な論旨だけでなく、著作の章、節にも言及された正確な引用が必要であること」highedu.kyoto-u.ac.jp/kiyou/data/kiy… @y_mizuno @ryuhei_tsuji
2015-06-23 20:55:17同意。評価というより最低限の要求かと。でもそれは重要かと。@online_checker 「哲学試験の目的が決して哲学的才能や独創性を評価するのではないこと、そして良い答案に不可欠なのは、明確な論旨だけでなく、著作の章、節にも言及された正確な引用が必要」@ryuhei_tsuji
2015-06-23 23:04:46「ここで試されているのは、個人の哲学的才能や文才ではなく、一年の継続的訓練の成果なのである。その過程を無視して、問題の(表面上の)難しさを強調することは、バカロレア哲学試験の本質を見誤ることにつながる。」 @y_mizuno @ryuhei_tsuji
2015-06-23 20:57:01御意。手放しで称賛するつもりもなく。どの試験方法にも問題はあり、Bac特有の問題もあるはず。@online_checker 「個人の哲学的才能や文才ではなく…継続的訓練の成果…過程を無視して問題の難しさを強調することは、バカロレア哲学試験の本質を見誤る @ryuhei_tsuji
2015-06-23 23:02:11「むしろ問題となっているのは、哲学という枠組みと、授業において学んできた議論の構成の尊重であり、自由な想像力や思考の展開ではない」highedu.kyoto-u.ac.jp/kiyou/data/kiy… 日本の司法試験や米国のBar Examもこういう感じ。 @y_mizuno @ryuhei_tsuji
2015-06-23 21:04:17鋭い指摘。ただしBacは哲学だけでなく必修は他にもあります。哲学は考えることを考えさせる教育かと。@online_checker 「問題となっているのは、哲学という枠組みと、授業において学んできた議論の構成の尊重であり、自由な想像力や思考の展開ではない」@ryuhei_tsuji
2015-06-23 23:13:58「哲学を学ぶことによって得られるこの「思考の型」は、その最良の場合にはモデルとして機能するであろうし、そうでない場合には、論じる対象の独自性を顧みず、機械的に議論の型をあてはめるような「紋切り型」として機能する」自戒の念を込めつつ @y_mizuno @ryuhei_tsuji
2015-06-23 21:07:02ここも同感。ご議論深謝。@online_checker 「哲学を学ぶことによって得られるこの「思考の型」は、その最良の場合にはモデルとして機能するであろうし、そうでない場合には、論じる対象の独自性を顧みず、機械的に議論の型をあてはめるような「紋切り型」 @ryuhei_tsuji
2015-06-23 23:17:37ぼくのTLでは興味深い話が展開されているのだけど、これから旅立ちますので、また明日以降にでもキャッチアップします。
2015-06-23 23:03:58極論すると日本の高校教育では考える(疑問を持つ)という時間は元々、確保されていないのかも。フランス人はその点では残念ながら徹底的。それこそデカルトの方法的懐疑。@anhebonia 選択科目の「倫理」として、哲学には触れるけれど、論理を究めててゆくものとしては教えられないのだよね
2015-06-23 22:56:26明治初期にはまだ、四書五経が辛うじてその役割を担っていたと思います。まだ残ってましたから。でもそれがついに失われ…。@bonfujisaki そもそも、論理学や修辞学、私たちは風土として持っていませんね。美意識の違いかな、という気が@euroseller @MichiToyama
2015-06-23 23:08:06