私家版ハイデガースタディー07 カント書の有限者の回復 自我探しの原理的終焉
- sunamajiri
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ハイデガーをデカルトからアリストテレスに遡行したと一面的に捉えると、日本の柄谷行人のように、デモクラシー以前のイソノミアに遡行してしまう。しかしじつは、ハイデガーこそ、デカルトが権力を通用させた無規定性を最終的に解消し、最も非ギリシャ的なのではないかと思える。@inja650rr
2015-08-07 18:46:39それは面白い解釈ね。ハイデガーは転回前(カント書まで)は、オイディプスに明示的ではないが、時間が心であるのはオイディプスロマンスだからですね。それゆえ歴史も心になる。@inja650rr タイムスリップの概念がスタトレでは時間軸でBtFが因果律であるという事ですね。
2015-08-09 01:46:45ハイデガーの言う時間という心は、オイディプス的なリヴィジョンのことなのだけれど、東の問題的な今年のインタビューでの結論部は、修正主義こそ(ハイデガーの言う生産的想像力で)、それが必然性という意味だ、というもの。twitter.com/sunamajiri/sta… @inja650rr
2015-08-09 02:20:15その偶然性、先日来、様相論=必然性を括弧に括ったtwitter.com/sunamajiri/sta… といっている、現代思想の東の最新インタビューの結論なのですよ。bit.ly/1zZ0Lwo @J_J_Kant 今はエッチが目的で子供はその予期せぬ結果という価値の転倒
2015-02-07 11:36:11駅前の小さな書店、人文書新刊書充実してるのだが、たまたま立ち読みしてたら、カントが晩年、動力学として、脳理論である生産的想像力(構想力)の超越論的時間地平に、霊魂論として触れているとか、書いてあるので、何じゃ?と思って買って来たww amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%8…
2015-08-13 01:30:36帰って検索したら、こんな論文もあるね。菊池健三『カントと動力学の問題--魂は動力学的な、潜勢的な現前の関係にある』 ir.acc.senshu-u.ac.jp/index.php?acti… 面白そうだが、眠いので明日読む(^-^)/
2015-08-13 01:37:56さらっと立ち読みして判るのだが、カント以前に自我のように、身体のどこに魂が宿ってる=顕在化してるのか、という潜勢論だった形而上学を、トヘン(一なる全体)としての時間を規定にすれば、心身問題ではなく、より直接に問えるでしょ?という話なのだけれどね。
2015-08-13 02:23:26問うためには、規則の規定が、自我のように無規定では、魂の局在性や心身二元論のように、問が無規定になるが、一なる全体としての時間を規定とすれば、形而上学を魂の動力学として、明示的に問い得るようになる、ということを言っているにすぎないのだ。
2015-08-13 02:25:38菊池氏は、時間規定に関してのハイデガーの発見を自明のものとしているが、それはカント自身が、問うためには規定が絶対化されなければならない、という問題を扱っているからで、なおかつハイデガーも規定はこれだろ、というところまでで、その規定によって問えたものの、答えについては言明しない。
2015-08-13 02:28:15本来形而上学は魂を問うものだが、それが所在論(潜勢性を問うこと)に閉塞してしまった。それが自我という無規定性で判明したので、規定を絶対的な全体である時間に措定すれば、本来の問が適正化され、魂を身体への顕在性ではなく、魂の非顕在性を問いとして立てることができる、という話に過ぎない。
2015-08-13 02:33:52自我のような無規定で、魂を問うと、身体のどこかに魂が潜在化(潜勢というのが厳密な術語なのだが)していることになり心身二元論(ハードプロブレム)になって解決できなくなるのだが、一なる全体の時間を規定として問い直せば、魂そのものを問うことが出来る、それがカントの問題だ、という本。
2015-08-13 03:38:02菊池健三は一見すると、ハイデガーのカント書を自明化しているが、それでもハイデガーが規定は時間でしょ?というが、その規定で問えることを具体的に語らず、うやむやにしている、ハイデガーはカントがうやむやにしているというだけなのに対して、(続く)
2015-08-13 11:56:36この本は、カント書のいう生産的構想力=時間規定が、アリストテレスの言う霊魂を規定とすることで、デカルトの自我だと無規定で問えないが、一性を規定とすると、身体のどこかに宿っている魂という旧来の形而上学の矛盾が修正され、魂そのものを語った晩年までのカントに接近できる、と論じている。
2015-08-13 11:59:26つまり、アリストテレスを規定とするのか、デカルトを規定にするか、なのだが、むしろデカルトが規定にされることで、アリストテレスが有耶無耶にした形而上学を、判明に魂の問題として語ったのがカントというようなこと。ハイデガーはその一歩手前、事象の一歩手前まで語れている。
2015-08-13 12:00:53魂を身体への潜勢(身体のどこかに魂が局在的に宿っている)とすると、心身問題となって、当然、そうしたハードプロブレムは論証も実証もできないので、魂が否定されるのだが、それは問題の規定の仕方を間違えている、というカントの一番の大枠を論じようとしているようだ。
2015-08-13 12:02:54