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りと🍮 (5さい) @LitoSnowfield
そいえば…昔の創作って普遍性というのが結構ポイントだったけれど昨今はどうなのかなぁ〜(*uou)>
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
さすが目の付け所が奮ってるわね。そこがハイデガー的なのだ。プラトンでは普遍的、かといってアリストテレスでは超越範疇的なのだ。つまりそれでは創作にならないのだ。@LitoSnowfield 昔の創作って普遍性というのが結構ポイントだったけれど昨今はどうなのか
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガーって創作論だからね。そのあたりは高田珠樹ハイデガーの第三章、ナトルプ報告のあたりが分かりやすいはず。第二章まではハイデガーが置かれた、カトリシズムとプラトニズムの文脈だから後で読んでも良い。@LitoSnowfield pic.twitter.com/ApxgYgFyPb
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
単純に、普遍を目指す古典的創作が受動的に認識する企投、出来合いの神話なのに対し、被投によって事象に迫るのは、丸山文隆 twitter.com/sunamajiri/sta… の言い方では神話の創作の境地なのだ。@LitoSnowfield pic.twitter.com/1yHdrxzYez
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
貴方本当に鋭いわね。だから好きよ。つまり創作としてみないと、このハイデガーの話はわからない。丸山の結論はカントのような学が創造しないことなのだが、出来合いの神話を受け取る受動性なのか、新たな神話を創造する能動性なのか、という存在論しか学は不可能なのだ。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
りょかんでカント書。ビニールカバーもフィット。未読だった付録のカッシーラーとの論争、ハイデガーがあまりにクリアでニヤニヤ(^-^)/ pic.twitter.com/9qitWvNPG0
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガーなどは、存在者の総体=宇宙の全体を、外部=神の全智の視点から眺める諸科学(認識論)に対して、なんでそんなことができるんだ? だいたい何でそれが宇宙の総体だと分かるんだ?と批判しているだけと言っていいのだが、ある意味、日本の支配者もそう思っている。@J_J_Kant
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ハイデガー『カント書』が金字塔なのも、その共通の根によって有限な人間の無尽蔵な力を開示してるからだが、認識論と存在論の違いを言ってるだけのように誤読されますからね。@J_J_Kant 二股に分かれる前の共通知こそが西欧の知の本質だったが、今も支配層=文科省が慎重に覆い隠している
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
つまり、理数系という哲学から見れば単なる認識論と、哲学という理数系から見れば単なる存在論という二股への分かれ方が、いかに共通の知的な根を持っていて、それだからこそ威力があるということがあり、それを日本の支配者は個々人の学力差として管理していたい。自覚的ですね。@J_J_Kant
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
「自然」だけだから曖昧になるんですよ。むしろ単純に自然の総体に対する神の視点か人の視点か、という途轍もなく他愛のない議論が発端であるに過ぎないわけだから、それを度外視したら自然科学も出てこない。@jeanbeauty2 bit.ly/1vRn3A6
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
『現象学の根本諸問題』も冒頭はアンセルムスの神の存在証明です。デカルトの要請を受けてるわけだから。その時問題になるのが『カント書』冒頭で再話されるバウムガルテンの学的用語法です。カントはそれに依拠して、自己原因を可能性の総体に解体しただけです。@jeanbeauty2
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
しかし、丸山文隆 twitter.com/sunamajiri/sta…が論じているように、『現象学の根本諸問題』は、まだ存在者の全体として捉えている。そこでもう一度、『カント書』で、バウムガルテン~カントの学校用語で「全体における存在者」を捉えるんですよ。@jeanbeauty2
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
先日、やっと創文社版、門脇訳『カント書』を入手したのだが、理想社・木場訳では、「存在者の全体」の対概念と措定された「全体における存在者」が訳し分けられていなかったようです。原文や英訳では気にならないのですが。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/9FpukjlGj1
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
創文社の全集は用語統一しているようですね。存在→有、存在者→有るもの。ハイデガー自身、中世以来の「学校用語」を攻撃するために、カントの用語を相対化すると宣言するわけだから。訳語の動揺は頂けない@jeanbeauty2 pic.twitter.com/ljM8jLJnza
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
そして全集の訳語統一をする中で浮かび上がるのが、存在者の全体に対する批判性。『現象学の根本諸問題』は『カント書』ほど決定的ではないが「総体」がやたらと目立つ。この節などこれがわからないのを曖昧と結論するほど。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/mBybluwkMk
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
気にされてる学的哲学だが、全集ではスコラへの対語として「学校概念の哲学」という訳語に統一してますね。ところが日本では学校以外が全部自然になる。文学も自然主義がおかしなことになった。自然科学なんてとてもとても。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/3jR0d3OmW3
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
バッハより土の匂いがするよハイデガーって、田舎って感じ(^-^)/ @LitoSnowfield 違うかもですが…バッハ風味ありますよね〜(*^o^)> <はいでが
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
そりゃそうよ、故郷とか土着とか大地とか、そんなことばかりいってるよ。大地論=反地動説だし。それは陰謀論者が、ユダヤ金融資本が人々を奴隷にしている、というのとは対照的に、土の臭がする。@LitoSnowfield pic.twitter.com/lbL8ZdEIZY
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
根無し草になってしまった近現代への痛烈な批判だからねハイデガーというのは。たとえば身体性はモバイルできても、生活世界や世界には根があるのだ。外国に行くと言葉が通じず幼児扱いされたり、引っ越すと勝手が変わってしまうでしょ? 意味が通じなくなるのだ。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
黒ノート会議でも、反ユダヤ主義というより、故郷性という話になっていたが、JAXAの政策担当者が、技術は土着だというハイデガーの思想の質問をしにきていた。twitter.com/sunamajiri/sta… @LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
不思議なことに、近現代は棄郷とか一極集中とか都会化とかコスモポリタンとかになるのだが、そのまさに入れ替わりで、ユダヤの民はディアスポラから故郷に戻ったからなー。非ユダヤ人は根を失い、ユダヤ人が根に帰る、というような、そういう話だね。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
私たちは故郷から離れて、旅行したり、都会を目指したり、それが洗練されてることと勘違いしてるのだが、実は土着に根を生やしている方が、世界内存在的には満ち足りるという。いわば引き篭もりの話なのよ。出かけたがらないというか。ヘブライ人が満たされたという。@LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
私なんか、ちょっとどっかいくのも荷物が多くなる。温泉行くのにも荷物が多い。ロッカー2つ使うほど。全部持って行っておかないと、機能不全に陥るのだ。ハイデガーもめったに旅行しなかったらしいからなー。移動できないのだ。身軽な人は信用できないw @LitoSnowfield
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
そうそう、おそらく180度真逆。地動説から転じて大地を得る、ディアスポラからの帰還のような思想に見えるほど。シオニズムに過剰反応したのがナチズムだとしたら、むしろモーセのように・・・。@LitoSnowfield 単に反ユダヤ主義と捉えてしまうと捉え損なってしまう感じですね
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コメント

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri 2015年3月29日
ちょっとテクストから脱線が多いのだが、とりあえずまとめへ追加(^-^)/
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