私家版ハイデガースタディー04 カント書へ還れ Vol.2

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永井均 @hitoshinagai1

@hitoshinagai1 物-心-精神、と、感性-悟性-理性、の関係がよくわからない。

2015-03-02 23:21:57
永井均 @hitoshinagai1

@hitoshinagai1 前者がヘブライズム、後者がヘレニズム、というのはどうかな?

2015-03-02 23:31:30
黒沢孝裕 @nckrx970

@hitoshinagai1 は~。勿論僕なぞ口出し出来る話ではないですが、哲学者でも、こうした事に疑問や引っかかりを抱えつつ、研究・思索なさってるんですね。

2015-03-02 23:32:32
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

永井氏の西田論の割注が気になっていたが、黒沢さんの哲学観も面白いね。どうしても素朴に始めたくなるが、二契約 twitter.com/sunamajiri/sta… ぐらいしかなくなるね。@nckrx970 哲学者でも @hitoshinagai1 前者がヘブライズム後者がヘレニズム?

2015-03-03 09:53:18
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

米科学哲学のヒラリー・パトナムに、存在と時間を忘却させ思考させない信仰というのは、新カント派の申し子、ヘルマン・コーエンの弟子ローゼンツヴァイクが、ヘーゲル歴史哲学の近代性、ユダヤ民族を排除した非時間性を歴史化する、二契約神学と呼ばれるもの。@jeanbeauty2

2015-02-25 17:41:23
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

カントのアンセルムス批判から始まる『現象学の根本諸問題』はカントの「存在者の全体」から様相性を尽く非本来性に移し替え『カント書』の「全体における存在者」twitter.com/sunamajiri/sta… で神からやっと自由になりますな。@nckrx970 @hitoshinagai1

2015-03-03 09:54:52
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

しかし、丸山文隆 twitter.com/sunamajiri/sta…が論じているように、『現象学の根本諸問題』は、まだ存在者の全体として捉えている。そこでもう一度、『カント書』で、バウムガルテン~カントの学校用語で「全体における存在者」を捉えるんですよ。@jeanbeauty2

2015-03-02 17:42:39
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ナトルプ報告の高田珠樹氏が端的にハイデガーでは様相は非本来性、とどこかで書いていたが、神から自由になる『カント書』へ至る『~根本諸問題』では、様相を非本来へ移し替える作業が続きますね。@nckrx970 @hitoshinagai1 pic.twitter.com/AURxkzUjCT

2015-03-03 09:59:09
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ツイートまとめ@FB(^-^)/ 二契約の話、つまり神から自由になる話は、自然から素朴に着手することができない。facebook.com/kaoru.ohmoto/p…

2015-03-03 10:20:00
永井均 @hitoshinagai1

@sunamajiri @nckrx970 カントが様相論理学(および可能世界意味論)を知っていたらなあ。

2015-03-03 11:23:04
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

余談だが、東が最近のインタビューで親の様相に対する子の偶然、ハイデガーが『カント書』のカッシーラーとの論争でひたすら人間の自由とは偶然性のことだ、といっていたのを彷彿とさせ爆笑してしまったのだが、どうしても必然性に囚われるからね。@nckrx970 @hitoshinagai1

2015-03-03 11:41:44
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

ほら、カント先生なんて、脳みそが爆発的に肥大化しちゃってるのよ。もうね、ヘルダーリン~三島『潮騒』~あまちゃんの『潮騒のメモリー』の「その火を飛び越えて」来て欲しいのに、めんどくさいのよ(^-^)/ twitter.com/Kantbot/status… @J_J_Kant

2015-03-03 11:47:29
Kant @Kantbot

実践的愛の根拠は意志の中にあり、感覚的性向の中にあるのではない。命令され得るのはまさにこの実践的愛に他ならない。

2015-03-03 11:45:24
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

やっと創文社版で、ダヴォース論争 bit.ly/1FQnACj 読めたが、その自由、科学の守護神、新カント派のカッシーラーが、ハイデガーに突きつける機能主義的な自由とオーバーラップして仕方がない。@jeanbeauty2 自由は、ないのか。

2015-03-03 16:08:21
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

神による自由(決定論)か、神からの自由(偶然性)か、という歴史的な論争なのだが、カッシーラーがカントに逃げ込むと、その自由も背理とハイデガーに斥けられてしまう。カッシーラーは神話に逃げるが、そりゃ単なる文化論だと、ハイデガーは手厳しい。@jeanbeauty2

2015-03-03 16:09:09
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

いや、表面上はカッシーラーの口調のほうが、ハイデガーを告発するように手厳しいのだが、眼前性も手許性も見いだせないカッシーラーの動揺を、ハイデガーは労るように、やんわりと、定立的な文化哲学でもやってなさい、と引導を渡してしまう。さすがだ。@jeanbeauty2

2015-03-03 16:12:46
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

端的に、カッシーラーは恒常的時間=永遠の中で、人間が神を創造する自由の必然性と、カントの構想力を捉えてしまう。それに対して、ハイデガーは瞬間の偶然性が、構想力の無限性、つまり時間によって与えられた自由として語るのだが、カッシーラーはまるで理解できない。@jeanbeauty2

2015-03-03 16:23:10
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

より端的に、カッシーラーはカントの構想力を、神を創造する人間の必然性、と捉えている。それを彼は自由といっているのだが、ハイデガーはそんなものが自由であるはずがない、と応じている。単にカッシーラーにないのは敬虔さだけだろう。さすがユダヤ系だ。@jeanbeauty2

2015-03-03 16:25:39
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

そこで重要なのが、門脇が初めて概念的に邦訳した「全体における存在者」。ハイデガーはカッシーラーに反論して、全体における存在者へ投げ入れる構想力だけが世界観を齎すのであり、カッシーラーのいう自由は背理であり、神話こそ単なる文化だと斥ける。@jeanbeauty2

2015-03-03 16:29:44
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

伊豆の旅館で、ダヴォース論争 bit.ly/1FQnACj 読みながらDMチャットしたのを、一部以下に転載するね。(^-^)/ @LitoSnowfield

2015-03-03 20:23:23
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

DM: カント書が痛快なのもそこ。医者とか威張るでしょ。ハイデガーそういう権威を骨抜きにしちゃってるのよ。たとえば、付録の論争、科学者の権威側の新カント派のカッシーラー、タジタジ。しかも何が分かってないのか、最後まで掴めてない。ただ威張るだけ。笑(^-^)/

2015-03-03 20:25:13
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

DM: ハイデガー、端的に科学者が単なる信仰者と暴露してるのに、科学の番人新カント派の親分カッシーラー、ハイデガーに反論しまくるのだが、全く噛み合わない。ハイデガー全く動じてなくて痛快。笑(^-^)/

2015-03-03 20:26:04
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

DM: ルネサンス以降スコラ神学の権威を代替するようになった科学=新カント派をいかに無効化するかというハイデガーの論争だから、普通の人が読んでもわからんと思う。まあ存在者の全体でなく、全体における存在者というのが新カント派には理解できないだけだが。

2015-03-03 20:28:27
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

DM: みんなこれがわからん。カントの質問してくる人もカッシーラーと同じで、科学だけでは中世神学と同じ、というのが理解できない。つまり宗教をハイデガーのように文学とみることができない。中世の人たち。(^-^)/

2015-03-03 20:29:58
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

DM: そうそう、存在者の全体とは宇宙の総体のこと。ハイデガーはなんでそんなもんが分かるんだ?神じゃあるまいし、と言ってるだけだよ。じつにまっとうなことを言っている。しかも分かりやすい。

2015-03-03 20:34:57
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

DM: カント書は序文から、存在者の全体でなく全体における存在者という話ばかり。その違いがわからんのが新カント派。ちなみに理想社版の木場旧約ではその訳し分けが曖昧なのを確認した。twitter.com/sunamajiri/sta…

2015-03-03 20:37:24
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

先日、やっと創文社版、門脇訳『カント書』を入手したのだが、理想社・木場訳では、「存在者の全体」の対概念と措定された「全体における存在者」が訳し分けられていなかったようです。原文や英訳では気にならないのですが。@jeanbeauty2 pic.twitter.com/9FpukjlGj1

2015-03-02 17:43:32
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

というより、ハイデガー読んでると、他の現代的な書き手の本が読めなくるね。さっきフランス人の書いたライプニッツのデカルト批判を、再読してたら、根本を曖昧にして書いてるから、歯がゆくてよんでいられなくなる。それほど力が違う。@LitoSnowfield

2015-03-03 20:44:25
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