田中功起氏のメモ「アーティストが売るものは?」
明日撮影のときに話すべき事。1、indian canyonを訪ねて感じたこと。そこで見たnative palm tree。importedとfarmed、そしてnative。まるで移民の国そのもの。CAのイメージである椰子の木はそのように複数バックグラウンドを持っている。
2011-01-09 14:37:202、David Hammons, bliz-aard ball saleとつげ義春の無能の人の距離。冬のNYで雪を丸めて雪玉を売ること、河原で石を拾って売ることの違い。雪は雪かきの必要があり、河原の石はただそこにある。雪はすぐに消えてなくなり、石は消えるまでに長い年月がかかる。
2011-01-09 14:42:373、アーティストが売るものはその技術でありアイデアである(と思う)。つまり職人的な技か天然の技、もしくは頓知かレトリックのきれ。いずれに違うことに価値がある。でも技術もなく、アイデアもないことに意味はないのだろうか。落ちているものを売ることに意味はないのか。
2011-01-09 14:49:454、ヤシの木はなぜか人工的なイメージがある、それはきっと映画とか旅行代理店のパンフレットで見飽きた南国のイメージだから。なので自生のヤシを見る経験は不思議な体験。夢の中にだけ存在していると思って居た場所が、現実にも存在したような奇妙な感覚。
2011-01-09 14:53:365、フリーマーケットは、いらないものを売る場所。そしてその品物に別の価値を見いだすひとがいるかもしれない場所。一見無用なものに思えても、そこに価値を見いだすひとがいるかもしれない。あるひとには二束三文が別の人にはのどから手が出るほどほしいもの。
2011-01-09 15:04:176、だからここではひとまずどこにでもあって、だれにでも、いつでも簡単に手に入り、なんの価値もないように思えるものを売ろうとしてみる。技術もなく、アイデアのきれもない。そこにはなんの価値もない。つまりそれはアートでもない。見いだされることもなく、見いだしうるなにもない。
2011-01-09 15:09:207、フリーマーケットの競争から降りてみること。そこら中に落ちているヤシの木の葉を売ること。それはなにかの隠喩になるだろうか。
2011-01-09 15:18:27まあ、なんのことだかわかりませんね。でもこういうtwitterの使い方はいいかも。メモを積み重ねるうちになにが言いたいのかが見えてくる。
2011-01-09 15:23:218、そういえばDavid Hammonsの雪玉には値段が書いていない。「無能の人」の石には値段がある。実際、高価な石は存在するし、石になにかを見いだす人たちは存在する。でも高価な雪玉は存在しない。ただ雪は丸められたわけだからそこに行為が介在し、石は拾われただけだから行為性が薄い。
2011-01-09 16:08:31@kktnk こんにちは。鹿児島の桜島で、軽石だらけなのに、どこの土産物屋でも軽石が袋詰めされて売られていたことを思い出しました。だれが買うの?って謎だったんですが、アートだったのかも??
2011-01-09 16:13:109、その意味でヤシの木の葉は、雪のような存在と石のような存在の中間地点。Hammonsとつげの間。実際の行為とフィクションの間。アートと漫画の間。って広げすぎか。 http://yfrog.com/h8srikwj
2011-01-09 16:19:34@chieconomics 面白いですね。軽石は、まあ、そうは言ってもまだ実用性あるだろうから、売れるのかなあ。でもほしいなら周りある軽石を適当にひろえばいいよなあ。
2011-01-09 16:21:47@kktnk 田中さんのTweetにおけるDavid Hammonsの作品について、思い当たる点があるので、また連続ツイートさせて頂きます。
2011-01-10 01:01:40