qual quelle(@qualquelle)さんの村上氏と椹木氏批判
上記2つのまとめを読了後
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RT @takashipom: @noieu 国際交流基金が選んでる時点でセンスの有る無しが全くわからん。まぁ、日本人は常に内側にしか目を向けてないので、バランスだけなんでしょうな。国際舞台で勝つ、ってことは全く考えられていないんでしょうな〜。笑止!
2012-05-29 00:25:56QT @takashipom: マーケットを憎む日本の美術館の諸君!…金がそんなに嫌いなんだ。ビジネスクラスの上げ膳据え膳にはホイホイビエンナーレとか行ったりしてさ。笑止!キュレーターの名が泣くぜ。資本主義とアートの関係構造も理解してもいないでアーティストの選出も糞もあるか!
2012-05-29 00:26:17という具合で、村上隆氏は、田中功起、蔵屋美香両氏のヴェネツィア行きが面白くないのである。その憂さ晴らしか、村上氏は次のような逸話の披露に及んだ。
2012-05-29 00:26:52QT @takashipom: …オープニングパーティーのディナー会場で、俺に食って掛かってきた日本人アーティスト。「あんたの時代は終わったよ」「俺達は全く新しい概念でマーケットも何もかも打ち立ててやる」と、人様の金で飯食ってて何言ってんだ状態だった彼は、今、なにやってんだろね。
2012-05-29 00:27:37「人様の金で飯」食う客はホストに愛想の一つも言うものだ、と臆面もないお説教である。後進に面と向かって批判されたのをいつまでも根に持ち、妙なタイミングで銭金の話にすり替えての人格批判。村上氏はケンカ上手のつもりか知らないが、何たる陰湿さ、さもしさを晒したものであろう。
2012-05-29 00:29:16/////////////////////////////////////////////////////
しかし村上氏の無様は、今更な話題でしかあるまい。この話を興味深く思ったのは、太宰治を訪ねた若き日の三島由紀夫のエピソードを思い出させたからである。「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか」
2012-05-29 00:30:09“昭和22年1月、太宰治、亀井勝一郎を囲む集まりに友人に連れられて参加。この時、三島は太宰に対して面と向かって「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」と言い切った。後に三島自身の解説では、これに対して太宰は虚をつかれたような表情をして誰へ言うともなく「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」と答えた、とした。しかし、その場に居合わせた野原一夫によれば、「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか」と吐き捨てるように言って顔をそむけたという”
この場合は食って掛かられた方であった村上氏であるが、比べるとすれば勿論のこと太宰ではなく、局限まで肥大化した物語に、自らを贄として捧げた三島である。
2012-05-29 00:30:48不幸にも三島はストックホルムには行けず、村上はヴェネツィアには行けなかった。先例がある訳だ。セルフオリエンタリズムを極めた者が、日本の現在を殆ど道化のように呪う。
2012-05-29 00:31:12“1967年のチュニスで開かれたフォルメントール賞選考会で敗北した後、スウェーデンの出版社ボニエルス社の重役が私の失望を知って、こう慰めてくれた。 「三島は間もなく、遥かに大きな賞を獲得するでしょうよ」と。 それは、ノーベル文学賞以外にあり得なかった。 私は彼の言葉が嬉しくて、敗北の痛みを忘れた。一刻も早く日本へ行って、三島に吉報を伝えたかった。 私は三島が、他の何にも増してノーベル文学賞を欲しがっていることを知っていた。”
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