続:「科学は、最近成功したひとつの方法にすぎない」
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@yoshitsunek 私は、子どもが小さい頃、ほしがるオレンジジュースを好きなだけあげていたら、すっかり黄色くさせてしまったことがある。あれは失敗だった。
2011-01-11 09:50:50@HayakawaYukio とらえておりますので、「男系=Y染色体を受け継ぐこと=伝統」という解釈を「菊池さんのもの」とおっしゃる早川さんのご発言には、更におどろかされました。
2011-01-11 09:51:32@HayakawaYukio @rakuslckita 雑種第2代が作れるか否かだけでは同種か別種かの判断としては不十分な筈です。 詳細は http://bit.ly/h8i1da をご覧ください。 僕は魚類の種間雑種を第6世代まで直系で維持しました。
2011-01-11 09:58:52@chochonmage 菊池さんは男系を伝統だと了解した上で、「伝統」と「Y染色体」はミスマッチだと書いたのだと私は読解しました。もし男系を伝統だとみないなら、ここで伝統の語を出す必然性がありません。読解力はひとそれぞれですから、私の読解を無理強いすることはありません。
2011-01-11 09:59:18@yoshitsunek 不十分というより、種の概念は多種多様であるということですね。種は生物学上の基本概念だから多くのひとが注目する。だからそうなるのは当然だ。さて、レオポン同士は子をなさないというが、レオポンとヒョウ(またはライオン)は子をなすのでしょうか?
2011-01-11 10:16:15@HayakawaYukio ライガーのメスがライオンやトラとの間に子を作る例はあると聞きました。 トラのオスとレオポンのメスでは駄目だったとか。 試行が多くなればレオポンとトラ、ヒョウの子も出来るかもしれませんが、あまり良い趣味とは思えないです。
2011-01-11 10:24:25@yoshitsunek レオポンは生殖能力が弱いという理解でよいですか?同属の血ばかりでなく、よその血を入れたほうが強い個体ができると思っていたが、そうでもないのかな。違いすぎるとダメなのかも。
2011-01-11 10:53:12@HayakawaYukio まず、遺伝子を調べることで、人間はほかのサルの仲間と比べ遺伝的な違いが小さく、変化も連続的であることが分かってきました。人種というのはもともと、髪の毛や肌の色などの形質で分類されてきましたが、それも相互の集団内にさまざまな特徴が混ざっています。(続く
2011-01-11 10:54:09@HayakawaYukio 続き)このような理由から、現代の人類学で「人種」は定義できないことになっています。 参考文献 「人類進化99の謎」河合信和 高校生物のための人類学知識http://tinyurl.com/4qz8l9a
2011-01-11 10:58:41@HayakawaYukio 再度読んでまいりました。なるほど早川さんのような読解もありかも知れません。しかし、菊池さんの「伝統」は「物語と事実とを混同したみょうちくりんな議論」に登場した「伝統」を受けて→
2011-01-11 11:11:05@HayakawaYukio その「伝統」を科学が保証したようなお話を信じちゃった人は反省してよ、ですから「伝統」を出す必然性というより、これは使わざるを得なかった言葉ではないでしょうか。
2011-01-11 11:14:29@HayakawaYukio とりあえず、私も菊池さんの本を未読なので、早速注文して読んでみたいと思います。私が「皮肉論」を取るのは「神武以来」は物語に過ぎないので、「伝統」ではなく「伝統であると言い張りたいもの」に過ぎないからだとだけ申し上げておきます。
2011-01-11 11:18:30@HayakawaYukio 何度もすみません。前の方のツイートにあった「比喩」は撤回します。比喩ではないですね。具体的に「みょうちくりんに議論されていた内容」についての言及ですから。失礼いたしました。
2011-01-11 11:57:22@HayakawaYukio 「ニセ科学批判」批判は読む価値のないもの(たとえば社会学玄論)以外は読むようにしています。結局のところ、批判批判は「ぼくが気に入らないから」以上の理由を持てないのかなと考えちゃいました。それが悪いわけではないのですが。
2011-01-11 12:19:42@muimi 社会学玄論は、どの点が読む価値がないとお考えですか?読む価値がないと言われたから従っているのですか?読んでないのに価値があるかどうかどうしてわかるのですか?
2011-01-11 12:26:00@muimi 批判批判(私は自分がそういわれるのを好まないが)の理由はですねえ、ニセ科学の権利をニセ科学批判が不当に害しているとみるからです。相手が悪ければ何をしてもよいわけではない。法に基づかない処罰を私刑(リンチ)という。たいして悪くないものまで槍玉に挙げてるときもある。
2011-01-11 12:32:23@muimi 「ニセ科学批判」批判を読むようにしている理由は何ですか?自分の主義主張を批判している文章を読むのは苦痛でしょうに。私がニセ科学批判本をいま読んでいるのは、科学とは何かに関心があるから。
2011-01-11 12:36:35@chochonmage 「私も菊池さんの本を未読なので、早速注文して読んでみたいと思います。」 そりゃ、まったく、ぜんぜん、ダメじゃないすか。「も」って言わないでね。私「は」、読んだんだから。
2011-01-11 12:44:16@muimi 私は、大学生のとき、「プレートテクトニクスは間違っているから、だれそれの本は読むな」と授業で先生に言われた。そういわれると、かえって読みたくなるものだ。
2011-01-11 12:56:04@ryu_ それは、個別事例に感情移入した思いなのでしょうか。それとも死者をなるべく減らしたい職業的思いなのでしょうか。一方で、災害犠牲者はゼロにできない現実があります(自然には勝てない)。そういうとき、どこをゴールに定めますか。私は、理不尽をなくしたいと漠然と思っているかな。
2011-01-11 13:04:10あ、ごめんなさい。訂正します。「私は」です。RT @HayakawaYukio: @chochonmage 「私も菊池さんの本を未読なので、早速注文して読んでみたいと思います。」 そりゃ、まったく、ぜんぜん、ダメじゃないすか。「も」って言わないでね。私「は」、読んだんだから。
2011-01-11 13:08:01ほう。どう言う例がありますか。「多い」んですよね?RT @HayakawaYukio: @chochonmage 伝統は、多くの場合、物語だぜ。
2011-01-11 13:16:47