二刀流が広まらなかったのは何故か?
.@ArgentBrand 一本しか持ってなかった奴が多かったんじゃなかろうか、というのは、その辺も一因かなーと思うですよ。刀自体は確かに大量に存在したけど、じゃあ、その辺の足軽やら農民やらでも手軽に買えたかというと、数打でも、彼らにとってはかなり高い買い物ではあったでしょうし。
2015-10-25 15:52:46.@k_hisane @ArgentBrand 資料です。 「農民が脇差を振るって人を殺傷したり中には大刀・脇差の二本差しで戦闘の場に現われた農民すらいたことも資料に残されている」 www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukas…
2015-10-25 16:16:56@mototchen 記述で見る限り、やっぱ複数持てるのは、比較的限られた人間だけのようです喃。刀狩前ですから、身分がどうとか以前に、経済力的な問題が多そうな。文中の様に二本差ししてた農民もいたようですが、少数派ではあるようで砂。@ArgentBrand
2015-10-25 16:29:43@k_hisane @ArgentBrand 脇差は別にして大刀所持が多数派の訳ありません。ですが刀を複数所持している百姓であれば二刀が可能でしょう。
2015-10-25 16:55:37@mototchen この場合、複数所持してる百姓がどの程度いたかですねー。二本以上持ってたら二刀流を使える「環境」は揃いますが、それは二刀流を使うこととはイコールしないので、あくまで「ユーザー母数」はどのくらいかというのがポイントで砂。@ArgentBrand
2015-10-25 17:05:45@mototchen @k_hisane っつ~ことは、「当時の日常品としての”刀”」であって「現在の美術品/スポーツ用品/余暇の道具としての”刀”」とはわけて考えろってことですねぇ。そんだけ需要があれば値段も下がりますし。多分
2015-10-25 17:18:08@ArgentBrand 価格そのものは下がるにせよ、その額が、農民なり足軽なりが得られる収入にとって、どの程度の負担になるか、というのが気になるところですねー。そう収入は高くはないでしょうし、買うにも店行ってすぐ買えるとは限らないでしょうし。@mototchen
2015-10-25 17:30:45まとめのコメント欄が美妙な感じになってしまってて、うーんこの。なお、「剣術は平時が主体の術ではないか」という当方のスタンスからは若干外れるので端折りましたが、戦場で剣術を使う場合、二刀流だと「手を使う必要がある時、不便」というのも使う人間が少なかった一因かもしれんなあと思ったり。
2015-10-25 18:22:52無論、一本を捨てれば、その場で片手が使えますけど、逆に言えば、その一本は「捨てる」必要がある訳で、当時の人間の収入を踏まえると、刀一本捨てるってのは、結構しんどい出費になるんじゃなかろうかなあと。まあ、後でその辺で死んでる奴の刀を拾えばOK、で済むかもしれんのですが。
2015-10-25 18:28:30なお、平時であれば、そもそも戦う人数自体が然程いないでしょうから、その場で一本落としたとしても、生き残ってさえいれば、後で拾えるでしょうけどね。当時の足軽や農民など大多数の人間にとって、刀一本を買うのは、どれくらいの負担になるのかが見えれば、もう少し話ができそうなのですが。
2015-10-25 18:34:53繰り返しになるが、「量産品の数打なら高くない」とは言うし、実際、戦国期は百姓や足軽も刀持ってた訳ですが、その「高くない」は名刀業物の類と比較しての話であって、数打といえど、生きるだけで精一杯の人間の収入から見て、気軽に買ったり使い潰せるものだったかというと若干疑問であるなあと。
2015-10-31 01:42:29まー戦国期の日本が彼岸島ばりに日本刀が自生してれば話は別ですが。 「あったよ、日本刀が!」 「でかした!」 pic.twitter.com/Wle4YjfV2X
2015-10-31 01:46:25@k_hisane まだ検証していないんですけども、戦国時代から江戸初期くらいの実戦を経験していただろう流派って、ほとんどが「二刀含む」ではなかったんじゃないかなあ…と。むしろ「二刀主体」「一刀主体」がかつては異端であったのではないか…と。
2015-10-25 01:04:21石舟斎の伝書でも二刀構えた図が複数ありますし、宗矩も二刀というか、片手で刀を振るい、もう片方で別の物(脇差含む)を使う教えを遺してますしね @SagamiNoriaki 戦国時代から江戸初期くらいの実戦を経験していただろう流派って、ほとんどが「二刀含む」ではなかったんじゃないかな
2015-10-25 01:16:07@k_hisane 自分でも反証がすぐできるんですが、剣術流派の絶対数が増えた江戸中期以降は、町民農民などの間で剣術が流行ったという背景があり、町民に教える剣術としては二本差し前提の二刀は適当ではなく、一刀の流派が主流になったのではないか…と。先述しましたが反証はすぐできます
2015-10-25 01:22:21同時に各流派の技法から、二刀の技が省かれていった(使わないから)というのもあるのかもですね。@SagamiNoriaki 町民に教える剣術としては二本差し前提の二刀は適当ではなく、一刀の流派が主流になったのではないか…と
2015-10-25 01:27:57@k_hisane ただ…筑前の師範が出奔していついた、越後の農村部中心に広まった二天一流という例がありましてな…単に、本当にたまたま、二刀流派の師範が移動あんましなかっただけ…なんて可能性の方が高いかもですが、それだと全然論としてまとまらないw
2015-10-25 01:30:07@k_hisane @SagamiNoriaki 二刀は三大源流にありますけど、その時点では小太刀とかと同じく、割合は少ないです。たぶん二刀を主にした流派は無二斎系の無双流や当理流あたりと、あとは疋田豊五郎の念流小太刀虎乱あたりが嚆矢じゃないかと。 そのちょっと後に円明流ですかね
2015-10-25 01:58:40@k_hisane @SagamiNoriaki 元々、念流(中条流)と神道流は二刀の仕太刀がありますが、陰流は二刀は打太刀のみですし、一刀流は仕太刀打太刀とも基本一刀使いで片手打ちや刃部分に手をかける技も無いに等しいです。ですから
2015-10-25 02:01:53@k_hisane @SagamiNoriaki 新陰流や一刀流の末流は当然一刀使いですし、神道流系や中条流は二刀を使っても基本的には一刀です。そんな感じで、そもそも二刀流を主体とする流派が生まれたのは新陰流や一刀流より遅い時期ですし、全国に広まる要因もあまり無かったと思います
2015-10-25 02:06:00まあ、「剣を扱う技術」として見た場合、二刀流は割と”若い”技術になるわけですし喃。打刀ができて以降の技術でしょうし。それで言うと、二刀の技術自体は割とあったけど、基本が一刀になるのは自然といえば自然ではありま砂。 @inuchochin @SagamiNoriaki
2015-10-25 02:10:39@k_hisane @SagamiNoriaki 全国に広まった流派で言えば、心形刀流が開祖が武蔵流を学んでいたので二刀の形が多いですし、同じく鏡新明知流も流れは不明ですが二刀があったみたいです。全国規模の神道無念流、直心影流、小野派一刀流は元々二刀が無い新陰や一刀流系ですし。
2015-10-25 02:09:54@k_hisane @SagamiNoriaki じゃあ宮本家の二刀流や疋田の二刀流はどうなった、と言えば、武蔵の円明流や二天一流は武蔵の弟子や孫弟子がいた愛知、熊本、福岡、兵庫、新潟なんかでは幕末〜昭和まで残っていたようです。無二の武術はわかりませんが、
2015-10-25 02:13:34