血液型性格判断は科学である
- HayakawaYukio
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@pukuma 先生がお考えのようなことはほとんど日本の心理学者によって行われていて,おしなべて「血液型と性格の指標との間には相関はみられない」という結果になっています。しかし「血液型で性格がわかるという実感が生じること」はそれとは別の文脈でまた分析対象になります。
2011-01-14 10:27:16そもそも日本のように各血液型が絶妙に混在している国ばかりではありません。国民の9割がO型なんて国もある。 RT @pukuma: 血液型を知らない人が多く海外調査は困難でしょう。
2011-01-14 10:28:21サトウタツヤと私ほど「血液型と性格に関係があると主張する人々」について調べ,彼らと対話してきた心理学者はいないと思う。その動機も必ずしも血液型批判ではなく,むしろ心理学批判のほうが大きかったと思う。「血液型性格判断は心理学を映す鏡」と言ったこともある。
2011-01-14 10:31:55私が「血液型批判」の立場で血液型性格論者と対話した大昔の記録は以下。 もう10年以上前なんだなあ。 ABOFANへの手紙 http://bit.ly/hzJZXd
2011-01-14 10:35:58やや心理学批判よりで書いたものはたとえば以下 「性格心理学は血液型性格関連説を否定できるか」現代のエスプリ「血液型と性格」,324 1994年
2011-01-14 10:37:13問題は「性格」とひと言でいわれている現象にも非常にさまざまな側面があって,それぞれが別の原因やシステムで血液型と関係していたり関係していなかったりするということ。まず問題となる「性格」がきちんと定義できないといけない。それをほとんどの人がやらない。
2011-01-14 10:38:59われわれの「血液型オタク」志向が爆発してしまった本。佐藤達哉・渡邊芳之「オールザット血液型~血液型カルチャー・スクラップブック」コスモの本 1996年
2011-01-14 10:40:48私がもっとも最近血液型についてきちんと書いたのは以下の本の「血液型神話解体」という章。サトウタツヤ・渡邊芳之「『モード性格』論 -- 心理学のかしこい使い方 紀伊国屋書店 2005年
2011-01-14 10:42:48ロールシャッハがどうみえるかとか足し算させた作業曲線がどうなるかとかで性格がわかるというのも「論理の仕組み」は同じ。 RT @daihiko: 「血液型で性格が分かる」というのは「鼻毛の長さで性格が分かる」と似たようなもの。じゃあ「ビッグファイブで性格が分かる」はいいのか?
2011-01-14 10:44:10しばらく前から私はパーソナリティアセスメントを「操作的定義型」と「占い型」に分けている。前者は質問紙法など「知りたい性格特性を操作的定義した内容を心理学的に測定する」もの,後者は「性格とは別のものの個人差から性格を類推するもの」。投影法や血液型は後者。
2011-01-14 10:46:09もともと血液型と性格に関係があるというアイデアのオリジネーターは医学分野であるようです。むしろ「性格」が自然科学的に扱いづらく科学的に扱おうとすると日常の実感から離れることがネックでしょうね。 @pukuma
2011-01-14 11:10:53「結論から言えば、われわれ心理学者は「実証的な理由」にもとづいて血液型性格判断は「科学的であるが正しくない仮説」と考えています。」同書p106-107
2011-01-18 15:25:44さて私はどう考えたんだっけかな。「古川竹二の1927年論文は科学。ただしその後、間違っていることがわかった。(略) 能見親子はウソをついたと言えるかもしれないが、疑似科学だとはいえない。彼らが広めたのは、間違えた科学である。」 http://ht.ly/3Fz2A 同じだ。
2011-01-18 15:28:31「では、われわれ心理学者はどういう理由で血液型性格判断を「信じない」のでしょうか。それには大きくわけて二つの大きな理由があります。そのひとつは「理論的な理由」、そしてもうひとつは「実証的な理由」と呼ぶことができるでしょう。」同書p98
2011-01-18 17:15:30「勘違いしてほしくないのは、客観的なデータを得られずに科学的に検討できないからといって、その主張や仮説が無意味であるとか間違っているとか断言することはできない、ということです。それらはただ単に科学的な検討の対象にならないだけです。その意味で、私たちが心の中で感じていることや、
2011-01-18 17:27:58個人的な体験、人と人との愛情のようなものの多くはそのままでは科学的な検討の対象にはなりませんが、だからといってそれらが無意味とは言えないでしょう。」同書p104
2011-01-18 17:29:01「実はこのテーマは大学の心理学科で学ぶ学生さんが卒論などで選びたがる人気のテーマです。(略)血液型との関係が、それこそ日本中の大学で統計的に分析されてきました」同書p120
2011-01-18 17:53:42水伝道徳授業をしてはいけないとする人は、性格と血液型の関係を大学の卒論テーマにするのもしてはいけないというのだろうか。
2011-01-18 17:54:17「血液型性格判断には科学的に信頼できる証拠が存在せず、かつ多くの反証がある以上、常識的に考えて心理学者が血液型性格判断を正しいものとして受け入れる積極的な必要はありません。これが、心理学者が血液型性格判断を信じない「実証的な理由」です」同書p122
2011-01-18 21:02:02【再ツイート】水伝道徳授業をしてはいけないとする人は、性格と血液型の関係を大学の卒論テーマにするのもしてはいけないというのだろうか。
2011-01-19 06:53:06この問題には前提とする条件がある。1)水伝と血液型性格判断はどちらもニセ科学であり、批判の対象だとみる。2)水伝道徳授業はしてはいけないとこれまで言ってきた。
2011-01-19 06:57:57もうひとつ予想される答えB(さっきのは答えAとする)。水伝はニセ科学だが、血液型性格判断をニセ科学といってたのを自己批判して取り下げる。科学だと認める。そのうえで、血液型卒論を容認する。
2011-01-19 07:09:05答えC。どちらもニセ科学だと認めた上で、水伝道徳授業はしてはいけないが、血液型卒論はかまわない、とする。ダブルスタンダードを白昼堂々つらぬく。
2011-01-19 07:12:07