批判するなら自分で語れ - 私のデヴィッド・ボウイ論
デヴィッド・ボウイ特集に寄稿しました。書誌情報は、田中純「★の徴しのもとに──デヴィッド・ボウイの「晩年様式(レイト・スタイル)」」、『ユリイカ』第48巻第6号(2016年4月号)、青土社、2016年、90〜94頁。
2016-03-26 08:21:21ユリイカ4月号で、松井領明氏の訳されたイギー・ポップ、ミック・ロック、リンゼイ・ケンプのインタビュー記事は、時間が経っても読みごたえがあると思う。湯川れい子の談話は予想以上に面白かった。洋楽の話題以外ではわたしには?な発言もある方だけど、正直なんでしょうね、きっと。
2016-03-29 18:54:51読みたいと思っていた方々の論考はいずれも素晴らしいが、そのほかの方々の寄稿にも感銘を受けたユリイカのボウイ特集。建築関連の書籍で貪るように拝読した田中純氏の論考の切れ味が鋭いのみならず、泣きたくなる切なさという意味では土屋昌巳氏のボウイへのお別れの言葉と甲乙つけがたい。
2016-03-29 19:08:31ユリイカのボウイ特集で目から鱗だったのが、アメリカ文学者の高村峰生氏の論考。こうした特集記事だと、学術的な用語を使って、自らの専門分野に力技で持ってきた印象で、見当違いだと誰か言って差し上げれば?みたいな学者さんの論考も散見するが、田中氏や高村氏の文章にはそうした部分がない。
2016-03-29 19:30:39田中純氏の論考 「晩年様式」というキーワードでBowieの所謂「メメントモリ」な側面にひとつの考察のヒントを投げかけていて、Bowieを考える時の新しい入り口がひとつ出来た感あり。 Bowieが聴衆と結んだ関係性を考えるひとつのキーになる考察。
2016-03-30 03:06:31田中純氏の考察は「カーテン落とし」と私が呼んでる実はそこに厳然と在った窓のカーテンを開けて未だ見ぬ世界を見せてくれるもので、何も決めつけておらずBowieと私の間にconfrontするものでもない。そうゆうところがただのずぶのファンにはとても読みやすい。
2016-03-30 03:32:34↑@tanajun009氏のRT群
BBCでも観てれば、あるいはwikipedia読めば、誰でも知ってるような話(ex. プレスリーとの関連)、ああいうのはまあ日本の読者には需要あるだろうから、無意味ではないんだろうね。
2016-03-30 01:25:02手厳しく言えば、日本では音楽素養のない人が、音楽を語りすぎるってことです。なんでそこで人文系の研究者が出てくるんだよ。まだ物理学者や数学者のほうが適任だわ。
2016-03-30 01:27:00「言葉遊び」で片付けたり、「誰でも知っている」と決めつけたり、それこそ無意味な。 twitter.com/thinklair/stat…
2016-03-30 01:27:40全編通して、楽譜がまったくでてこない、音楽理論に触れない、なんとおそまつな特集だろう。 企画全体を見るとジョーク、あるいは、ソングライター、デヴィッド・ボウイへの冒涜ともいえるようなものだけど、 個々は「こういう論考もあっていいでしょう」と言え、面白くはあった。
2016-03-30 01:30:06これも典型的な非生産的な批判なので晒しておく。「音楽理論」で語ってもいいが、どう語るのかをなんら示せない。ボウイの音楽は文化現象であったわけで、多様な論じ方がありうるし、あって当然。 twitter.com/thinklair/stat…
2016-03-30 01:34:31言葉遊び(ダジャレ)できる自分に酔って、自身で信じているかあやしい記事垂れ流すなよ。人文系全体にありがち。真実発見より、独立したコンテンツとしての面白みが重要だからだろうね。評価基準はそれだけでいい。だから北村氏とかは面白いから合格で、田中氏とか高村氏とかはつまらんからぺけ。
2016-03-30 01:34:46これも「真実」などと書いているが、地道に他者の議論に付き合おうとするわけでもなく、自分の独断が通用する「面白さ」に落とし込んで勝ったつもりになっているだけ。晒しておく。 twitter.com/thinklair/stat…
2016-03-30 01:38:02天下の東大の先生でいらっしゃるんだから、もっとでんと構えていればいいのに twitter.com/tanajun009/sta…
2016-03-30 01:53:10