- Waisetsu_B
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まあ、元々のツイートは雑な上にめったくそ主語もでかくなっているのでそこだけは本当に悪かったと反省しているし、批判も当然だと思っている。
2016-07-08 15:06:33さっき貼った柴田某に限らんが、「ポリコレ」という単語を使うやつがPC概念を理解してる事案ってほぼないつってもいいんでないかという確信が最近あってな。
2016-07-05 23:40:41一昔前なら「理想主義」とか「アメリカンドリーム」と言われてたようなものを、そういうのが気に入らない人たちがポリコレとかPCとか言ってるだけでしょうねぇ。『ズートピア』みたいな作品はたぶんフランク・キャプラ以来の理想主義的諷刺喜劇を正統的に受け継いでいるものだと思いますが。
2016-07-06 00:36:12私もあんまりディズニーは好きじゃありませんが、最近のディズニー映画を知ったかぶりで批判している批評家っぽい人たち(まあ数人ですけど)はフランク・キャプラとかアメリカの古典的な喜劇映画を全然見てないか、あるいは好きでは無いのだろうなぁと思う時があります。
2016-07-06 00:40:28映画や演劇の批評では、褒めるつもりでもけなすつもりでも「ポリティカルコレクトネス」を持ち出した時点でもうダメだと思いますね。あれはパブリックスピーキングや広告の批評で使われるべき概念でしょう。映画や演劇で使うべき概念は「倫理」とか「理想」とか「ステレオタイプ」とか。
2016-07-06 17:09:44すいません、私が考えていたことはちょっと違います。「ポリティカルコレクトネス」というのは外に表れた表現様式だけに言及する語であって、コンセプトとか、「なんでそういう表現が使われるのか」ということに言及する語ではないからです。 twitter.com/odg1967/status…
2016-07-07 09:29:22ポリティカリーにコレクトかインコレクトかは作品の評価とは無関係ということでは。コレクトであるからという理由で評価が高くなることはないだろうし、作品として評価が低いということはインコレクトだということと区別されるべきだし。
2016-07-06 17:33:20RTs。しばらくついった見ていなかったので出発点がどこか今ひとつわからないのですが、PCってそもそも「この程度は最低限気にしておかないとヤバいことになるかもガイドライン」的なものだからそれ自体は退屈に決まってるし、PCは作品評価の基準にならないというのはそういうことではと。
2016-07-07 09:30:01→ でもって、最近のディズニーそのほかの合衆国大手エンタメ系の作品の傾向は、それ自体は退屈なはずのPCをある程度消化した大ヒット作品が出てくるようになった、それによって「PCは退屈だから無視」はマスを相手にした作品ではもはや言い訳として使えなくなった、という所にある気が。
2016-07-07 09:35:54→ PCがマジョリティの自己防衛的な側面を持つ以上、当然PCに準拠する作品からこぼれ落ちる政治性なんて山ほどあるわけで、批評はそこを見ることになるから、作品をあくまでも「政治的」に見るタイプの批評であったとしてもPCか否かは「批評」としては使えない。
2016-07-07 09:45:09→ 裏を返せば、「PCだから退屈」というのも批評としては何も言っていないに等しい。どのような「政治的正しさ」がどういう文脈でどういう形で表現/黙殺/違反されているのか、それによってどういう効果が生まれて、それがどう面白く/退屈なのか、というのが問題なわけだから。
2016-07-07 09:49:06→ 「PCに違反しているから面白い」というのも、当然、何も言っていないに等しい。確かに「やれと言われたことに逆らう」ことにはシンプルな楽しみも政治的可能性もあるけれど、「逆らった」つもりで単により一般化された「命令」に従っているだけであれば、それこそ退屈な従順に過ぎないし。
2016-07-07 09:54:44→ ちなみにクィアについて言えば、批評におけるクィアは明らかにPCとは相性が悪い。PCが「ここまでは認めてあげないと色々厄介なことになるからね」というのに対して「認めてあげるって何様お前」っていうのがクィアなので。ただ同時に、批評における「クィア」は明確な政治性を持つものなので→
2016-07-07 09:58:19→ 「PCではなくてクィアだから面白い」と批評するためには、単にPC糞食らえではダメで、PCのどの部分にどういう政治的文脈でどの立場からどうF***Uを突きつけるのかが問題になる。みたいな話は20年前にニュー・クィア・シネマをめぐって散々されたので、興味ある方はご参照くださいw
2016-07-07 10:04:42僕もアメリカでの用法のことは全然くわしくないんですけど、英語でのPCという言葉の使われ方を見ていると「放送コード」に近いもので、そんなに重きを置かれている言葉ではないような気がするんですけど、日本ではあらゆる左翼思想を内包するリベラリズムの本尊みたいに誤解されつつある気がする。
2016-07-08 09:35:38この世のどこかにアントニオ・ネグリ著『ポリティカリー・コレクトネス』みたいな大著があって、左翼はその聖典をもとに世界を再構成しようとしている的な。実はポリティカリーコレクトというのは要するに中立無色透明なお役所言葉みたいなものであって、過剰に左翼的なものも排除されたりするはず。
2016-07-08 09:39:35鼻が高こうて白うて胴が短いっていうのが映画の中心だったからこそ、それがきれいっていう標準になるんで、足が短こうて胴が長いのを美の中心に持っていこうとする努力、ブスやっていわれても、それが美しいんや、という表現が、必要あるんじゃないかと私は思いますけどね
2016-07-08 15:14:58そういや、のうりんポスターのとき、フィフィが「ふしだらで不健全!」と怒ってて、ウヨオタが「日本をイスラム圏にする気か!」とかキレてて、サヨが「岐阜県民は男尊女卑!」とか「このポスターがおかしいと思わない奴は精神科にいけ!」とか言い出したり、各方面の差別意識ヤバくて地獄絵図だった。
2016-07-08 06:23:58強烈な内容の為にネットを放浪した「1988年の強姦」(規制回避の為改題「1988年10月」)、日本精神の体現者達との不毛な対決を描く「”誇り”高き人々」等に加え、新作短編やエセーを追加した戦慄の作品集「混血テロル」、破滅派より発売! hametuha.com/series/%E6%B7%…
2016-06-14 14:06:06俺は混血として、ポリティカルコレクトネス・PCを「信用」出来た事はない (勿論これを「ほら少数者・弱者自身が否定してるぞ」と扱って欲しい訳でもない) 権力がPCを言い出せばそれは規制になる PCを推進する人間が「男殺せ・女殺せ」「復讐」な明らかにPC的でない作品を推すのも見てる
2016-07-08 02:10:41日本において未だポリティカルコレクトネスが少数者・弱者の道具になれる事はない ただ自分の身の回りの事に自分の気付けるだけの感覚で抵抗していくしかない 他の言い方をするなら、俺は混血として「自分が特別」より「自分は当然」にならなければいけないとも思うので、PCと相性も悪いかな…w
2016-07-08 02:12:41混血、また一表現者として言うならば…破滅派のインタビューに書いた通りで 加えれば俺はこれからも 老若男女日本人肉体精神チンコオマンコ全て引き倒して「お前らにそう違いはないのだ」「社会をエログロ混沌と多様性に陥れろ」と言う事だ 「誇り高き人々」も「1988年の強姦」もそんな物だ
2016-07-08 02:17:31>>RT このポスター、既に批判も色々あるだろう 「反選挙も一つの戦略」と言う人はいるし、俺としては「童貞(処女)」を恥扱いしたり「(皆が頭に浮かべる)『10代の初体験』を和歌山県当局や権力が認めてる筈が無い」のにここでネタにする事が胡散臭い部分もある だがそれでも良い表現だ
2016-07-08 01:26:40