日本のアジャイル10年史 -kussy_y編-
わたしがXPを知ったのは確か2001年。なんと出向先の顧客(ギークなエンジニア)に「XPというものがあるらしいので、それを肴に酒を飲む会」に呼ばれたのがきっかけ。
2011-02-13 11:50:29XPなるものがなんだかぜんぜんわからず、それでも顧客との飲み会なので予習しようと思って、自由が丘の不二書店で1冊だけあった白本を買った。
2011-02-13 11:51:19そして、当時はXPについてある程度知ることができたが、まだ「アジャイル」という言葉は全然聞かなかったように思う。
2011-02-13 11:53:08春先にXPに出会い、いろいろ調べたら「XPユーザ会」と「オブジェクト倶楽部」に行き当たった。当時は全盛だったMLのメンバーになった。その登録をした日が自分の誕生日だったことを、今でもはっきり記憶している。
2011-02-13 11:54:27MLはずっとROMだった。たまーにレスしたこともあったが。コミュニティデビューは2001年の冬、オブラブクリスマスイベントである。そのとき、アイスブレイクでペアを組んだのが本間さんだったことは、今更ながら縁を感じる。
2011-02-13 11:55:47自分が現場でXPを使うことは、ほとんどなかった。いくら読んでも自分の現場に使えるとは思えなかったから。わたしはそれから、コミュニティにもアジャイルにも、5年は距離をおくことになった。エンジニアとして最も忙しく、泥臭い日々を過ごすためだった。
2011-02-13 11:57:03自分の運命を変えるプロジェクトのマネージャになった。携帯電話のシステムテストチームの取りまとめという仕事である。
2011-02-13 11:57:46自分はプログラマだが、プログラミングもしない。20人からを率いるリーダである。テストすらしている暇はない。何をしたか?チームをもり立てること。それに専念した。
2011-02-13 11:59:13そして、生涯で最高に忙しく、疲弊したプロジェクトは終わった。携帯電話という、コンシューマ向けの製品が発売され、自分たちが関わったものが世の中で使われていることに、激しく感動した。ここで初めて「顧客と繋がる」ということが何かをわかった。
2011-02-13 12:01:00しかし、プロジェクトを終えたわたしは、燃え尽きていた。このプロジェクトを通して、わたしはある程度の評価を得ることができた。それが逆にわたしを疲れさせた。ここまでしないと認めてもらえないのかと。
2011-02-13 12:03:16会社を辞める決心をした。しばらくは上司に引き止められた。そして最後に「改善をやってみないか」と言われた。それまで上司の説得には何も感じなかったが、なぜか改善という言葉にはひっかかった。そして、わたしはそれを受け入れた。
2011-02-13 12:04:22それでも改善が何かは、まったくわからないままのスタートだった。今では登壇者としてお世話になったJASPICに行ってみたり、セミナーに行ったり。
2011-02-13 12:05:10よく発表で使っているチームの改善推進担当を始めた頃、プロジェクトファシリテーションを知った。2005年の終わりごろだったと思う。白本と改善を繋ぐ考え方だと直感した。そしてわたしはまたコミュニティに戻って来た。
2011-02-13 12:06:29プログラマを卒業し、改善活動の推進担当として会社に残ったわたしは、トップダウンの「やらされ感」いっぱいのとあるチームに支援に入った。そのチームは、チームというにはあまりにも未熟であった。チームの中で何かあると、リーダからして誰かのせいにするし、メンバも全くやる気がなかった。
2011-02-13 23:23:38実に不幸なチームだった。常に一緒に行動するようになって、どうにかこのチームをチームとして成り立つ存在にしたかった。何をしていいかは全くわからなかったが、とにかく「かんばん」と「朝会」ができるように仕向けた。
2011-02-13 23:25:09仕向ける、というのは「こうしなさい」ということではない。わたしがやったことは「まず小さくやってみる」ことだった。それが「あれ、何となくいいんじゃないか?」とか「自分たちもやってみたい」と思わせるようにすることだった。
2011-02-13 23:26:11そしてチームは、様々なプラクティスを自分たちからやってみたいと言うようになった。チームが何を目指しているのか考えるようになった。お互いをフォローしてチームが成功することを目指すようになった。
2011-02-13 23:27:25これらの活動をしているとき、わたしはアジャイルという言葉を一度も使ったことはない。それどころか、自分自信もアジャイルを意識したことはない。常に考えていたのは「このチームを最高に成功体験をもたらしたい」ということだけだった。
2011-02-13 23:28:27目標であったCMMの公式アセスメントを迎えた。とても心配だったが、チームは見事にインタビューを乗り越えた。すべて自分たちの言葉で返答していた。何を目指して日々を過ごしているかを言えた。もちろん、目標は到達した。
2011-02-13 23:29:41リリース後にはパーティーを。CMMのアセスメント終了後にも、飲み会が開催された。そのとき、一緒に活動してきたこのチームのリーダーに、泣かされた。「改善活動しててよかったのは、串田さんと出会えたこと。」一緒に仕事できたこと、じゃなくて出会えたことと言ってもらえた。今でも泣ける。
2011-02-13 23:31:45この経験を何としてでも発信したかった。無茶だと思ったけど、やりたかった。自分の知る範囲でできる最大の挑戦はPMIフォーラムだった。応募した。通過した。そしてこのリーダと二人で、50分間の事例発表に挑戦した。タイトルの中に「ファシリテーション」が入っていた。2006年の秋だった。
2011-02-13 23:33:23ここでわかったことは、白本には書いていなかった。いや、「そのまま」書いてあったわけではない。自分の経験をふりかえり、もう一度白本と照らし合わせれば、同じ意味のことは書いてある。ここで「テーラリング」を体感した。
2011-02-13 12:02:12改善を学ぶ中で「テーラリング」という言葉をようやく知った。白本はそのまま使えない。いや、使っちゃいけない。それは改善でCMMIなどを用いるときと同じように、モデルをそのまま適用してはいけないのと同じ。
2011-02-13 12:08:23この10年間に、わからないながらも得てきた知識は、わたしにとって改善活動の中でこそ生かされてる英知。それがチームの成功の輪郭を示し、最終的にチームとビジネスの成功になるために。
2011-02-13 12:10:02