- hiroki_daichi
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ソーシャルな紐帯というのは、「システム的に用意されたペルソナを経由せずに、主となる人格を互いに公開し、相互許諾してつながっている状態」というのも曖昧だが、1つの定義になりうるかな。
2010-03-19 01:40:34ソーシャルな紐帯というのは、「継続的に対面のコミュニケーションを行う機会(期待)のある2人が相互許諾してつながっている状態」もさらに1つ。
2010-03-19 01:40:54ソーシャルな紐帯というのは、「一度でも実社会での立場を公開したコミュニケーションをこなったことがある人同士の相互許諾してつながっている状態」も1つの定義
2010-03-19 01:41:12ソーシャルな紐帯というのは、「実社会的認知のあるコミュニティーの媒介を経由して、知り合いとなった2人が相互に許諾して、つながっている状態をいう。」のも1つの定義
2010-03-19 01:41:30Facebookでは、「実社会認知のあるコミュニティー」をネットワークという類概念で統一的に取り扱っている。
2010-03-19 01:42:57英語的な源義からすると「実社会に認知されたコミュニティ」の仲介をもとに..としてしまって差し支えないかもしれないが、
2010-03-19 01:47:19これらの紐帯が途切れるケースは2つのパターンがありそうだ。 1つは、「相互の人格がつよく結びつきすぎて、嫌悪になり途切れる」。というもの。 もうひとつは、「特に重要な接続ではないので、何かの折に切ってしまう。」というもの。
2010-03-19 01:45:04SNSが出会い系2.0なんだぜ!という古めかしい論旨に乗っかってしまうと、適度なペルソナが人格にお化粧して、大胆になれるよね!っていうのがアバターとかの効果だったりするんだと思う。
2010-03-19 01:52:18「コミュニケーション欲求の強い30代男性と」「心理的な自己顕示欲求のつよい10代女性」が互いのペルソナに期待をしながら、コミュニケーションをする というような熱量に比べて、社会的実体を解したコミュニケーションの熱量が大きいとは思わない。
2010-03-19 01:49:21ペルソナを介さず、社会的実体による紐帯の信頼性を担保してやると情報伝達の信頼度や紐帯の不揮発性は向上するが、結果的にコミュニケーションの熱量に減退傾向がみられがち
2010-03-19 01:53:47この仮面舞踏会的な姿によって、GREE/DeNAのソーシャルアプリは生理的欲求を美味いこと課金につなげている。
2010-03-19 01:57:31で、ペルソナを意図的に排除しているタイプのソーシャルメディアでは信頼度の高い紐帯を介した情報流通に期待が高まっていると。そういったところか。
2010-03-19 01:59:40さらに続ける。情報流通の最大化を考えたときに、複雑ネットワーク的には弱い紐帯の効果が知られる。クラスタリング属性の異なる2つを結合するとネットワーク全体の半径が縮まるという効果だ。
2010-03-19 02:09:10バイラルマーケティングという言葉が適切かどうかは分からないが、それぞれの紐帯の情報の再配布確率が一定ならネットワーク半径が小さい方がよりよい情報網だと言えるのは、コンテンツ流入量に対して、リーチ数が最大化されるからだ。 リーチ数/コンテンツ流入量∝ソーシャルメディア価値
2010-03-19 02:12:12日本人、日本語文化圏は高モニター社会で、対人(対帰属組織)ストラテジーが多様になりがち。無意識化のペルソナを重要視しているので、社会的実体のあるネットワークの複数に対しての自己呈示が比較的苦手なのかもしれないとふと思う。
2010-03-19 02:33:43つまり、個ではなく、他から見た個というn個の人格が存在している。これが、ソーシャルメディア疲れなどの原因か?
2010-03-19 02:35:08そうだとすると単純な形でのfacebook的ネットワークの導入は、コミュニケーション熱量を萎縮させることがありうるのかもしれない。
2010-03-19 02:36:16