ロジックとアイデアル、または現実と空想の思考法について

人は思考をする過程において、しばしば事実の積み重ねを離れ、自由な空想をするものですが、それは時として危険な妄想に呑まれてしまうリスクを孕んでいます。妄想に呑まれず、かつ空想を自由に羽ばたかせるためにはどのような思考法が良いのでしょうか? 考察します。
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この一連のツイートに関する、フォロワー みうらさんのお考え。


イマジナリーみうらゆう @非実在トレーナー @himagine_no9

ここで言われる「空想レイヤー」というのは、私がよく使う「補助線」に近いものと思量される。

2016-08-04 18:19:52
イマジナリーみうらゆう @非実在トレーナー @himagine_no9

「空想レイヤー」の呼称が「現実レイヤー」との重ね合わせを前提するのと同じように、私の言う「補助線」も現実ベースに書き込むことを前提とする。その上で新たに見えてくることがあるのか否かを考える、言ってみれば対象物へ別角度から光を当てる行為でもある。

2016-08-04 18:23:02
イマジナリーみうらゆう @非実在トレーナー @himagine_no9

個人的に重視したいのは、事実ベースでの整合性の検証だ。現実の認識は事実に基づかねばならぬ。他方、その先の改善可能性については想像力を駆使しなければならぬ。これらが混同されるきらいが一般論として無いだろうか? 「こうあるべき」が事実認識よりも先に立つパターン。

2016-08-04 18:27:25

静かに @shi_zu_ka_ni

“思考”って言うのは、それがロジックだろうがアイデアルだろうが、いわば筋トレみたいなもので、使わない筋肉みたいに、使わない思考も決して発達はしないのよ。

2016-08-04 18:51:59
静かに @shi_zu_ka_ni

そして使わないから使い分けも出来ず、事実と妄想、現実と理想を無意識に混ぜて考えるようになってしまう。それも危険なくらい本気でね。

2016-08-04 18:52:28
静かに @shi_zu_ka_ni

そういうのを避ける意味でも、俺はそれらを可能な限り使いこなし、頑張って鍛えているつもり。自分なりに 。Twitterはそのためのトレーニング場だね。皆さんいつもご迷惑おかけします。

2016-08-04 18:54:28

補足が必要であるように思いましたので追記します。

この私のツイート“事実と妄想、現実と理想を無意識に混ぜて考えるようになってしまう。それも危険なくらい本気で”は、前述の““レイヤー”なのだから、二つを重ねて見ればいいということだ。重ねて見たときに違う地図が見える”とどう違うのか、について。

思考を“現実レイヤー”と“空想レイヤー”のふたつに分けて、それぞれ別々に検討してゆき、あるところでそれを重ね合わせるというのが私の思考法であると書きました。これのキモは、“それぞれ別々に検討する”と“重ねたり個別に見たりする”という部分です。それを別レイヤーとして保ったまま、使い分けることに意義があると考えたわけです。

それに対し“事実と妄想、現実と理想を無意識に混ぜて考えるようになってしまう。それも危険なくらい本気で”は、もともと混ぜるべきでない思考を、一つのレイヤー上で考えてしまっている部分に問題があると思っているわけです。

イラストなどを描かれている人ならお分かりになるかと思いますが、一つの作品を作るとき、レイヤーを残した状態のデータを作っておけば、後でどのようにも修正が利きますが、1レイヤーで全てを描いてしまったら、ヒストリーデータが消えれば修正は非常に困難になります。

これを思考法というジャンルにあてはめれば、事実の集積であるロジックと、大胆な飛躍であるアイデアルを同一レイヤー上で展開すると、何が事実で、何が空想なのか自分で見分けることが困難になり、やがてそれは非常に危険な“妄想”という形になって、他人や自分に襲いかかるようになると思われるわけです(余談ですが、論拠はないものの精神疾患である統合失調症の原因の一つとして、このような思考法のクセが関与しているのではないかと睨んでいます)。これを避けるために「別々のレイヤーで考えましょう」と提唱するのが、この一連のツイートの目的です。

Twitter上では、システム上ロジックとアイデアルを分けて表示することが出来ませんので(別アカウントを使うという手もありますが、煩雑です)、ロジックとアイデアルをシームレスに行き来していると、第三者にはしばしば「妄想だよね、これ」と見えてしまうだろうことを予測し「そうじゃないんだよ、レイヤー分けして考えているんだよ」とお伝えするためにこのようなまとめを作ったわけです。


過去の哲学者がロジックとアイデアルを駆使していかにパラダイムを築いていったかについて、非常に分かりやすい記事がありましたのでご紹介させていただきます。こういう突飛な考え方を過去の哲人も行っていたことがお分かりいただけるでしょう。

リンク カラパイア この現実は幻想?我々の住む世界は悪の天才によってコントロールされたシミュレーションであるかもしれない(哲学者) : カラパイア いよいよ中2っぽいタイトルとなってきたが、これはノートルダムオーストラリア大学で、哲学者であり上級講師のラウラ・D・オリンピオが講演したものである。 今、我々がいる場所は我々が考えているような場所ではなく、我々は悪の天才によって実施されている科学実験

 

リンク カラパイア 哲学者が考えた奇妙な10の思考実験 : カラパイア 知の探求者であるところの哲学者というものは常に何かを考える病に取りつかれているものだ。そしてそれを検証しようにも、倫理的観点から実験できないこともあるし、折角実験の許可が与えられたとしても、単純に現実的にできないこともある。 そうした場合に頼りになる

静かに @shi_zu_ka_ni

何か書いて論が飛躍し過ぎてたりすると「バカかこいつ」と思われるし、間違ってると「それ、違いません?」とツッコミも入る。恥ずかしい。恥ずかしいけどそれでいい。そうやって鍛えられるのだから。

2016-08-04 18:54:42
静かに @shi_zu_ka_ni

そういった意味で、いささか気取った言い方をすれば、こうやってダベってるのって、古代アテネの市民がアテナイの学堂で、好き勝手な議論を交わしながらその思考をまとめて行ったのと、少し似てる状況なんじゃないかな、と思ってるよ。

2016-08-04 19:02:58

オマケ