音楽って愚直な行為で、言葉にならない煩瑣なことで大半の時間が過ぎる。意味を求め始めアタマがよくなると音楽は後退してしまう。不器用に、愚直に、意味を超えた質と向き合うところからすべてが立ち上る。

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Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

どんな小さな作品でも、通して演奏し、きちんと造形すれば、そこには限りのない、一つの表現の可能性がうまれるものです。どんな小さな実験でも、現実の系を扱えば、指導要領などで不自然、人為的に切り分けられた単元を超えた自然現象の実体が顔を表すでしょう。それがないのはゲームの一種と心得る。

2016-09-05 06:05:16
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

一生懸命やっている奴というのは、ちょっとしたレスポンスですぐわかるものです。いろいろポカがあっても、努力している人は基本、彼・彼女のペースに添って応援。そうではない、何となく調子を合わせてる風のものとは、1レッスン45分程度でも天地ほどの差が開いてしまう事も珍しくないでしょう。

2016-09-05 06:17:58
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

若い人が気が多かったり、あれこれ目移りしたりするのは普通の事だし、好奇心を持っていろんなものにアクセスするのもむしろいいことだと思う。ただ、どれもつまみ食いで、一つも本腰を入れてがっぷり四つに組んで格闘する対象がなければ、何となしの薄い感想家に終始してしまうでしょう。勿体ないです

2016-09-05 06:20:51
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

あと一見一生懸命やっているようにみえても、自分のためにやっているもの、あえていえば「道楽」はやはりそれと解ってしまう。おのれを空しうして虚心に集中するものはそれとハッキリわかります。自分の欲得で周りを振り回すのではなく、目の前の出来事のまえで謙虚にベストを尽くす習慣。難しいですが

2016-09-05 06:24:36
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

これは自戒を含めでですが、我流は限界が明らか。自分自身の手ごたえを持つのは大事だけれど筋の良いオーソドックスな基礎をバカにしていては何も出来ない。例えば僕のフランス語、初級レベルが今も怪しく幾度も初歩をやり直して身に着かない。ザルでも、ずっと水を汲み続ければ入ってるように見える式

2016-09-05 06:31:43
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

恵まれた環境に育ち目から鼻に抜ける器用さもあったのに、自分の何かを人に誇示して満足のタシにするべく音楽している様な者は長続きしない。どこかで最低一回は折れ、下手するとそれでつぶれてしまう。むしろ当初は不器用でもよい、延々長年努力し積み重ねたものが大きく花開き残る。他にも通じる話。

2016-09-05 06:36:36
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

昨日のベルリオーズの譜読みで、一番細かく刻んでいる声部に合わせてそれが美しく響くテンポ決定という話をし、実際に演奏した訳ですが、これを合奏のコツ、便法と思って理解すると相当勿体ない。エクリチュール、音楽を作るという本質に関わる事として実際にアンサンブルで再現していることに留意。

2016-09-05 08:21:27
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

あまり良くない意味で「我」が見えると全体を損ねる。自分自身でいえば写真とかしゃべってるヴィデオとか見るのは大の苦手である。演奏している自分の映像などを見る事が出来るのは、十分準備したものであればそこに一つの「無私」があるから。逆に生煮え演奏の録画などは封印というより焼却処分^^;

2016-09-05 08:24:06
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

僕が50前後から考えを変え、東大でもノンプロの学生に音楽を教えるようになった一つの理由は「すべての部分で自ら手を動かす」事を学生諸君と共有するのが重要と思うからなのです。譜面をゼロ段階から書き、パートを作り、一人ひとり仲間をインペクし、ピアノを弾き自分で歌って準備し練習初日に臨む

2016-09-05 11:24:29
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

音楽って愚直な行為で、言葉にならない煩瑣なことで大半の時間が過ぎる。意味を求め始めアタマがよくなると音楽は後退してしまう。不器用に、愚直に、意味を超えた質と向き合うところからすべてが立ち上る。そういう時間を減らしてしまった、極北のような東大での時間を過ごしてきたことの功罪。

2016-09-05 19:08:42