9.11
- Absolute_Ken
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テロ前日。2001年9月10日の出来事。
15年前の今日この時間は、ブロードウェイでミュージカル「RENT」を見終わってホテルに帰ったくらいかな。まさか翌朝にテロが起こるなんてこれっぽっちも想像せずに、朝からワールドトレードセンターに行こうか、それともメトロポリタン美術館に行こうか迷ってたっけか。
2016-09-11 12:14:512001年9月11日。米同時多発テロ発生当日からすったもんだの末帰国するまで。
15年前のこの時間は、ホテルで頭上を通過するジェット機の音はなんだったんだろうって思いながら、メトロポリタン美術館に向かって地下鉄に乗っていた。地下鉄を降りて地上に出たらパトカーと消防車が走りまくっていて、アメリカすごいって思った。まさかテロが起こってるなんて想像すらしなかった。
2016-09-11 22:18:58その後、メトロポリタン美術館の前のホットドッグスタンドで買ったホットドッグを食べながら、開館時間になっても開かないのを「アメリカは時間におおらかすぎる」と思いながら待ってた。しばらくすると警備員が出てきて「今日は閉館だ。理由はわからない。」って言われてキョトンとした。
2016-09-11 22:24:45しょうがないから5番街でも行くか、と地下鉄の駅に向かったら、地下へ向かう駅の入口に黄色いテープが張ってあって、「なんだよどうなってんだよアメリカは」と思いながらセントラルパークの中を歩いて5番街に向かった。パトカーと消防車のサイレンの音はさらにけたたましくなってた。
2016-09-11 22:29:23セントラルパークの中を歩いていると、母親と子どもが早足で歩いてきたのだけど、「テロリズムってなに?」と子どもが母親に尋ねてるのがすれ違いざまに聞こえて、なにが起こってるか知らない僕はそこでもまだ「親子でテロについて会話するなんてアメリカすごい」としか思ってなかった。
2016-09-11 22:32:58どれくらい歩いたのか記憶が定かではないけど、ストリートパフォーマンスを見たりしながら、サイレンの音が鳴り響く中をミッドタウンに辿り着いたら、ナイキタウンやらティファニーやら店が全部閉まっていた。アメリカ2日目でなにもわからないから、休業日じゃなくても休むのかくらいに思ってた。
2016-09-11 22:41:03しょうがないからタイムズスクエアに向かった。すごい人だかりができていたのだけど、映画の撮影をしてるのかとワクワクしながら近づいていった。みんな巨大スクリーンを見上げていたから目を向けると、ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込む映像が流れていた。映画のワンシーンだと思った。
2016-09-11 22:45:14周りの人たちが「Oh my God」と口々に言ってるのを見て、まだ本当に起こったことだと知らなかった僕は「生オーマイガやで」と感激に浸っていた。でもみんなの様子がおかしいので「これは現実なの?」と隣にいた人に尋ねたら、「テロだ」と。繰り返される映像を見ながら、ただ言葉を失った。
2016-09-11 22:49:14タイムズスクエアにいてもなにもできないので、ホテルに戻ろうとダウンタウンに向かって歩いていたら、埃をかぶった人たちと何度もすれ違った。それでもまだ現実感はなくて、やっぱり映画のワンシーンのようにしか思えなかった。それよりも「これからどうしよう」と考えるのが先だった。
2016-09-11 22:59:13ニューヨークで数日観光を楽しんでから、留学を予定していたテキサス州の学校を下見するはずだったので、予定通りに進まないと心の平穏を失う僕は日程のことの方が気になってた。でも、マンハッタンは完全に封鎖され、空港も全部閉鎖されて、身動きがとれなくなった。
2016-09-11 23:06:23飛行機の日程を変更するために、マンハッタンにある航空会社のサテライトセンターに毎日のように足を運んで、やっとテキサスに向かう便がとれたからラガーディア空港に向かったら、ショットガンを持った警察官たちが空港の敷地の入口に立っていて入れなかった。空港も閉鎖されたままだった。
2016-09-11 23:11:39結局その日、空港は再開されなかった。同じように空港の外でフライトを待ってる人がたくさんいた。夕方に僕たちが待っていた空港前の交差点に、なぜか大量のピザが配達された。その日は、そこで知り合った現地の日本人と一緒に空港近くのホテルに泊まった。翌日も空港は再開されなかった。
2016-09-11 23:17:20翌日、ようやくフライトが再開されると聞いて、現地の日本の方と一緒に空港に向かった。すると、前から航空会社の制服を着た人たちが「空港が燃えている。逃げろ。」と叫びながら走ってきた。すんげー重たいバックパックを背負ってたのだけど、とにかく全力で走った。生きた心地がしなかった。
2016-09-11 23:22:51またマンハッタンに戻るしかなくなったので地下鉄に乗っていると、今度は「爆弾が仕掛けられているという情報があったので降りてください」とアナウンスがあり、見知らぬ駅で降りるはめに。どうやってマンハッタンに戻ったのか覚えてない。地下鉄の再開を待ったのか、タクシーを拾ったのか。
2016-09-11 23:26:40不幸中の幸いだったのは、飛行機が全便キャンセルされていて外から誰も入って来れないから、マンハッタンでの宿泊先に困らなかったこと。最初に泊まっていたホテルにすんなり戻ることができた。それからは飛行機が再開されるまでニューヨークを楽しむことにした。
2016-09-11 23:29:32ラガーディア空港で知り合った日本の方が誘ってくださったので、その方の家にも泊まらせてもらった。お寿司屋さんやビーチに連れて行ってくれた。ホテルでバイトしてた日本人の学生さんたちも親切にしてくれたし、困っていると(ずっと困ってたけど)いろんな人が声をかけて励ましてくれた。
2016-09-11 23:35:44地下鉄を降りて地上に向かうときにベビーカーを押している人がいたのだけど、階段の手前でスーツを着た男性がスッと自然にベビーカーを持つのを手伝って階段を昇っていったシーンが印象に残ってる。父親なんだろうなと思っていたら、通りすがりの人だった。今はみんなやってることだとわかるけど。
2016-09-11 23:39:37結局、予定を大きく超えて2週間近くニューヨークに閉じ込められたのでテキサスには行けなかった。ニューヨークに行くまではまだ留学の決心がついていなかったけど、テロの後に出会った人たちや街にいる人たちの親切心やポジティブさに触れて、この国で生活してみたいと思った。そして現在に至る。
2016-09-11 23:45:16帰国後の雑感や本人とは違う人たちに起こっていたこと、留学後に感じたテロの影響、いま思うことなど。
世界はあのときよりもずっと危険で生き辛くなってしまったけれど、ああいうときに励ましあったり支えあったりできる人間性を失わない限り、きっともっといい世界を作っていけると信じてる。信じたい。そういう気持ちを思い出させてくれる。9月11日は僕にとってそんな1日。
2016-09-11 23:50:07ジェット機の音を聞いたり、煙の匂いを嗅ぐと、今でも一瞬であの日に引き戻される。忘れてしまったこともたくさんあるけど、忘れられないこともたくさんある。ひとつハッキリしているのはあの日あの場所にいたから今の自分があるってこと。生かされているって気づいてしまったのだから、生きていこう。
2016-09-11 23:59:139.11で犠牲になった人たち、9.11以降に戦争やテロで命を奪われてしまった多くの人たち、そしてその人たちの家族や友人の魂に安らぎが訪れますように。
2016-09-12 01:29:16