最上義光プロジェクト
@mogapro
また、当然ながら侵攻の過程で上杉勢が村を焼き払う、周辺の村落から食料を調達することもあるわけで、そういう行動を最上領の民は脅威と感じていたわけです
2016-09-12 23:31:00
最上義光プロジェクト
@mogapro
直江兼続の撤退戦が見事であることは繰り返すまでもありませんが、最上領に深く入り込んだ他の一部上杉勢は撤退に失敗し、最上側に降伏しておりますことを、付け加えておきます
2016-09-12 23:32:30
最上義光プロジェクト
@mogapro
最上側の戦い方も吉川弘文館『人物叢書最上義光』、柏書房版『最上義光』で簡単に読めるようになりました。この機に是非、上杉・伊達側からだけではない慶長出羽合戦も、お読みいただければと!
2016-09-12 23:34:34
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@mogapro
関ヶ原に関わる城攻めをみていて感じるのは、防衛力のある城に本気で籠もられたら、落とすのは容易ではないということですね。どの戦いも、攻め手が戦下手とはまったく思えません
2016-09-12 23:36:08
最上義光プロジェクト
@mogapro
あ、ちなみに関ヶ原時の最上義光子息の動向です ・長男:伊達へ援軍を依頼に向かう ・次男:第二次上田合戦参戦 ・三男:父とともに山形城を防衛 ・四男:徳川家康の元に人質に出される
2016-09-12 23:51:51
最上義光プロジェクト
@mogapro
もうひとつ補足。慶長出羽合戦はお東=義姫が、伊達側に援軍を頼むうえで大変重要な役割を果たしています。しつこいほどに手紙を留守政景に送っているのです。お義はよくがんばった!
2016-09-12 23:52:42