@Abraxas_Aeon 例えば近所付き合いや小さな人間関係から国家や国際問題、宗教に至るまで、ある種普遍的に機能してきたものであり、今、我々が超克したい何ものかであるのではないかと考えています。
2011-02-20 21:37:42@Abraxas_Aeon まさにそうですね。ある意味そのような排他性こそが共同体の定義、存在には不可欠であり、それを含まなければ共同体とは呼べない…それこそが、具体的なケース、
2011-02-20 21:37:13@KANAH0 丁寧に返信いただきありがとう。独特の引き込まれる文章すね。正面から返答するには力不足ですし、そもTwitterに向いてないので、斜め向きにポツポツ書いていこうかとおもてます。
2011-02-21 03:12:25ではまずこの辺から。昨日「比較」について書いたけど、俺が「内在的な比較」と呼んだものは、スケールの階層性を前提にしない考え方です。RT @KANAH0 Twitterがmixiと異なり異質性を指向するシステムなのではないかとのお話がありましたが//
2011-02-21 05:20:47「日本の都市ではルールを守る限り人は個人でいられる」てのは日本と他国を比べたときに見えてくる視角で、「Twitterがmixiに比べて異質性を増大させる契機が多い」ってのは日本における両サービスを比較したときに出てくる視角。RT @KANAH0
2011-02-21 05:28:05ここで後者を前者に還元する(=Twitterのコミニケーションも日本的だ)のが階層的=超越的な比較で確かにそれも妥当なんですが、RT @KANAH0
2011-02-21 05:33:18内在的な比較はスケールの階層性をあらかじめ認めない。つまり、「日本のTwitter」というスケールが「日本」というスケールの部分集合だと考えるのではなく、前者が潜在的には後者をはみだしうることに注目する。 RT @KANAH0
2011-02-21 05:39:43これはTwitterだけでなく、紹介してもらたシェアハウスの記事にも適用できて、社会運動的なシェアの基礎付けに効力が感じられないのは、それらが既存の社会規範とオルタナティブという階層的な比較を前提にしているからじゃないかと。RT @KANAH0
2011-02-21 05:46:51これに対して記事主の「まずはやってみよう」ていう書き方は一見軟弱にみえるんだけど、シェアハウスというスケールがどこまでの喚起力をもちうるのかをあらかじめ固定しない考え方が透けてみえて、いーな、と思いました。RT @KANAH0
2011-02-21 05:51:35Twitterに話もどせば、その特徴の一つは情報のコンテクストを統一できないままコミュニケーションが進行しやすいことで、情報ではなくむしろコンテクストをやり取りすることになる点が厄介だけど面白く、そこに異質性を増大させる契機が感じられる、ということでした。 @KANAH0
2011-02-21 06:26:22ここまで書いてきたこともまた@KANAH0 さんのコンテクストに乗っかるというより、俺のコンテクストを別個に絡ませるやり方で、なにやら上手くいってる気もあまりしないですが、まずはこの辺で。
2011-02-21 06:41:02あと先程の一連のtweetの前提は、デジタルメディアの一般的浸透がポランニー的な意味で情報を「離床」させた結果、コンテクストの階層的な設定が無力化してきたのだとすれば、そこにこそ内在的な比較という方法論を展開させうる契機、その実定性があるんじゃないか、ということでした。
2011-02-21 06:55:42