@kenichiromogi さんが冬の長岡花火を見た夜に 「弟子」と交わした会話 #enjin01

2011年2月19日、エンジン01で長岡を訪れた茂木健一郎さん(@kenichiromogi)が、雪しかまつりで打ち上げられた花火を見た夜に、教え子の植田工さん(@onototo)と語り合ったことについての連続ツイートまとめ。 この後の #enjin01 夜楽の会場で、茂木さんが植田さんとこのお話が披露されました。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

花火(1)雪鹿祭の花火を、今年は拡大して打ち上げてくださるという。会場にみんなは車で移動したが、私たちは雪の中を歩いていった。時間が近づくと、子どもたちが雪の上に押しくらまんじゅうになって、10、9、8、・・と数え始めた。

2011-02-20 08:45:33
茂木健一郎 @kenichiromogi

花火(2)山下清さんの切り絵で見ていた長岡の花火。空襲で焼け、たくさんの人が犠牲になった長岡市民の、平和への祈りを込めた打ち上げだとは知らなかった。ひんやりとした夜空に、信じられないほど精細で巨大な光の輪が咲く。また広がる。

2011-02-20 08:47:06
茂木健一郎 @kenichiromogi

花火(3)スターマインの妖艶な美にしびれ、ああ、もうだめだ、と思ったら、急に、隣りにたって「わあわあ」言っている「弟子」の植田工( @onototo)に、聞きたくなったことがあった。

2011-02-20 08:48:14
茂木健一郎 @kenichiromogi

花火(4)「植田さあ、お母さん今どうしているんだ?」「6歳の時に出ていったきり、会っていません。」「どうしているかわからないのか?」「ええ。」

2011-02-20 08:49:12
茂木健一郎 @kenichiromogi

花火(5)花火の残照の中で、植田は話し続けた「家に帰っておいで、と言うので帰ったら、なぜか兄二人も来ていて、父も泣いていて、母も泣いていて、なんとなく、その日に母がいなくなる、ということはわかったんです。」

2011-02-20 08:50:23
茂木健一郎 @kenichiromogi

花火(6)植田は続ける。うちは、出かける時には「行ってらっしゃい」と言うのが習慣だったので、玄関で「行ってらっしゃい」と見送って、それで、母はもう帰ってきませんでした。父親が、ぽつりと、遊びに行っていいぞ、と言ったのですが、もう遊ぶ気持ちになんかなれません。

2011-02-20 08:51:58
茂木健一郎 @kenichiromogi

花火(7)「母がいなくなったあと、親戚のおばさんが交代でとまりに来たりして。覚えているのは、朝食のときに、カフェオレが出たんですよ。それまで家では牛乳しかなかったのに、こんな飲み物があるのか、と驚いたのを覚えています。」と植田工。

2011-02-20 08:53:20
茂木健一郎 @kenichiromogi

花火(8)ぼくが東京芸大で授業を始めたとき、いちばんに来てなついたのは、植田工だった。それ以来、限りない時間を刻んできたが、植田が、6歳の時にいなくなってしまった母親の話をこんなに詳しくしたのは、初めてだった。長岡の花火の後で。

2011-02-20 08:54:24
茂木健一郎 @kenichiromogi

花火(9)植田の母親が階段を下りて去っていたという世田谷のマンションは、今はもう引っ越してしまった。引っ越しの前に、植田が、「茂木さん、ぜひ来てください」と言って、ぼくを屋根まで連れていって、「よくここで遠くを眺めていたんです。」と教えてくれたっけ。

2011-02-20 08:56:05
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、雪の中、長岡の花火を見た夜についての、連続ツイートでした。

2011-02-20 08:56:27