髪の毛島(かみのけじま) 1 喉がからから。いや、そんな言い方は生ぬるい。いっそのこと、喉を自分で引きちぎりたくなる。泣きたくなるような状態で、瞳はヒビが入りそうなほど乾いている。 他にやる事も無いから、何度となく空を見上げた。爽やかな晴天。呪われろ。 2へ
2016-09-05 21:03:48髪の毛島(かみのけじま) 2 呪いとしか思えない。大学が夏休みになったから、ほんの二泊三日で一人旅を楽しむつもりだった。あたしは女だから、色んな意味で安全がはっきりしている日程を練り上げた。それで、ちょっとした船旅気分で、東京から和歌山に行くフェリーに乗った。 3へ
2016-09-05 21:05:04髪の毛島(かみのけじま) 3 五日前、フェリーは、嵐で沈んだ。どうやって助かったのかは全く覚えていない。ただ、途切れ途切れになった記憶のきれっぱしを再生すると……めちゃくちゃに揺れる船の中で、毛布や鞄がごろごろ転げ回って、その内電気が消えた。 4へ
2016-09-05 21:08:05髪の毛島(かみのけじま) 4 船内放送が、救命胴衣を云々って流していたから、壁に備え付けて合ったのを身につけようとしていた。何も見えなくなって、激しく揺れるのだけが分かっている状態の中、手探りで救命胴衣のバンドを締めようとした時、天地が逆になった。 5へ
2016-09-05 21:09:00髪の毛島(かみのけじま) 5 気づいたら、海の上で、自分の身体も分からないような真っ暗闇の中、大粒の雨にひっきりなしに打たれて、息も出来なくなるほど強い風に弄ばれていた。泳ぎは余り得意じゃないから、救命胴衣が本当に命綱だった。 6へ
2016-09-05 21:10:08髪の毛島(かみのけじま) 6 せめて、嵐さえ終われば。そう願っていたら、一筋の灯りが後ろから差し込まれた。振り向くと一隻のフジツボ型救命筏(いかだ)が間近にあって、誰かが懐中電灯を照らしていた。円錐形になっている屋根の輪郭が、風雨越しに辛うじて理解出来た。 「早く乗って!」 7へ
2016-09-05 21:11:30髪の毛島(かみのけじま) 7 声からして、若い女性だと察しはついた。もっとも、そんな事に構っていられる立場でも無かった。ばた足で筏に進み、出入口の縁に手をかけると、声をかけた女性が懐中電灯を置いて、引っ張りあげてくれた。 「ありがとう! 助かったよ!」 8へ
2016-09-05 21:13:22髪の毛島(かみのけじま) 8 心からあたしは感謝した。 「いいのよ」 短く相手は答えて、また、懐中電灯で海面を照らした。あたしも手伝おうと、筏の中を見回した。大人四人が入られるくらいの広さで、あたし達以外は誰もいない。 9へ
2016-09-05 21:14:39髪の毛島(かみのけじま) 9 振り子のように揺れ続ける室内では、探すどころか床にしがみつくのが精一杯だった。 その内、懐中電灯が消えた。女性は、出入口のジッパーを閉めて、こちらを向いた。 「ど、どうしたの?」 10へ
2016-09-05 21:16:24髪の毛島(かみのけじま) 10 「もう、誰もいないみたい。懐中電灯の電池も節約しないといけないし、これ以上出入口を開けたままにしておくと、筏に水が溜まるし」 こんな時に物凄く冷静な判断だった。 続く
2016-09-05 21:17:36髪の毛島(かみのけじま) 11 あたしは、自分だけ助かった後ろめたさと、その真反対の安堵と、素に戻って急に身体が冷えて来たのとで、顎から肩までがくがく震え始めた。みっともないとは思ったものの、歯ががちがち鳴った。 12へ
2016-09-06 21:00:56髪の毛島(かみのけじま) 12 「ライフジャケットを外して、服を脱いで。女同士だから、構わないでしょう? 奥の箱に、毛布がある」 同性でも恥ずかしい時はある。異性よりはましにしても。もっとも、拘っている場合でも無かった。救命胴衣を外して、上着もシャツもズボンも脱いだ。 13へ
2016-09-06 21:02:18髪の毛島(かみのけじま) 13 箱は、簡単に察しがついた。長方形で、あたしの胴体くらいの大きさがある。ロックを外して蓋を開けた。その時、救命筏が、胴上げのようにぐーっと競り上がってから一気に落ちた。 「きゃーっ!」 筏が傾き、何かがごろごろ転がったり散らばったりした。 14へ
2016-09-06 21:03:50髪の毛島(かみのけじま) 14 一回や二回では済まなかった。何回目かの後、あたしを助けてくれた女性と衝突した。肩同士が、お互いに体当たりした格好になった。 「痛いっ!」 二人が同時に叫んだ。 「ケガは?」 向こうが先に聞いた。 「大丈夫。あなたは?」 15へ
2016-09-06 21:05:12髪の毛島(かみのけじま) 15 「うん、私も」 また、懐中電灯がついた。床の上には、消毒薬の容器や、非常食の包みが散らばっている。そして、水を入れたペットボトルも。 「大変! ペットボトルが!」 「ええっ!?」 あたしは慌ててペットボトルを手にした。 16へ
2016-09-06 21:06:51髪の毛島(かみのけじま) 16 何本かは無事だった。でも、半分くらいは裂け目が出来て中身がなくなっていた。裂けてしまった内の一本は、あたしのズボンに通したままの、ベルトの金具に……穴を通す為の、棒のような部分に……突き刺さっていた。 「ご……ごめんね。あたしのせいで……」 17へ
2016-09-06 21:08:26髪の毛島(かみのけじま) 17 「違うわ、私が、偉そうに指示をしたからいけなかったのよ」 初めて、うなだれた様子の声を聞いた。 そんなやり取りをしている間に、いつの間にか、嵐は収まっていた。そうなると、疲れが一辺に押し寄せて、瞼を開けるのも億劫になってきた。 18へ
2016-09-06 21:10:19髪の毛島(かみのけじま) 18 「とても眠い……暫く眠りたいよ」 あたしは、あくびを噛み殺しながら言った。他の遭難者や、これからの行く末が心配な気持ちはあるにしても、頭がまともに働かない。 「ええ。私も。寝ましょう」 散らばった品々から、あたし達は毛布を出した。 19へ
2016-09-06 21:11:29髪の毛島(かみのけじま) 19 五枚あって、二枚は湿っていた。それは室内の隅に置いた。乾いた毛布にくるまると、全身麻酔のように、すぐ意識が遠のいた。 何時間たったろう。蒸し暑さで目が覚めた。汗びっしょりになっていて、毛布から出た。 20へ
2016-09-06 21:12:42髪の毛島(かみのけじま) 20 散らばっていた品々は片付いていて、陽は高かった。筏の両側面には、張出し式の窓が一つずつつけてあって、両方開けてある。窓は、出入口と同じように、ジッパーで開閉する。一方の窓枠には、あたしの服が、もう一方は、毛布が、それぞれかけて干してあった。 続く
2016-09-06 21:15:05髪の毛島(かみのけじま) 21 あたしを助けてくれた女性は、背を向けて座り、海を眺めていた。 「あー、……おはよう」 我ながら、ぎこちない挨拶だった。彼女は、身体ごと向き直った。 「おはよう。気分はどう?」 そう尋ねた彼女は、丸顔で、少し福良かな腰つきだった。 22へ
2016-09-07 21:00:35髪の毛島(かみのけじま) 22 髪はおさげで、少し緩めのチノパンツに半袖のチェックシャツを着ていた。奥二重の瞼で、鼻は余り高くない。 「うん。大丈夫。助けてくれてありがとう」 「いいのよ」 それきり、会話が途切れた。三秒ほどして、あたしは大切な確認があるのを思い出した。 23へ
2016-09-07 21:01:50髪の毛島(かみのけじま) 23 「ねえ、あなた、名前は? あたし、渡瀬 あかり。二十歳」 「波多 好美。同い年ね。よろしく」 好美は笑った。余り、笑う事に慣れてないのかな。 24へ
2016-09-07 21:03:20髪の毛島(かみのけじま) 24 こんな状態だから、当たり前かもしれない。ただ、暖かみの無い笑顔だなと思った。勿論、口にはしない。 「服、乾いたと思うわ」 好美が言った。まだ下着しか身につけて無いのを、急に意識して、何だか赤面しながら窓際に行った。確かに、服は乾いていた。 25へ
2016-09-07 21:04:35髪の毛島(かみのけじま) 25 でも、塩の結晶がところどころにへばりついて、白く粉をふいていた。かすかに磯臭いし。悩んでいる訳にもいかず、ためらいがちに手に取った。ごわごわして、肌触りも悪かった。文句ばかりになってしまった。とにかく、半ば無理矢理袖を通した。 26へ
2016-09-07 21:05:39