「ダダ漏れ」とDada: USTライブにおけるDadaism的側面の一考察
- tawarayasotatsu
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30日に予定しているUSTダダ漏れについて、無意識のうちにDadaライブと書いて、ふと大変なことに気づく。「ダダ漏れ」ってDadaだったんだぁ〜! *Dadaismは第一次世界大戦中のチューリヒで始まったムーブメント。メンバーにはマン・レイやブルトンなど後のシュルレアリストも。
2010-03-20 17:11:07Dadaは視覚芸術、詩・文学に始まり、芸術理論、演劇やグラフィック・アートに多大な影響を与え、多くのマニフェストが発表されました。第一次世界大戦中という当時の時代背景もあり、体制批判、反戦運動の政治的な活動になっていったのですが、遠くは日本のMAVO結成にもつながりました。
2010-03-20 17:25:29ダダ漏れからDadaの話はなんですが、「1920年頃、日本は世界とつながっていたんだ・・・」というのも、ちょっとした再認識ですね。第一次世界大戦の戦勝国となった日本は、当時円高で、私費留学生が相当数、ヨーロッパにいたそうです。官費留学生ではこうしたことに目が向かなかったでしょう。
2010-03-20 17:30:16大正デモクラシーは、今後、研究の余地が多々あると思いますが、同時期にロシア革命も起きているし、美術史的には大変興味深い時代。第一次大戦後、西欧側について「戦勝国となった日本」がロンドンのギルド・ホールでの戦勝祝賀会に出席している絵画には旭日大海軍旗が掲げられていて、びっくりです。
2010-03-20 17:39:35円高だった大正時代の日本からの私費留学生は、ちょうどバブル直後の日本の若者みたいにどっとヨーロッパに出かけたらしく、記憶が曖昧ですが、たしか・・・福原 麟太郎の随筆などにも、巷で出くわす芸術系の私費留学生のことが書かれていたような気がします。時代は繰り返していたんだなぁ・・・
2010-03-20 17:48:42それでDadaの話に戻るわけですが・・・USTダダ漏れライブをDada的活動と位置づけることは、矛盾が無いというか、トリスタン・ツァラも太鼓判(意味不明か)の、正にDadaïsmeそのものでありましょう。なんという偶然か!
2010-03-20 17:53:37なんかAR Commonsのメンバーと、初期Dadaグループと構成的にも近いかも知れんなぁ〜。みなさん、見てます? 発明家、芸術家、文筆家、大学の先生、最近は音楽家、作家、弁護士、科学者も加わってるし・・・我々はダダイストだったらしい。なるほどなぁ・・・
2010-03-20 18:00:19DadaからSurréalismeに転向した後のマン・レイは実験映画づくりに没頭し、出演したRené Clair監督の"Entr'acte"ではM.デュシャンとチェスをやってたり、若いF・ピカビアが今風なシャツを着て飛び跳ねてるは、音楽はE.サティだわで…AR三兄弟嫉妬でしょう。
2010-03-20 18:18:09結局のところ、その程度のことをしても新しくないということを肝に銘じるため、AR勉強会(そんなのやってないです…言ってみただけ)で、"Entr'acte"鑑賞会をしないとなりませんね。まぁ、今年はマン・レイ展あるから、見れるかも知れませんが。1924年の実験映画より凄いことせねば!
2010-03-20 18:26:04マン・レイが出演しているRené Clair監督の"Entr’acte" (1924)は、今、必死こいて調べたところ、The Criterion Collectionから"À nous la liberté"(http://bit.ly/czD3ln)のDVDに一緒に入ってます。
2010-03-20 18:47:02"Entr’acte"を偶然見たのは、ロンドンのSomerset Houseでチェスをテーマにした展覧会をやっていた…6年ぐらい前かな。ボーイフレンドが一日遅れて来るので、1人でイサム・ノグチやヨーコ・オノ氏がデザインしたチェス・セットなど見に行って、フィルムを見続けたのでした。
2010-03-20 18:52:19マン・レイも良かったのですが、もっと凄かったのはロシア革命直後ぐらいの、白黒サイレントのチェスで人生を狂わされた人のショート・フィルムでした。やっぱりロシア人は基本的に天才じゃないかと思った。その頃、チェスが異常に流行っていたらしいのですが、とにかくナラティヴの構成が秀逸。
2010-03-20 18:56:01