#真田丸 第四十一回 内田裕也→真田幸村に華麗なる変身!「入城」九度山脱出エーデルワイス。みんなの感想+補足TLまとめ
- anchovy_aid
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すえちゃん、結婚おめでとう。作兵衛が大阪に行く前に嫁入りが決まってよかった。相手は顔のインパクトがあり過ぎて出落ち感あったけど、とにかく良かった #真田丸
2016-10-16 21:01:49「史実」「史実ではない(もしくははっきりしない)けれど、何らかの形で残っている逸話」「創作」が絶妙なバランスで描かれている真田丸、信繁が幸村となったからか、少し「逸話」部分が強くなってきた印象。これはこれでとても面白い。 #真田丸
2016-10-16 20:58:37しょっぱなから内記の嬉し泣きに泣かされ、幸村に「行くぞ」と言われて満面の笑みなきりちゃんに泣かされ。良かったねええええ(涙)。#真田丸
2016-10-16 21:00:37寺に九兵衛が来た時、「いかが致します」って低い声出した内記さんに痺れた。ちょっと前まで大助負かしてキャッキャ喜んでたじいじとは思えなくてかっこよくて内記さん!!! #真田丸
2016-10-16 21:29:53正体不明の人物を前に刀に手をかけ構える大助。とっさのことなのに、父を守って戦う心構えが出来てるんだね。九度山生まれ九度山育ちだけど、大助は立派な武士の息子!#真田丸
2016-10-16 21:01:59大助君が実年齢に近い役者さんのため、戦場に出るの…マジで…?って近所のおばちゃんのようなノリで心配になっちゃってたんですが、今日主人公の隣でつかに手をかけてる姿はなかなか様になってたので、これは期待できるという気分に。 #真田丸
2016-10-16 21:03:40廃寺で九兵衛に警戒する大助君がすっかり武士の子の顔になっていて嬉しいやら悲しいやら( ノД`) 幸村がどんなに妻子を逃がそうとしても、嫡男で次の正月には元服を迎える大助だけは戦から逃れなれない。今の幸村はどれだけその点について理解しているんだろう? #真田丸
2016-10-16 21:19:48「父上の名に負けぬ戦を~」って秀頼さま言うじゃん、でもさ、なんか正直秀吉の顔が浮かばないんだよね…浅井長政と信長さまの顔が浮かぶんですけど、私だけかしら(;゜∇゜)!?違うのわかってますよ、もちろん!だけどなんか秀頼がホント立派でさ、つい!!(笑) #真田丸
2016-10-16 21:02:08大阪城の桃の木見たら片桐且元を思い出したわ😭 まだ幼い秀頼公と遊ぶいいおじさんだったね☺ 豊臣と徳川の板挟みになってた姿が痛々しかった。 #真田丸 pic.twitter.com/UnGhVbxap8
2016-10-16 20:59:33さあ、戦国最後のビッグマウス東西対決! 真田幸村VS伊達政宗のカードが激突する大坂の陣!おじさんわくわくしてきたぞ〜〜早く甥っ子出ないかな〜〜 #真田丸
2016-10-16 21:07:19今日の武者行列で撮った中で、わりとお気に入りの一枚。416年前もこんなふうにここを歩いたのかなあと思う。 #真田丸 pic.twitter.com/0dGFAMZ5cE
2016-10-16 20:59:44紀行の音楽が今までで一番希望に満ち溢れている!しかもバイオリン!(服部さんのお嬢様ですな) ……今年は豊臣方の勝ち目が(ry #真田丸
2016-10-16 21:01:01歴史&大河クラスタの補足コーナー
大蔵卿局が治部も刑部も清正もいない、お前が頼りだと幸村に言ってましたが、この頃はまだ福島正則が存命です。とはいえ、正則は大阪の陣に関しては一貫して無関係を貫きます。秀頼の加勢の依頼もお断りしてます。 #真田丸
2016-10-16 21:06:57正則は2年前の慶長17年(1612年)には隠居を望んでいたので(許可されなかったようですが)、正則の気持ちはもう豊臣家に、ひいては世の中に向いていなかったのかもしれない。清正が最後まで豊臣家に気持ちが向いていたのとは対照的ですね。 #真田丸
2016-10-16 21:12:07大野治長や信繁の兵糧収集案が、購入か略奪のどちらかしか無かったのは、豊臣家は領内からの年貢収集まで徳川から派遣される代官に頼っていたため、徳川に反抗すると、それを取り込むことができなくなったから、というのも表しているのかも #真田丸
2016-10-16 21:01:18大阪敗北の現況にように叩かれることが多い大野治長ですが、個人的には大阪城内でちゃんと現実が見えて政治力も有った人物だと評価しています。実は徳川家康もかなり本気で大野を評価していたフシがあります #真田丸
2016-10-16 21:10:40幸村の献策 堺を押さえるのは、当時の流通事情を考えると戦略的に正しすぎる 大坂での戦闘が始まるこの段に到っても尚、西日本の流通のほぼ全て、日本全土の流通の少なくとも半数以上を大坂と堺で賄うレベルの流通ハブ\拠点だったからなぁ #真田丸
2016-10-16 21:01:40豊臣時代って朝鮮出兵なんかで農村とか派手に疲弊している時代なんだけど、そんな時代がどうしていいかというと手柄を立てればワンちゃんというのが肌で感じられた時代だったんだよなぁ。何かで読んだが、織田豊臣時代をバブルとみて、徳川時代をデフレと表現していたのはうまいと思った。#真田丸
2016-10-16 21:10:43そんな言い方で大阪の陣を表現すると、『不良債権処理』って言葉が一番しっくり来る訳で。多分住専あたりのやつ。秀忠、家光時代まで続く大名家改易という不良債権処理によってやって江戸幕府は安定に向かうようになる。#真田丸
2016-10-16 21:13:21そして、大坂方に取られた徳川の兵糧米ですが、京都所司代の板倉勝重が 「大坂は食うものに困ってるんですね、こっちは米余ってるので良かったら差し上げますよ」と煽ったら、顔真っ赤にして返してきたと、すずき孔先生の『戦国の徳川武将列伝』にありました。役者が違うわ… #真田丸
2016-10-16 21:07:09中世から近世に切り替わる時期って、濁酒から清酒に切り替わった時期でもあるのよね。 この頃の清酒ははまだ出始めのころだろうから、地方では入手は難しいだろうなあ。 #真田丸
2016-10-16 21:04:31