生命現象が 一度生じた命の系譜を滅びることなく時間と供にあり続けさせることを 命題としており、我々はその欲求を具現化させた一部であり、 結果我々の自我もまたその権化であるならば、
2016-10-18 01:25:42我々自身と時間との並行在性が我々にとっての救いとなる。 通常、生命現象全体の願いを満たすためだけに むなしく朽ち果てていくそれぞれの個体は報われることがないが 無常な生命現象の原理と、時間の経過がもたらす風化作用を跳ね除け
2016-10-18 01:40:58例えば映像に頼るとどうなるだろうか 一人の人間の一生をドキュメンタリー映画に収めるとする この際その映画は、望むべくは、一人の人間が生まれてからの全時間をノーカットで記録したような人間の完全なる写し絵が望ましい これを、当人の体が滅びた後も未来永劫無限ループで再生し続けるとする
2016-10-18 01:45:25その人間の姿と生は映像という情報の形で時間と供にあり続けることとなる この処置により、問題の人間は救われたことになるだろうか 「情報による自己保存」という観点からすると 映像の場合は繁殖を介した遺伝情報の受け繋ぎと比較し
2016-10-18 02:31:02はるかに正確な、当人に関する100%そのものの情報を残すことができる DNAによる情報保存と違い 物理的な形状=肉体を有しているかいなかの違いはあるが 少なくとも生命現象が目的としている 自己の情報を永遠に時間と供にあらせる処置はこれで完了したことになる
2016-10-18 02:34:03もって、映像に写された問題の人間は 生命が40億年かけて目指し続けた救いの境地に達しえたことになるだろうか おそらく我々は直感的にそうではないと感じるであろう 映像の形で自分の外面的な情報が保管されていたところで
2016-10-18 16:32:03自我が滅してしまっていては自己が保管された事実を幸福に感じることすらできない 自らの情報(DNA)を後世に残すことができるのならば 自我的なものは捨て去ってもかまわないという方向へ進化した 情報お化けとしてのウィルスを例に考えれば
2016-10-18 16:38:38我々の存在を光学的情報として動画に残す行為にも 一定以上の意味合いは見いだされそうではあるが 自我を有する人間にとってもっとも大切な対象がやはり自我である以上は 自我自身もまた保存されていなければ人間としての究極的な幸福へはつながり得ない
2016-10-18 16:38:59では、映像および、なんらかの形で自我を保存することができれば 我々は救済されうるのか おそらくはこれだけではまだ不十分であろう 映像がどれだけ一人の人間を克明に描き出そうと それはあくまでも表層的な部分にとどまる
2016-10-18 16:45:16人間がその人間でいられたのはあくまでも肉体があったからであり 肉体の詳細なる内面 組織の断面図までがどのような姿形であったのかが記録されて始めて 人は存在丸ごと保管されたこととなる これをダイレクトにかなえるとすれば肉体が老い、朽ちなければいいということになるが
2016-10-18 16:46:25これは単純なる不老不死であり 無論そう簡単にいく話ではない あくまで肉体より安定的な 情報の形で身体を保管することを考えるならば これはもう原点に立ち返って、DNA自体を保存するしかない
2016-10-18 16:51:04といっても今日の生物に見られるように、生殖を通じてではない (有性生殖を行う人間の場合は、そもそも自己の遺伝情報を 50%しか残せない生殖は真の意味での自己保存につながらない) 自分自身の塩基配列のすべてを記録した上で さらにその遺伝情報を元にどのような肉体が構築されるのか
2016-10-18 16:51:36PC上で再現できるようなシステムがその理想的な箱舟となる このように人間を情報の形で保管しようと考えた場合 その対象となるのは光学(映像)、自我、DNA の3種である
2016-10-18 16:57:00