_灰土地域の東方に位置する辺境の街ネス市は、街の半分ほどが廃墟になりつつあった。エシエドール帝国崩壊以後、世界規模で続く人口の減少。そして奇病や災害などが民を苦しめている。かつて東方の一大貿易拠点だったネス市は、その勇壮な建築物にその名残を残しつつもかつての勢いはない。 1
2016-10-28 19:30:40_灰色の墓標のような高層建築物が立ち並ぶ旧市街地には人影がなく、野生化した猫やネズミがうろつくばかりだ。この区域には怪しい魔法使いが住み着いていると噂され、誰も近寄ろうとしない。しかし、そこを通りかかる自転車に乗った女性が一人いた。 2
2016-10-28 19:35:09_赤い制服にお揃いの赤い帽子。そこに縫い付けられた企業のロゴ。女性はベルを鳴らし路上に横たわる猫たちをどかす。彼女――ニシキは紅茶店の配達バイト員だ。この旧市街地にいる客に茶葉の缶を配達に来たのだ。紅茶は日々大量に消費される生活必需品だ。配達依頼も多い。 3
2016-10-28 19:41:21_廃墟と化した街並みを自転車が通る。元は活気があったことが窺えるが、アーケード街はシャッターで閉じられ、人の気配はない。色あせた絵の描かれた広告看板が放置され朽ちていた。赤く錆びた郵便ポストはもう誰も手紙を入れないし回収もされないだろう。ここを抜けると目的地の住宅街だ。 4
2016-10-28 19:47:12_すると、静かな住宅街の中から奇妙な機械音が聞こえてきた。ゴウンゴウンと重機が動くような音、蒸気がシューッと吹き出す音。まるで工場だ。ニシキは不安になって一度自転車を止めた。魔法使いの家が近いのだろうか。魔法使いはしばしば一般市民を生贄にする。 5
2016-10-28 19:50:34_ニシキのような魔法を使えない市民が魔法使いに対抗するすべはなく、その行為も法律で守られている。しかし客は客であり、仕事は仕事だ。ニシキは勇気を出して再び自転車を走らせた。やがて、街角からその音の正体が姿を現した。それはやはり工場のように機械化された家だった。 6
2016-10-28 19:55:49_配達先の住所は確かにその家だった。ニシキは自転車を止め、家に近づく。すると、大きく汽笛がなり、家から蒸気が噴き出した。そして音を立てて扉が開く。ニシキは目を剥いて後ずさったが、その次の光景に剥いた目を奪われた。猫が次々と扉の向こうから出てくるのだ。 7
2016-10-28 20:00:22_ガシャコンと扉が開く。ニャーンと猫が出てくる。ガシャコンと扉が開く。ニャーンと猫が出てくる……。一定の小気味いいリズムで次々と猫が出てくるのだ。 (とりあえず入る場所とかドアベルを探さなければ) ニシキは家の周りをぐるぐる回って様子をうかがう。 8
2016-10-28 20:13:53_家の北側のほうに、古めかしい木製の扉があった。瓦のひさしには電球のランプが昼間なのに灯っている。中からガシャコンガシャコンと機械音が響いてきた。呼び鈴のブザーのボタンがあったのでそれを押すと、ブブブブブとブザーが鳴る。 9
2016-10-28 20:16:54_しかし、機械の騒音にかき消されたのか、反応はない。もう一度押そうとすると、やっと扉が開いた。 中から出てきたのは立派なカイゼル髭を生やした若い魔法使いだった。くすんだ紺の帽子をかぶり、青いマントを着こなしている。鉱石のブローチがいくつもちらちらと瞬いていた。 10
2016-10-28 20:21:11【用語解説】 【ネス市】 灰土地域東北辺境有数の都市国家。貿易都市であり、聖河北岸から聖河南岸へと大きく迂回する折り返し地点に位置する。ネス市は聖河支流の源流に近く、川幅も狭いため、聖河を渡る税金が安く済む。聖河の通行料は高い。大きく迂回し長旅をするコストの方が安いのである
2016-10-28 20:28:50