鉄腕DASHで「反射炉」が話題なのを機に、江川英龍とかを紹介するまとめ(「風雲児たち」などから)
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明日、DASH島あります。 諸事情で鉄を溶かすこととなり、「世界遺産を作ろう」と達也さんが言い出し、茂さん・太一さん・我々スタッフも誰ひとり止めることなく反射炉計画が動き出します。 正直、成功するかは分かりません。ある意味、世界初かもしれないので。(...パンぐらいは焼きたい)
2016-10-29 11:17:57togetter用資料 反射炉が話題の中、便乗してみなもと太郎「風雲児たち」から、世界遺産である韮山反射炉の話題と、その建造者江川英龍(江川太郎左衛門、江川坦庵)の事績を。 pic.twitter.com/ABgA0bsMms
2016-11-01 10:37:32ウィキペディア「鋼」より
https://ja.wikipedia.org/wiki/鋼
歴史[編集]
世界で初めて鋼を開発したのは、紀元前1400年ごろのヒッタイトであると考えられている。ヒッタイトは炭を使って鉄を鍛造することにより鋼を製造し[1]、アナトリアを中心に鉄を主力とする最初の文明を築いた。この製法は厳重に秘匿されていたものの、前1200年のカタストロフと呼ばれる大動乱によって紀元前1190年頃にヒッタイトが滅亡すると、製鋼技術はヒッタイトを滅ぼした海の民や、エジプトやメソポタミアといった近隣の諸国へと伝播し、さらにそこから遠方へと伝わっていった。産業革命以前の世界においては、インドにおいて生産されるウーツ鋼(ダマスカス鋼)など様々な鋼が製造されたが、大量に生産することはどこの文明圏においてもできなかった。18世紀に入るとイギリスで徐々に製鋼法の改善がはじまり、1740年代にはベンジャミン・ハンツマンによって良質の鋼が作られたものの、これは量産することは不可能であった。この後も様々な鋼の生産法が開発されるものの、真に工業的に大量生産ができるようになるのにはヘンリー・ベッセマーによる1856年の転炉法の発明を待たねばならなかった。
製鋼法[編集]
鋼の生産は、先ず赤鉄鉱や磁鉄鉱など採掘された酸化鉄である鉄鉱石を高炉で還元させて銑鉄を得る。縦長の高炉上部から、鉄鉱石・コークス・石灰石を投入し、下部から熱ガスと空気を送り込んで800℃以上を維持するよう燃焼させる。これにより、コークスから発生する一酸化炭素が酸化鉄を還元させて銑鉄が得られる。この工程は高炉の耐久性限界まで連続して行うのが通例である[2]。
高炉で得られた銑鉄に含まれる炭素など不純物を次の製鋼工程で取り除く。ここでは、ケイ素、リン、硫黄などを除去し、炭素の含有率が0.5 - 1.7%程度に調整される。この方法には転炉と平炉がある[2]。
ウィキペディア「反射炉」より
https://ja.wikipedia.org/wiki/反射炉
反射炉(はんしゃろ、英語:Reverberatory furnace)とは、金属融解炉の一種である。18世紀から19世紀にかけて鉄の精錬に使われた。20世紀以降も、鉄以外の金属の精錬には使われている。
熱を発生させる燃焼室と精錬を行う炉床が別室になっているのが特徴。燃焼室で発生した熱(熱線と燃焼ガス)を天井や壁で反射、側方の炉床に熱を集中させる。炉床で金属(鉄)の精錬を行う。
鉄鋼の精錬では転炉など他の方式に取って代わられ使われることはなくなったが、現在でも銅製錬、再生アルミニウムの融解炉として使われている。
(略)
1690年代に入ると反射炉は工業用の銑鉄の溶融に用いられるようになった。各地に建造されたが、18世紀末には小さな高炉のようで反射炉とは起源の異なる工業用のキューポラの導入に伴い、時代遅れになった。
攪拌精錬は反射炉の一種でヘンリー・コート(Henry Cort)によって1780年代に導入され、旧来の塊鉄炉(finery process)を置き換えた。
日本での歴史
江戸時代後期になると日本近海に外国船の出没が増え、海防の必要性が問われるようになった。外国船に対抗するには精度が高く飛距離の長い洋式砲が必要とされたが、従来の日本の鋳造技術では大型の洋式砲を製作することは困難であり、外国式の融解炉が求められることとなった。 外国の技術者を招聘することが叶わない時代でもあり、伊豆韮山代官の江川英龍、佐賀藩の鍋島直正などが、オランダの技術書(『鉄熕鋳鑑図』Ulrich Huguenin原著、金森建策訳)等を参考に作り始めた[1]。
反射炉の製造技術の導入が、日本史において特記されるのは、鉄製の大砲の製造が可能になったからである。かつての鋳造技術では砲身を鉄で製造する場合は材質を均一にできず、砲身が破裂する事故が多発した。そのため大砲は鉄製から青銅製へと"進化"していった。しかしその後の技術発達において、鉄製であっても材質を均一に砲身を鋳造する事が可能になり、再び鉄製の大砲が登場するが、日本では青銅砲の段階で技術が停滞したままであった。反射炉による鉄製砲の製造は、日本にとって鎖国下の技術停滞、開国による技術革新の象徴的な出来事となった。(略)
同時期のヨーロッパでは、生産性の高い転炉 (convertor) が出現した
「鉄腕DASH」本体についてのまとめはこちらをどうぞ
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反射炉とか韮山とか江川英龍とか佐賀とか
【 #今日知った言葉 】反射炉 金属を作るための炉の一種。炉の天井に反射させた熱を一点に集め、局所的に高温の場所を作れるような構造になっている。 韮山反射炉が世界遺産登録されるかも、ってことで気になった言葉。原理としては虫眼鏡で太陽光を集めて紙を燃やすことと似ているよう。
2015-05-08 22:31:47橋本敬之著「幕末の知られざる巨人 江川英龍」読了。3年前に韮山に訪れたときに江川邸で購入した本。読みにくそうだったので積まれていましたが、ようやく読み終えました。しかし前半は横道が多く読みにくかった。 なお、当時行けなかった反射炉跡はいまや世界遺産です。
2016-07-14 00:37:17私にとって江川英龍は思い入れが深い人物であり(と言いつつも読むのに時間がかかったが)、今回さらに知ることができて楽しめました。しかし明治期に活躍できなかっため「知られざる」と冠するしかないのは残念です。いずれ再訪し、反射炉や戸田村にも訪れたいですが…。
2016-07-14 00:50:35韮山反射炉を作った江川太郎左衛門英龍が日本で初めてパンを焼いた人物とのこと/【サントリー地域文化賞】日本で初めてパンを焼いた"パン祖"にちなんで町おこしを!伊豆の国市「パン祖のパン祭」 ow.ly/wH8N303MqgF pic.twitter.com/nEsaHV7RfK
2016-09-01 09:44:25江川太郎左衛門は韮山に反射炉作って、日本で初めてパン焼いた人ではあるけど、反射炉でパンは焼いてないからね。炭すら残らないからね。
2016-10-30 19:04:37DASH島ではとりあえず反射炉を最初に想定したようだけど、現実問題、現在DIYで製鉄可能な炉で最適なのはなんだろう?
2016-10-30 19:11:13反射炉は、みなもと太郎先生の「風雲児たち」で、江川太郎左衛門(担庵)の活躍で知った この漫画のおかげで、幕末の志士たちより、担庵さんの方が好きになった #鉄腕DASH
2016-10-30 19:17:48韮山反射炉を建造した江川英龍は、地元ですら日本で初めてパンを焼いたおじさんくらいにしか知られてないけど、黒船対策として江戸湾の台場を築き、奇兵隊や幕府農兵へと続く近代軍制の基礎を整え、吉田松陰、桂小五郎、福沢諭吉、近藤勇など多くの幕末人に影響を与えた幕末維新史の隠れた巨人なんだぞ pic.twitter.com/H59zej4Vf0
2016-10-30 19:19:12新聞にTOKIOが韮山の反射炉に来ると書いてあったが、多分、「反射炉」から作るということなんだよね…。師匠:江川担庵となるのか。
2016-10-30 19:21:38反射炉が世界遺産なんじゃなくて、「江川太郎左右衛門が作った韮山の反射炉」が世界遺産だと言うことは繰り返し強調したい。
2016-10-30 19:23:34