佐藤正美Tweet_20161016_31

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佐藤正美 @satou_masami

「音楽といふものは、人間精神の暗黒な深淵のふちにところで、戯れてゐるもののやうに私には思はれる。かういふ恐ろしい戯れを生活の愉楽にかぞへ、音楽会や美しい客間で、音楽に耳を傾けてゐる人たちを見ると、私はさういふ人たちの豪胆さにおどらかずにはゐられない」(三島由紀夫)。

2016-10-25 19:00:13
佐藤正美 @satou_masami

「音といふ形のないものを、厳格な規律のもとに統制したこの音楽なるものは、何か人間に捕へられ檻に入れられた幽霊と謂った、ものすごい印象を私に惹き起す」(三島由紀夫)。

2016-10-25 19:03:00
佐藤正美 @satou_masami

シューマンの交響曲を聴けば、豊穣な音の厚みにもかかわらず、なにかしら、危殆に瀕する品(しな)を感じます。シューベルトやマーラーも、たぶん、そうでしょうね。チャイコフスキーも、そうかもしれない。ひょっとしたら、モーツァルトも、そうなのかもしれない。

2016-10-25 19:06:14
佐藤正美 @satou_masami

ブラームスは、深淵を覗いたあとで俗に帰還する平衡感覚を持っていたのかもしれない [ ブラームスは、舞曲やウィンナー・ワルツを好きたったそうです ]。

2016-10-25 19:08:34
佐藤正美 @satou_masami

夜中に、静かな部屋で、モーツァルトやシューベルトを聴いていると、「私なんか、この世の中にいないほうがいいのかもしれない」という・言い知れぬ悲哀感に襲われるときがあります――この情感は、たぶん、虚無感ではない。妙な言いかたですが、生活感を昇華した心地よい危うさ(不均衡感)です。

2016-10-25 19:19:13
佐藤正美 @satou_masami

情感のいちぶが肥大して溢れて身体を溶かしてしまった状態と云ったほうがいいのかもしれない。だから、「意識(自意識)」という強烈な自我が確実に存在していますが、精神は まるで 音楽の反響箱のように、暗夜のなかで たゆたう状態です。

2016-10-25 19:22:08
佐藤正美 @satou_masami

喩えてみれば、肉体が海に浮かんで波に たゆたう快感に近いのですが、もし溺れたら、海の底には死が口を開いて待っている状態でしょうね。

2016-10-25 19:23:42
佐藤正美 @satou_masami

こういう状態が、たぶん、三島由紀夫氏の云う「深淵と相渉るやうな たのしみ」なのかもしれない。こういう状態ばかりが続けば、「自意識 [ 精神ではない ] は、いよいよ深淵を もっと奥まで覗きたがって、深淵の隘路に はまって身うごきができなくなって いずれ破綻するでしょう。

2016-10-25 19:28:19
佐藤正美 @satou_masami

私は、幸いにも、歌謡曲、グループサウンズ、フォークソングや昔のテレビ主題歌も好きなので、「深淵と相渉るような たのしみ」を味わったあとで、ふたんの俗な生活にもどって、俗な歌を唄う平衡感覚を喪ってはいない。

2016-10-25 19:31:07
佐藤正美 @satou_masami

人生と芸術との関係を考えるときに、「(芸術の)技術」という観点から考えてみると、芸術家たるためには人生の愉しみを犠牲にしなければならないというパラドックスがあるようです。芸術家は人生を鋭く描くように思われていますが、どうも、それは有り得ないように私には思われます。

2016-10-25 19:33:29
佐藤正美 @satou_masami

たとえば、音楽家は三歳くらいから、能役者は七歳くらいから技術を学び始めて、それ以後 生涯に亘(わた)って、技術を習得し続けて、かつ、精神を育成しなければならない道を歩みます。修練を怠ければ、プロフェッショナルとして立てない。

2016-10-25 19:40:18
佐藤正美 @satou_masami

芸道では、技術の練習に多大な年月を費やすことになるのですが、練習を多量に積んでも、かならずしも、一流の芸術家になれる訳ではないので、もし、音楽家・「能」役者・小説家を職業に選んだら、みずからの人生そのものを賭けた「博打」になるでしょうね。

2016-10-25 19:43:17
佐藤正美 @satou_masami

芸道を職業として選んだ人たちのすべてが一流の芸術家になれる訳はないのですが、なんとか生活していけるほどの収入を稼ぐことができれば、みずからの人生を賭けて選んだ道は「俗(すか)」を食うことにはならなかったと思っていいでしょうね。

2016-10-25 19:46:14
佐藤正美 @satou_masami

「才能の有る無し」ということが芸術では勝負点であると云われていますが、「才能のない」芸術家など存在しないのであって、「一流(第一級)か、そうでないか」というクラス(カテゴリー)しかないと私は思っています。

2016-10-25 19:48:51
佐藤正美 @satou_masami

芸術家は、作品が つねに評に晒されて――しかも、その評は、文芸評論家たちの評のほかに、不特定多数の大衆が下す評があって――、「実体のない」数々の評価を浴びて生きていなければならない。

2016-10-25 19:51:28
佐藤正美 @satou_masami

しかも、芸術家は、芸術家たるために、みずからの人生の多くを技術の習練に費やしていながら、社会のなかで「無用の用」として立っているというパラドックス的存在です。

2016-10-25 19:53:53
佐藤正美 @satou_masami

このパラドックス的存在という構成要件こそ芸術家をプロフェッショナルにしているのですが、「芸術愛好家」は、これらの要件を免れているかぎりにおいて、芸術家ではない。この点こそ、「芸術愛好家」としての私の嘆きであり、そして、芸術家に対する私の嫉妬です。

2016-10-25 19:59:20
佐藤正美 @satou_masami

「現実生活の不満を現実生活で解決せずに、もっと別世界を求めて、そこで解決の見込がつくのではないかと思って、生きる目的やあるいはモラルを文学の中に探そうとするのである。しかも、それにうまくこたえてくれる文学は二流品にきまっていて、(略)」(三島由紀夫)。

2016-10-25 20:08:02
佐藤正美 @satou_masami

「それ(=二流の文学)は一人の人間をより高い精神に向かって鼓舞するようにつくられている文学で、それは平均的な人間のモラルをほんの少し引き上げて、人生というものをほんのちょっと明るく見せかけ、人に欺瞞を与えるようにうまくこしらえられてある」(三島由紀夫)。

2016-10-25 20:11:08
佐藤正美 @satou_masami

(二流の文学は)「(略)こんなものさ」という、ちょっとした超越的な見地を与えてくれる。貧乏に苦しんでいれば、この世には金だけではない、精神の価値があるというふうに教えてくれる。また、(略)弱者ほど人間の真実に近づくものだと慰めてくれる」(三島由紀夫)。

2016-10-25 20:13:41
佐藤正美 @satou_masami

「そしてそういう文学(二流の文学)は必ずユーモアや低俗な魅力をも兼ね備えていて、学校で教えてくれないこと、父親や先輩が言ってくれないことが、興味を引くようにうまく織り込まれている」(三島由紀夫)――このことは、文学に限らず、講演やテレビドラマなどにも言い得ることですね。

2016-10-25 20:17:24