武谷三男「特権を生みだす構造」

武谷三男著『市民の科学と論理』(1975年) より
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seki_yo @seki_yo

現在、自然科学・技術の範囲でいうと、医者と 大学教授が 特権者の 双璧だといえるだろう。 なかでも 医者の 特権が、科学者や エンジニアよりも わかりやすい。(武谷三男)

2016-11-26 19:59:25
seki_yo @seki_yo

その 理由は、大学教授は 別であるが、開業医の 場合には 個人として やっている。 だから エンジニアよりも 医者を 例にしたほうが わかりがいい。(武谷三男)

2016-11-26 20:01:17
seki_yo @seki_yo

医者の 特権のもとは、私の 見るところ、医者は 患者に 対して 生殺与奪の権を 持っているということによる。(武谷三男)

2016-11-26 20:03:13
seki_yo @seki_yo

医師という 免許状を 持っていることは、それを 持たない 人に 禁止され、医師にのみ 許されていることが 非常に 多くあるということだろう。 つまり 国が 保証している 免許状に そのもとがある。(武谷三男)

2016-11-26 20:05:56
seki_yo @seki_yo

体の具合が わるいときも 薬屋で 適当に 薬を 買ってきて 飲む、これも 薬剤師の 免許は 要るが、医師とは 関係なしに 何か 飲める 薬もある。(武谷三男)

2016-11-26 20:07:49
seki_yo @seki_yo

しかし それ以上のことになると、医師でなければ できないということが、非常に 多いのではないか。(武谷三男)

2016-11-26 20:09:03
seki_yo @seki_yo

本来、人の 病を 予防し 治療する 医療行為そのものは 非常に ヒューマンなものだから、そこから 特権が 生まれてくるはずはないわけである。(武谷三男)

2016-11-26 20:11:11
seki_yo @seki_yo

ところが 医師は、実際は 生殺与奪の権を 具体的に 握っている。 医師が 証明書を 書けば、よほどのことでなければ それについて 疑問を 持つことはできない。(武谷三男)

2016-11-26 20:13:37
seki_yo @seki_yo

さらに、患者は 誰でも 長生きしたい、病苦から 解放されたいと 思っている。 しかし その 権限は 主治医になれば どんな 若造でも その 医師が 握る。(武谷三男)

2016-11-26 20:15:59
seki_yo @seki_yo

医師は 自己の 職能を 発揮できることによって、反面、特権を 握る。 自由業である 医者が 知らないまに 特権 (意識) を もつのは、そういうところから きてるといえるだろう。(武谷三男)

2016-11-26 20:18:28
seki_yo @seki_yo

開業医の 場合は はっきりいえば まったくの 一自営業者である。 それが その他の 職種に くらべて 特権 (意識) を もつのは、その 仕事と 社会との 関係の中に 非常に 特権を 生みやすい 構造があるからだと 考えられる。(武谷三男)

2016-11-26 20:21:32
seki_yo @seki_yo

職能を 公認されるということは 大きな 問題である。 医者も「私」で 開業しているのであるが、その 権利は 国家が 認めている。 つまり 医療行為そのものは 人権の 立場であるが、権限は 特権なのである。(武谷三男)

2016-11-26 20:24:19
seki_yo @seki_yo

たとえば ひとりの 医者は けっして ほかの 医者に 相談しない。 そのように 特権の 非常に 強い 人たちは 他に 相談しようとしない。(武谷三男)

2016-11-26 20:26:20
seki_yo @seki_yo

アメリカの 医者も 他の 医者に 相談するが、患者に 訴えられたときのために、証人を つくっておくために ほかの 医者に 相談したり 検査依頼をする。 医療行為が 本当に 正しいかどうかのためでなく、そういう アリバイを つくるために 相談するようである。(武谷三男)

2016-11-26 20:29:24
seki_yo @seki_yo

医師の 特権ということに 医師が 慣らされていると、医療過誤などを 患者が 裁判に 訴えることに 対して 医師は びっくりする。(武谷三男)

2016-11-26 20:31:33
seki_yo @seki_yo

自分は 医者として ちゃんと 患者を 診察しているのだ、だのに 患者が 訴えてきた、まったく けしからんことだ、というような 発想になる。(武谷三男)

2016-11-26 20:33:26
seki_yo @seki_yo

日本の 患者は そういう 裁判に 訴えることに 慣らされているものではない。 やはり 医者の 処置の 仕方、対応の 仕方とか、よほど 頭にくることがあるから 訴えるのである。(武谷三男)

2016-11-26 20:35:32
seki_yo @seki_yo

子どもが 病気になり、死んだとしても、医者が ちゃんと やっていることを 親たちが 知っていれば、そうそう 訴えるものではないだろう。 それを 訴えるとは なにごとぞという 発想になるというところに 問題がある。(武谷三男)

2016-11-26 20:38:21
seki_yo @seki_yo

(開業医だけでなく、病院の 勤務医も、これに 準じますね ... )

2016-11-26 20:39:56
seki_yo @seki_yo

子どもの 人権、患者の 人権、要するに 自分を まもる 組織を もたないような 人たちの 人権を どう 守るかが 非常に 重要な 問題である。(武谷三男)

2016-11-26 20:42:00
seki_yo @seki_yo

心因性という ことばは よい加減に 使うべきではない。(武谷三男)

2016-11-26 20:42:59
seki_yo @seki_yo

私が 1950年 広島を 視察したとき、体の具合が 悪いという 訴えがある 被ばく者を 医師が 調べても わからないから、心因性と いわれていたのを 知った。(武谷三男)

2016-11-26 20:45:13
seki_yo @seki_yo

これに 対して 私は「原爆被害者が、原爆以後 身体に 障害を うけていること、これこそ 動かし得ぬ 重大問題なのであって、その 厳密な 医学的定義が 不明な限り 問題にしないということは 対策を サボル いいわけにすぎない」と (記事に) 書いた。(武谷三男)

2016-11-26 20:49:04
seki_yo @seki_yo

(これ以上 余計な 解説は いらないですね、武谷三男の 言葉に ... )

2016-11-26 20:51:09