爆豪勝己が現時点(No.117 てめェの”個性”の話だ)で他人に対する横暴な態度を改められていないことに対して過剰に批判することの本質
つまりデクが無個性故に肉体的な努力をしなかったことも、かっちゃんが有個性故に精神的な成長をしなかったのも、その両方に過剰に個性とヒーローを持ち上げる個性至上主義社会が背景にあり、その背景こそが幼馴染が現在に至る根本的な原因だと考えられます。
2016-12-02 21:49:21よって緑谷出久と爆豪勝己は、個性至上主義社会がそれぞれ無個性者と有個性者に弊害をもたらしたことが、最も顕著かつ等しく表れている被害者であると言えるのです。
2016-12-02 21:50:47そしてそのことを踏まえた上での自分の結論は、緑谷出久と爆豪勝己は無個性者と有個性者という違いはあるものの、どちらも等しく個性至上主義社会の弊害を受けた被害者であり、そのことを踏まえずに彼らの関係や言動、行動について語ることはできない、というものです。
2016-12-02 21:51:30逆に言えば、デクとかっちゃんの関係を単なる”いじめっ子といじめられっ子”であるという意見は、幼馴染がどちらも等しく個性至上主義社会の弊害を受けた被害者であるということを踏まえずに、彼らの関係を見た場合に出る意見ということになります。
2016-12-02 21:53:43なお、幼馴染は単なる”いじめっ子といじめられっ子”ではありませんが、彼らが”いじめっ子といじめられっ子”だったこと自体は間違いではなく、ここでそのことに触れてないのは分かりやすく彼らが個性至上主義社会の弊害を受けたことだけを説明するためです。
2016-12-02 21:54:56故に、読者間で今回のかっちゃんの行動に対する意見がここまで割れたのは、緑谷出久と爆豪勝己のどちらの肩を持つかという違いによるものではなく、彼らを”いじめっ子といじめられっ子”と捉えるか、”ヒーローとヒーロー”と捉えるかの違いによるものだと思います。
2016-12-02 21:56:50そして私は、今回そして今後の展開の読み方として、緑谷出久と爆豪勝己を”いじめっ子といじめられっ子”と捉えたときにはかっちゃんに非があるということを認めつつ、彼らを”ヒーローとヒーロー”として捉えて読むことが、この漫画を最も楽しめる読み方だと考えます。
2016-12-02 21:58:18私は一読者でしかないので他の方にこの読み方を強制することができませんが、私は僕のヒーローアカデミアという作品をいじめ問題を扱った道徳教材ではなく、ヒーローたちの成長を描く少年漫画だと認識しているので、緑谷出久と爆豪勝己を”ヒーローとヒーロー”として捉えて読んでいこうと思います。
2016-12-02 21:59:04ここまで読んでくださりありがとうございました。もしここまで読んでくださった方の中で、私と同じ読み方をする方に変えようと思ったり、今まで私と同じ読み方をしてきたと気付いたりした方がいれば幸いです。
2016-12-02 22:00:22