爆豪勝己が現時点(No.117 てめェの”個性”の話だ)で他人に対する横暴な態度を改められていないことに対して過剰に批判することの本質
”個性が無かったから身体を鍛えてこなかった緑谷出久”と、”優れた個性が有ったから他人に対する横暴な態度を改めようとしなかった爆豪勝己”は、どちらも等しく自分の個性の有無に甘えていたヒーローで、だからこそどちらかだけを擁護あるいは批判するのは不平等だと考えることができます。
2016-12-02 17:08:57そんな2人がいつも通り自分の個性の有無に甘えて過ごしていたある日、緑谷出久の方にだけ自分の個性の有無への甘えを正してくれる存在であるオールマイトが現れました。その日から緑谷出久はオールマイトの導きの下自分の個性の有無への甘えを克服し、様々な成長を遂げていきます。
2016-12-02 17:10:17一方爆豪勝己の前には自分の個性の有無への甘えを正してくれる存在など現れてないので、当然自分の他人に対する横暴な態度はそのままです。今までずっと自分の個性の有無に甘えていた者同士だったのに、いつの間にか緑谷出久だけが自分の個性の有無への甘えを克服していた。
2016-12-02 17:11:20その理由はもちろん、自分の個性の有無への甘えを正してくれる存在であるオールマイトが現れてくれたか否かの違いです(もちろんそこから自分がヒーローになり得る資質を持っていることをオールマイトに示したのは『救ける』というデク自身の行動ですが)。
2016-12-02 17:14:14逆に言えば緑谷出久の前にオールマイトが現れなかったら彼は自分の個性の有無に甘えたままだったでしょうし、反対に爆豪勝己の前にオールマイトが現れていれば彼は自分の個性の有無への甘えを克服できていたかもしれない。
2016-12-02 17:14:58少なくとも前者の”緑谷出久の前にオールマイトが現れなかったら彼は自分の個性の有無に甘えたままだった”については、ヘドロ事件の後オールマイトがOFAの譲渡の誘いに来なかったら諦めようとしてた描写から確定だと言えるでしょう。 pic.twitter.com/vVVP8O9Pp1
2016-12-02 17:15:59しかし実際には、自分の個性への甘えを正してくれるオールマイトは緑谷出久の前に現れて、爆豪勝己の前には現れなかった。これが現実です。つまりこのことは、現在の爆豪勝己はオールマイトが現れなかった場合の緑谷出久と同じ状況であることを示していると考えられます。
2016-12-02 17:16:43そしてさらにこの事実が何を示しているかというと、現時点での爆豪勝己に「他人に対する横暴な態度をやめろ(=何故やめてないのか)」と批判することは、無個性でオールマイトが現れる前の頃の緑谷出久に「肉体を鍛えてヒーローを目指せ」と言うことと本質的には同種のもの、ということです。
2016-12-02 17:19:40例えば相澤先生始め雄英の教師陣はデクが元無個性で肉体を鍛えてなかったことを知らないので、彼らにはかっちゃんを叱りつける権利がありますが、デクが無個性であることを知ってる読者がかっちゃんが態度を改めてないことだけを批判し、デクの無個性時代に何も批判しないのはアンフェアだと言えます。
2016-12-02 17:20:23特に「仮免試験で欠点を指摘されたにも関わらず、何故今その欠点を直せてないんだ」と批判することは、緑谷出久がオールマイトのことを自分の個性の有無への甘えを正してくれると信頼したのと同程度のレベルで、爆豪勝己がただ欠点を列記しただけの紙キレを信頼していたと思ってたということになります
2016-12-02 17:24:39しかしそれは爆豪勝己というキャラクターへの不理解から、緑谷出久にとってのオールマイトの存在の大きさと、爆豪勝己にとっての欠点をただ列記しただけの紙キレの存在の大きさを同程度見做していたということです。(このこと自体を問題視してるわけではありません)
2016-12-02 17:31:26まとめます。幼馴染の違いは自分の個性への甘えを正してくれるオールマイトが現れてくれたかどうかであり、現在のかっちゃんが横暴な態度を改めてないことへの批判は、無個性の肉体を鍛えてなかった頃のデクへの批判と同種ものであるため、そのどちらも知ってる我々はどちらかだけを批判すべきではない
2016-12-02 17:33:41=追記=
先述までの内容に対して、
"デクが中3まで肉体的な努力をしていなかったことは持たざる者の怠惰、かっちゃんが現在まで他人に対する横暴な態度を改めてこなかったことは持つ者の傲慢であるが、有個性者と無個性者の割合から、デクは身体障害者でかっちゃんは健常者みたいなもので、身体障害者が良い医者を見つけて活躍するようになったことと、健常者が良い師に出会えず横柄な態度を改めないことを並べて話すことはできない"
という、先述の私の主張の根本的な、「”個性が無かったから身体を鍛えてこなかった緑谷出久”と、”優れた個性が有ったから他人に対する横暴な態度を改めようとしなかった爆豪勝己”は、どちらも等しく自分の個性の有無に甘えていたヒーロー」という前提を覆すご指摘をいただきました。
それを受けて、こちらの指摘は幼馴染の関係を『読者である我々の客観的視点から見たときは』基本的に正しいとした上で、先述の私の主張についてさらに詳しい説明を追記しました。
これは正論 >RT 中3までの2人を持たざる者の怠惰と持つ者の傲慢と表した表現も、有個性者と無個性者の割合から見た、デクは身体障害者、かっちゃんは健常者という例えも的確。また、デクが肉体的な努力以外の努力をしていたこともその通り。
2016-12-02 21:38:26なのですが、補足させていただくと、 ここで大切なのはデクにとっての怠惰もかっちゃんにとっての傲慢も、本人たちにとってはどちらも1人では解決不可能な課題ということ。つまり我々読者から客観的に見たときの話ではなく、本人たちから見た主観の話をしている、ということです。
2016-12-02 21:39:22例えば対人恐怖症の患者に対してコミュ力抜群の人が、「なんでお前はもっと上手く喋れるようにならないんだ」と言っても、それはその人にとっては簡単だろうけど患者本人にとっては大変で難しい課題であるのと同じように、
2016-12-02 21:40:10かっちゃんにとっても優れた個性を持ったが故に傲慢な態度になってしまうのは、精神的にとても苦労し、1人では乗り越え難い課題ということです。それを踏まえると、デクを身体障害者と例えるのであれば、かっちゃんは精神障害者と言えるのかもしれません。
2016-12-02 21:41:31なので先述の『甘え』とは、デクもかっちゃんもそれぞれあることが理由で、(少なくとも職業的な意味での)ヒーローになるために必要なことの1つをやっていなかったという事実を示すためのもので、それ以外のことも怠けていたという揶揄する意図はありません。
2016-12-02 21:42:25その答えは、まずデクの方は無個性に産まれたからで、彼の自尊心が正常に育まれず彼がさらに肉体的な努力をすることから遠ざかってしまうことになったのは、その無個性を理由に周囲からその存在を軽んじられていたから。
2016-12-02 21:43:44一方かっちゃんの方は、優れた個性を持って産まれたために周りの大人たちがその個性を過剰に持ち上げすぎてしまい、彼を厳しく叱ってくれる大人がいなかったから(※もちろん子供を褒めることは大人としてする必要のある教育で、彼の個性を褒めた大人たちを1人1人見たときに彼らに非はありませんが)
2016-12-02 21:44:19この2人に対してそれぞれ無個性故の軽視と有個性故の過剰な持ち上げを行う人たちには、扱いとしての方向性は正反対ですが、どちらも個性を重視しすぎるが故に生まれた個性至上主義の価値観が根付いています
2016-12-02 21:48:32