高度経済成長期の琵琶湖ダム化計画まとめ

かつて琵琶湖に湖中ダムを建設する計画があったらしい。そんな話を聞いて、幻と化した琵琶湖の土木計画を調べてみたら、面白い案がたくさん出てきた。もし計画が実現されていたら、今頃どんな世界になっていたのだろう。 出典:滋賀日日新聞社『琵琶湖を考えよう』(1968)
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ATSUJIN @atsatsatsa

「琵琶湖の総合開発計画が進むなかで、昭和30年代に琵琶湖中にダムを建設しようとする計画があったそうだが、この計画が出された時期や設置予定場所、ダムの規模を知りたい。また、その図面があれば見たい。」 | レファレンス協同データベース crd.ndl.go.jp/reference/deta…

2016-11-27 13:33:18
風霊守 @fffw2

琵琶湖に湖中ダム建設案なんてあったのか!もし建設されていたら今頃どうなっていたことやら。

2016-12-10 13:23:24
風霊守 @fffw2

意識高い系滋賀県民と化した pic.twitter.com/E0X1VTXlpr

2016-12-10 13:24:15
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風霊守 @fffw2

図書館の書庫から滋賀日日新聞社の『琵琶湖を考えよう』(1968)を引っ張り出してきた。琵琶湖の水利用をめぐる熱い物語が綴られている。湖中ダムなど幻と消えた様々な建設計画が載っていて面白い。

2016-12-10 13:28:43
風霊守 @fffw2

琵琶湖はかつてより数々の水害を引き起こしてきた。寛文10年から明治元年までの200年間に5回の瀬田川浚渫工事が行われたり、明治39年には南郷洗堰が設置されたりした結果、水位は低下。しかし、時代が変わり、工業用水の需要が増大。昭和期には滋賀と京阪神は深刻な水不足に悩まされていた。 pic.twitter.com/mmtXGk0t24

2016-12-10 13:42:26
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風霊守 @fffw2

昭和10年、内務省大阪土木出張所長高西敬義博士が「高西試案」(鉢巻案)を発表した。湖岸線約240kmのうち湖西の大部分を除く175.7kmに平均3.6mの高さの堤防を築き、水位を最高+2.4mまで上げるという案だ。堤防の上は幅10mの道路とし、琵琶湖一周の観光道路として利用する。

2016-12-10 13:48:36
風霊守 @fffw2

琵琶湖の水害がなくなる。用水も確保できる。内湖が不要になり農地干拓が進む。水位上昇により大型船が着岸できる。湖周道路で観光客も増える。…と高西博士は主張したが、県も住民も猛反対。堤防決壊時の大規模水害、地下水上昇による農業被害、湖岸の港や家屋の沈没、など問題だらけだったためだ。

2016-12-10 13:55:52
風霊守 @fffw2

昭和17年ごろから阪神工業地帯の電力不足が慢性化。電力供給源として琵琶湖が注目された。琵琶湖の水は、雪解け水が流れ込む3月から増水期に入り、梅雨や台風で10月まで水位上昇。増水期の水は瀬田川から流れ出し、有効に使われていなかった(無効放流)。

2016-12-10 14:03:23
風霊守 @fffw2

昭和18年から27年まで淀川河水統制第一期事業が行われた。水位+30cmから-1mまで9億2000万トンの湖水を有効利用するという計画だ。渇水期でも毎秒120トンの水が流されるようになり、冬の電力不足に役立ったが、戦時中に急速に進められた計画だったため、低水位対策が不十分だった。

2016-12-10 14:13:11
風霊守 @fffw2

昭和24年に大胆な野口研究所案が発表された。まず堅田を締め切り、宇治川沿いの志津に重力ダムを造り、琵琶湖とダムまでを一体にする。そして、保津峡にダムを造り21kmの水路で桂川・鴨川の水を南琵琶湖に送り、さらに笠置から木津川の取り入れて流量を増やし、40万kWを発電する計画だ。 pic.twitter.com/K4VOmnWpwl

2016-12-10 14:29:05
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風霊守 @fffw2

野口研究所案は、琵琶湖を-6mまで利用するという思い切った計画だった。大津堅田間は干上がることがあるので、この区域5400haを干拓。下流流量安定のため巨椋池干拓地を掘り起こして池に戻すということも考えられていた。…が、勿論コストが高すぎてこの計画は幻と消えた。

2016-12-10 14:32:11
風霊守 @fffw2

昭和25年から27年にかけて、電源開発をめぐり、県案、関西電力案、近畿地建案、経済安定本部案の四案が轡を並べた。激しい論争が繰り広げられたが、昭和28年の台風13号による被害により、琵琶湖開発の重点は一挙に電源開発から治水に方針転換。こうして電源開発論争は終止符を打ったのだった。

2016-12-10 14:38:11
風霊守 @fffw2

淀川水系下流の水不足を解消しつつ、琵琶湖の低水位被害を抑えるにはどうしたらよいか…?農林省はこの問題を解決するために昭和37年に「ドーナツ案」を発表した。総延長153km、高さ6m、上幅9m、床幅40mのドーナツ状の堤防を築き、琵琶湖を外湖と内湖に分けるという発想だ。 pic.twitter.com/lob6dlbPgp

2016-12-10 14:44:23
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風霊守 @fffw2

外湖は-30cmを維持、内湖は-3mまで下げて瀬田川を通じて下流に用水を供給。43箇所の閘門と溢流堤を設け、外湖の水が溢れたときは内湖に流れ込むようにする。堤防上をドライブウェイにして21箇所の橋を作る。総工費は700億円だ。

2016-12-10 14:47:32
風霊守 @fffw2

ドーナツ案はコストが非常に高く、湖岸の農林業へ与える影響も大きかった。そこで近畿農政局は昭和39年に改良案として「南湖ドーナツ案」を発表した。総工費は200億円で、ドーナツ案より500億円安い。しかしこの案も激変する社会情勢の中で泡沫と消えた。 pic.twitter.com/sZq2tby6vd

2016-12-10 14:51:49
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風霊守 @fffw2

昭和35年、琵琶湖総合開発協議会と近畿地建により「堅田守山締切案」が発表された。堅田と守山を結ぶ地点に高さ24m(地中15m)、堤長1.5km、幅12mのセルラーコッファー型コンクリート堰堤を建設して、琵琶湖全体を巨大なダムにするという計画だ。 pic.twitter.com/diSICR422M

2016-12-10 15:16:11
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風霊守 @fffw2

堅田守山締切案は、洪水時は北湖で食い止め、渇水時は北湖から水を汲むという南湖優先の計画だった。工費は63億円で、別途北湖の低水位補償など200億円が予定された。しかし、湖北と湖南の経済格差を助長することから、この計画は決定に至らなかった。

2016-12-10 15:37:26
風霊守 @fffw2

第2案として「白鬚・沖島・八幡締切案」も検討されたが、これも発表には至らなかった。

2016-12-10 15:37:58
風霊守 @fffw2

ちなみに堅田守山間のダム建設計画予定地には、昭和38年、琵琶湖大橋が建設された。もし昭和35年のダム建設計画が成立していたら、堤体の上を通る道路になっていたことだろう。

2016-12-10 15:41:43
風霊守 @fffw2

昭和39年、建設省により「湖中ダム案」が発表された。琵琶湖大橋の500m北の地点に、堤長1.5kmの水中もぐり堰を設置するという案だ。堤体の工費は70億円。付帯工事費、用地買収、補償費を含めて、計420億円。堅田守山締切案を弱めたもので、渇水時には南湖も-1.4mまで負担する。 pic.twitter.com/szppunfcme

2016-12-10 15:56:00
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風霊守 @fffw2

しかし湖中ダム案で提示された水位低下が問題だった。国土地理院が昭和38年に発表したデータによると、琵琶湖の水位が1m下がると6.572平方km、2m下がると26.747平方km、3m下がると44.105平方kmが干上がると見積もられている。

2016-12-10 16:09:08
風霊守 @fffw2

北湖が-3m、南湖が-1.4mの水位になると、従来の船着場や水道用水取水口は使えなくなる。試算では、揚水機140箇所、井堰161箇所が使用不能になると見積もられた。さらに、専門家の調査により、地下水低下で農業がピンチになり、南湖が汚れて漁業もピンチになると予想された。 pic.twitter.com/zenWdqPncT

2016-12-10 16:16:27
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風霊守 @fffw2

湖中ダム建設の視察に来た当時の瀬戸山三男建設大臣は「干上がればそれだけ土地が増えるじゃないか」と口を滑らせ、滋賀県民の反感を買った。

2016-12-10 16:20:08
風霊守 @fffw2

全県あげての反対運動により湖中ダム建設計画はあえなく撤回となった。昭和43年に出版された『琵琶湖を考えよう』に書かれている物語はここまでだ。それから半世紀、琵琶湖が分断されることなく、現在に至る。一体どんな治水対策をして上流と下流の需要を満たしたのか。それは読者への課題としよう。

2016-12-10 16:26:57
風霊守 @fffw2

ふぅ、本日の自由研究はここまで。ホットコーヒーがすっかり冷めてしまった。

2016-12-10 16:28:11