茂木健一郎氏 @kenichiromogi 第1972回【謙虚でなければ自由にはなれない】連続ツイート

2016.12/18 茂木健一郎氏 【自由意志の統計的構築】連続ツイート …教養とは何か。一つは、養老孟司先生がいつも言われる「人の心がわかること」だと思う(元々は、養老先生の母校である栄光学園の神父さんの言葉だそうだ)。そして、もうひとつは、謙虚であること、もう少し言えば、打ちひしがれていることかなと思う…
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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート1972回をお送りします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。

2016-12-18 08:28:38
茂木健一郎 @kenichiromogi

教養とは何か。一つは、養老孟司先生がいつも言われる「人の心がわかること」だと思う(元々は、養老先生の母校である栄光学園の神父さんの言葉だそうだ)。そして、もうひとつは、謙虚であること、もう少し言えば、打ちひしがれていることかなと思う。

2016-12-18 08:29:50
茂木健一郎 @kenichiromogi

教養の反対は傲慢や驕りだとすると、なぜ傲慢やおごりが生じるのかと言えば、世の中に恐ろしいこと、素晴らしいことがあるということを知らないからである。逆に、世の中の恐ろしいことを知っている人は、必然的に謙虚になるしかない。

2016-12-18 08:31:05
茂木健一郎 @kenichiromogi

ウォルト・ディズニーは飛んでいる鳥の羽の動きを分解して見られた、というようなことが言われているけれども、アニメーションの世界で、ディズニーがやったことをわかっている人は、謙虚になるしかない。

2016-12-18 08:32:16
茂木健一郎 @kenichiromogi

音楽で言えば、モーツァルトの作曲の量と質を知っている人は、作曲をやっていると言っても謙虚になるしかない。アインシュタインやニュートンの事跡を知る科学者も、謙虚になるしかない。文学で言えばジョイスやカフカ。

2016-12-18 08:33:20
茂木健一郎 @kenichiromogi

できるだけ背伸びして、その分野で最も良いものを知ることは、一つの基準をつくることにもなるし、その副作用として人を謙虚にする。たとえ、自らはものを生み出さないディレッタントでも、ものを知り、謙虚な人は、教養があると言える。

2016-12-18 08:34:19

ディレッタント

専門家ではないが、文学・芸術を愛好し、趣味生活にあこがれる人。好事(こうず)家。▷ dilettante

茂木健一郎 @kenichiromogi

リベラル・アーツは、自由になるための学問のはずだが、もし、教養が人を謙虚にするとするならば、リベラル・アーツは人を謙虚にするはずだ。人は、謙虚でなければ自由にはなれないのだろう。

2016-12-18 08:35:02
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート1972回「謙虚でなければ自由にはなれない」をテーマに、6つのツイートをお届けしました。

2016-12-18 08:35:35