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思うに、初期のゲームブックは、ゲームクリアが目標に与えられているけれど、実はそれは見せかけ上の目標に過ぎないのではないか。 もしそうなら、「真の道」を一発クリアしてしまえばゲーム終了のはずだが、その場合、「間違った道」の魅力的なイベントを体験することはできないのだ。
2016-12-23 17:17:12![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
一発で「真の道」を見つけ、ゲームブックをクリアしたプレイヤーが、他のイベントを味わうために、わざわざもう一回、間違っているとわかっている道を進むために本を開くならば、パズルとして矛盾を抱えていることになる。 でも実はそれが、ゲームブックの奇妙で、大きな魅力ではなかったのか。
2016-12-23 17:25:18![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
これは、能力値がなく、話がどんどん変わっていくタイプの『君ならどうする?』に顕著である。 10個のエンドがあるなら、そこには10の「冒険」があるのだ。 トゥルーエンドもバッドエンドも、本来は「体験」として等しく、それらをすべて味わったときにゲームブックは「クリア」となるのである。
2016-12-23 17:29:54![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
『シャーロック・ホームズ 十の怪事件』は、与えられているクリアを目指すなら、数ヶ所にしか訪れることができない。 しかし、あのゲームの楽しみは本来真逆である。 地図や住所録を見て、ロンドンの街を捜査することが楽しいのだ。 本質は体験の面白さで、それが逆にクリアを阻害するのである。
2016-12-23 17:34:32![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ゲームブックの後期作品が、初期の豊穣さをなくしてしまったとするならば、「ゲームをクリアすること」に目的が一本化してしまったからではないか。 実は「ゲームをクリアすること」は、本来それほど重要な要素ではなかったのではないか。
2016-12-23 17:39:53![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ひるがえって、僕は脱出ゲームを「解く楽しみ」を純粋培養したものだ、と言ったけれど、リアル脱出ゲームが流行っている昨今を考えれば、あれも「体験の楽しみ」ではないか。 友達と「クリアできなかったけど、楽しかった!」と笑えれば、ゲームとしては大いにアリのはずだ。
2016-12-23 17:45:22![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
もっと俯瞰的に言うと、ゲームの本質とは、プレイヤーに「体験」を与えることである、ということか。 一見重要そうな「クリア」は、副次的な要素でしかないのだ……!
2016-12-23 17:51:16![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
余談だけど、『盗賊都市』で、わざとザンバー・ボーンの扉を通り過ぎて屋上まで上る人、絶対僕だけじゃないよね。 あれも「体験」を重んじてるからか。 何だかスッキリした。
2016-12-23 17:53:51○ザンバー・ボーン
ゲームブック『ファイティング・ファンタジー』シリーズ第5巻『盗賊都市』に登場する“闇の王者”。
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ところできみは『盗賊都市』の敵役の名前を憶えているか?なに、アズール卿だって?君は冒険中に寝ぼけてでもいたのか? 正しい人物名を冒険記録紙の裏にでも書き留めてから次のパラグラフに進め。 #進めない #だれだっけ #かろうじてニカデマスは思い出した
2016-05-15 19:44:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ああっ!馬車で通り過ぎるだけのアズール卿の強烈すぎる悪のカリスマに印象全部持っていかれてプレイした人間の9割が「『盗賊都市』のラスボスの名前?もちろんアズール卿……じゃなかったな、そういえば。……あのラスボスなんて名前だっけ?」状態になるという気の毒なラスボス様だ! RT
2016-12-20 19:30:10では、「体験」と「ゲームクリア」の話の続きをどうぞ。
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ゲームブック、特に初期のFFでは、一枚のイラストつきで謎めいた状況が与えられ、君ならどうする、という並列の選択肢を与えられた。 このようなのんびりした場面は、後期になるにつれ、はっきりと減少していった。 ほとんど皆無になった、とさえ言っていい。
2016-12-23 19:59:31![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
これには、もっとも単純には、謎めいたイベントを思いつくのが大変、という事情がまずある。 また、ゲーム機の進化により、アドベンチャーゲームが、表示に時間のかかる紙芝居的なものから、ヌルヌル動くアクション的なものに変わったことにも、ある程度影響は受けてはいるだろう。
2016-12-23 20:04:09![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
初期のFFのイベントは、どれを選択しても、大したことにはならない。実際「間違って」も、せいぜい体力点が減るくらいである(たまに技術点で痛い目にあうが)。 ペナルティの低さが自由度を保証しており、「正解」を知っておく必要はない。 逆に、それだと興ざめでさえあるかもしれない。
2016-12-23 20:15:35![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
これが、後期FFになると、二枚の扉、間違った方を開けると即死であり、あらかじめ正解を知っておくか、いちかばちかの賭けに勝たないと終わり、というような選択肢が頻発する。 初期FFとは、明らかにイベントとしての性格が違ってしまっているのだ。
2016-12-23 20:18:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
はたして「冒険度」はどちらの方が強いのか。 何となく後者の方に思えてしまうが、それは「ゲームクリア」に主眼を置いた場合であり、「体験」を楽しむという点では、はっきりと後者は後退している。 この緊張感は、数年後に「楽しかった記憶」として思い返す種類のものだろうか?
2016-12-23 20:23:59![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
リビングストンは『死のワナの地下迷宮』の好評で、難しいものの方が好まれるようだ、と結論づけたが、『迷宮探険競技』が今ひとつに終わったのは、前作を本当に魅力づけていた要素、「体験」のおもしろさをゴッソリと削ってしまったからだ、と思う。
2016-12-23 20:29:54![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
後期FFでも、『モンスター誕生』などはまた別種の難しさを誇るが、あの作品が好きな人はきっと多いだろう。 それは、ドリーの村に飛ばされる、というデッドエンドですら、「体験」となってプレイヤーの中に残るからだと思われる。
2016-12-23 20:32:38![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ゲームブックの楽しみは「体験」であって、「クリア」は副次要素に過ぎないとすると、『悪霊の洞窟』の一撃戦闘がなぜバカバカしいのかが、改めて理解できると思う。 一撃戦闘で勝つことは、何らプレイヤーの「体験」心を満足させないからだ!
2016-12-23 20:35:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
ただし、ゲームブックが「クリア」を重視してデスゲーム化していったのは、ある程度避けられなかった道でもあろうし、それなりに意義があると思うので、一方的に断罪だけするつもりはない。 ただ、その中身を鑑みれば、改めてゲームブックの魅力とは何なのかが、はっきりと浮き彫りになるとは思う。
2016-12-23 20:44:26