ゲッコーパレード【戯曲の棲む家vol.3 】『ハムレット』の感想まとめ

ゲッコーパレードが2016年8月に行った公演の感想ツイートのまとめです。
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ふせありな @aRina_sPr9

ゲッコーパレード「ハムレット」のちゃんとした感想3 ゲッコーパレードの「戯曲の棲む家」は1からずっと見てるけど、今回が一番家でやる意味があったように思う。演出家には話したけど、今までは戯曲の力に引っ張られすぎてる感じがしたけど、今回はむしろ戯曲で遊んでる感じがあった

2016-08-31 17:12:41
丹澤美緒 @416914

ゲッコーパレードの『ハムレット』みてきました。 演劇のスタート地点を掴んだ良い公演だった。やってみたい、言ってみたいからはじまる。いつの間にか誰かにみせている。そんなかんじ。

2016-08-31 17:28:20
ふせありな @aRina_sPr9

ゲッコーパレード「ハムレット」感想おまけ ○楽日が無事にはねたようなので。ハムレットとガートルードのシーン、私は個人的に学生(大学)時代に母にセリフ覚えを手伝ってもらってるときのことを思い出しました。だから、新しいものを見たというより、(俳優として)懐かしいものを見た感覚。

2016-08-31 21:59:22
ふせありな @aRina_sPr9

ゲッコーパレード「ハムレット」感想おまけ2 なんか、そんなメタ的な構造も感じた。まだ舞台に上がる前の、稽古でもなく、ある種「楽屋」というか。本当に半(3/1?)公的で、半(3/2?)プライベートなものを覗き見ているというか。うん。面白かった。

2016-08-31 22:04:00
chaghatai @chaghatai_khan

何という飯テロハムレット。おなかすいた。

2016-08-31 20:10:28
chaghatai @chaghatai_khan

ゲッコーパレード『ハムレット』、台所を舞台として、冷蔵庫、飲食料品、調理器具…とこれまでは封印気味だった一軒家公演だからこその武器を存分に投入、シリーズ3作目にしていよいよ《戯曲の棲む家》になってきた感ある。

2016-08-31 22:20:40
chaghatai @chaghatai_khan

テキストはバラバラに並び替えられ、「ひきこもり気味一人ハムレット編」「ガールズリッツパーティー編」「家族の食卓デンマーク王家編」(注:タイトルは適当です)がシームレスに繰り出されてくる。どれか一つだったら既にどこかで類似の演出が上演されていよう。変幻自在の配球の妙が今作の醍醐味。

2016-08-31 22:22:03
やまけん @yamakenta

ゲッコーパレード『ハムレット』。最も「ヤバかった」のは女優2人、男優1人が食卓につき、ともに食事を摂る場面。立ち居振る舞いはごくごく普通の食事風景なのにそこにハムレットがガートルードとクローディアスに食ってかかる場面がオーバーラップする。→

2016-08-31 22:49:46
やまけん @yamakenta

ごくごく普通の、というのは日本の現代の、の意。何がヤバいって本当は誰もハムレットの台詞なんか言ってないんじゃないかと思わされてしまったところがヤバい。ハムレット役の男(というのは正確ではないのだけど)も「自分はハムレットの台詞を幻聴として聴いてるんじゃないか?」的な演技を→

2016-08-31 22:53:36
やまけん @yamakenta

しているようにも見えるんだけど、その男の発するハムレットの台詞も含めて観客である俺だけに聴こえる幻聴なんじゃないか、と思ってしまうくらい家族の食事風景とハムレットの台詞が乖離しつつ重なってた。たぶんこの場面だけ観てもそうは思わないんだけど、ここに至るまでにリアリティのレベルを→

2016-08-31 22:56:00
やまけん @yamakenta

大胆かつ緻密に揺らしてくるのが効いてる。演劇の観客は「そこにないものを見ている」という意味で潜在的にハムレットであるということをこんなにも鮮やかに体験させられるとは!

2016-08-31 23:01:02
miss_you @MissYou_missyou

ゲッコーパレード「ハムレット」@旧加藤家DK、リピート2日目、千秋楽。座る位置を少し変え、見えるのは懐かしい日本の台所、生活を豊かにする家電品があふれ、聴こえるのは遠い国でずっと昔に編まれた言葉、そのアンマッチさがゾクゾクと全身に伝わってくる。思い出した!「道成寺」は観ていた。

2016-08-31 23:50:20
chaghatai @chaghatai_khan

@yamakenta 「家族の食卓デンマーク王家編」が最高でしたね。留学を取りやめる話が現代日本の一家の食卓で進学の是非について話し合っているようにしか見えないという。アトレウス家に一番近づいた作品じゃないかと思いました。(その筋には最高の褒め言葉。新座のかもめは未見。)

2016-09-01 00:02:05
鹿島 将介 @shikanobu

かつて身体が空間に〈棲む〉ことに言葉を尽くしていた頃の鈴木忠志には、演劇を考えるのに利賀山房という条件があった。合掌造の日本家屋を劇場に見立て、ギリシャ悲劇やシェイクスピアの言葉を発語できる身体と演技は何か、フィクションとは何か、試行錯誤した。鄙びた梁の陰翳に狂気を宿らせていた。

2016-09-01 13:52:01
鹿島 将介 @shikanobu

当時すでに合掌造は多くの人々の日常生活から遠かったとはいえ、祖先の生活や記憶と地続きになるような感覚を観客にもたらす仕掛けとしても機能した。実は利賀山房は限界芸術論の実践例の一つ。民家で演劇を立ち上げる場合、空間をどう見立てたのか、その条件や環境において身体や演技を何としたか。

2016-09-01 14:08:38
鹿島 将介 @shikanobu

民家におけるアトレウス家やマレビトの会の実践は、くつろぐ身体や一瞬の劇的な出来事を媒介に、ロケ現場に居合わせたかのようなフィクションを立ち上げた。ここでは巧妙に準備されたパンフレットがプロセニアムの機能を果たしていた。俳優は原作テクストの言葉が持つ強度から演技を考えないで済んだ。

2016-09-01 14:33:25
鹿島 将介 @shikanobu

蕨の旧加藤家でおこなわれたゲッコーパレードは、どうだったろうか。照明の手数、亡霊のシーン、キッチンテーブルに蒲団を敷くあたりや、戸棚に俳優が飛び込むところは思いきりが良かった。昭和の民家の間仕切りは、プロセニアム的という気づきもあった。以上は構成の妙味だが、構造は旧態依然だった。

2016-09-01 14:46:45
鹿島 将介 @shikanobu

『ハムレット』は、民家の台所を劇場に仕立て上げようとしているのがネック。俳優の演技も身体も眼科画廊で公演した時と同質で、空間との交渉が小道具頼みなのに雑然としていて一つ一つがシャープにならない。民家という条件がフィクションを取り出す仕掛けにならず、ナチュラルな環境に留まっている。

2016-09-01 15:06:48
鹿島 将介 @shikanobu

最近は構成のシームレスさやフィクションの移行性がもてはやされる傾向があるが、今回の演技はエチュードとまりのアイデアがチグハグに連鎖していた。昭和の民家という条件が背景や環境でしかないなら、劇場でやればいい。原作の扱いも食べ物との遊戯性や引籠りや狂気ぶるためのネタ以上の次元が必要。

2016-09-01 15:32:20
鹿島 将介 @shikanobu

最後に音源の扱いは、選曲からしてムード先行で安易過ぎ。昭和の台所に対して、ビートルズや宇多田ヒカルをかけることで引き出せたフィクションは何か?俳優の身体にも、空間にも、特に更新するものがなく、ただ観客を繋いでいるだけ。それでいい人もいるんだろうけどね。以上、黒田先輩たちへの感想。

2016-09-01 16:08:33
niketobita @nike_tobita

ゲッコー、ハムレット。しょうもなさとアクチュアリティについて。アクチュアリティと親近感は混同すべきでない。フィクショナルでないこと≒アクチュアルであることと俳優の身体が同居できていない。メタフレームによってフィクションは退けられているかに見えるが、それは構造的観念的なもので、

2016-09-02 23:50:24
niketobita @nike_tobita

俳優の身体や発語はきわめてフィクショナル。のぞき見る観客はかぎりなく想定され、民家の台所であることと対応できない。これは逆説的にアクチュアルであることを阻害する。つまり観客は俳優に眼差されることで空間のアクチュアリティを意識しなくなる。モノそれ自体を発見しなおすことを阻害される。

2016-09-02 23:51:25
観てきた! @mitekita_

【観てきた!】 ハムレット: 「戯曲の棲む家」3公演目、8/30(火)、8/31(水)、各19:00の回、60分。 1.「アンティゴネー」東向き(海外) 2.「戸惑いの午后の惨事」南向き(国内)… dlvr.it/MBHCqr (←全文)

2016-09-04 21:38:08