岡﨑乾二郎「メディアとは?芸術とは?」
○42 デュシャンによれば、芸術係数という語は当時,言われはじめた、「生の芸術※」/アール・ブリュット/à l'état brut の、デュシャン流の翻案である。(※いまはアウトサイダーアートと呼ばれるところの)。
2010-03-20 18:00:03○44 「二次過程」による加工物の残り滓―いわば鑑賞者による(都合のよい)転移(解釈=変換)の残り滓——が、必ず現れる。芸術係数は、この消化されず、予期せず、出現した残り滓=不活性物質にこそ具現されている。これこそ芸術の「生の状態」である。
2010-03-21 00:00:07○45 不活性物質(inert matter)に示される芸術係数(art coefficient)=生の状態の芸術(art à l'état brut)
2010-03-21 03:00:06○46 デュシャンにならって,メディアアート(と呼ばれるもの)を、芸術係数によって定義できる。それは特定のメディアに属さない。あらゆるメディアに転移していくことを本質としている。しかし、それがなお、アート(芸術)と呼ばれざるをえないとすれば、
2010-03-21 06:00:07○47 メディアからメディアへの移行、変換の過程で変換し損ねた、思いがけぬ細部、予期せぬ物質=不活性な抵抗物が、姿を現わすからである。
2010-03-21 09:00:07○48 アーティストも鑑賞者(鑑賞者はアーティスト以上に)も、そのずれに自覚的となり、そこにとどまらなければ(注視しなければ)ならない。
2010-03-21 12:00:06○49 あえてその不活性(inert)な状態にとどまり(=遅延し)、その物質的剰余、ずれに注目し、それが生み出したはずの、潜在過程を解読することを試みること。他の形式として,その物質を洗練(=迂回)させること。
2010-03-21 15:00:04○53 そこに留まり、潜在する、ありえた(ありえる)別の可能な形式を見いだす(産出する)。メディア(によるメディア)批判。であれば、それをメディアアートと呼ばざるをえない。
2010-03-22 03:00:07○54 生の状態に留まったまま、のメディアアート(media art, that is still in a raw state. )
2010-03-22 06:00:07○55_1補足議論 特定のメディア(メディウム)に限定されず、その翻訳、変換を特質とすることでメディアアートは、メディウムから自立したデータ→コンテンツ→コンセプトという幻影=効果を生み出す。
2010-03-22 09:00:05○55_2(再確認)このコンテンツ=コンセプトは、複数のメディアの変換過程でのみ効果として現れる。あるいは同じコンテンツを指示している、と見られる異なる複数のメディアの、にもかかわらず通約(翻訳)しがたい平行性、ズレ(芸術係数)にだけコンセプトの存在は示唆される。
2010-03-22 09:30:03○55_3 以上の原理上、コンセプチュアルアートにおけるコンセプトは、特定のメディアに位置づけられず記載できない。つまり安定したコンテキスト(文脈)上に位置づけられず記載できない(ゆえに当然、みずから独自の文脈を組織し位置づけることもありえない)。
2010-03-22 10:00:08○55_4 文脈はメディアに(を)固定され、系として形式化(特定化)できたとき、はじめて安定する=文脈たりえる。(文脈はコードを伴う)。
2010-03-22 10:30:02○55_5 (確認。繰り返し)。メディアアート同様にメディアアートに付随した効果としての、コンセプチュアルアートはそれを位置づける基盤としてのメディアをもたない(データになりえない)。
2010-03-22 11:00:04○55_6 コンセプチュアルアートは、複数のメディア(それに伴う複数の表現形式系)のズレ(その過程)においてのみ成立する、パフォーマティブな効果としてだけ成立する。この意味でコンセプチュアルアートは(政治的な)活動と同型である。
2010-03-22 11:30:04○55_7 コンセプチュアルアートが、にもかかわらず独自のコンテキスト=系を組織し、さらにそのことによって歴史化(制度化)しようとする欲望を抱くとすれば、それは単なる反動である(政治的メカニズムにおける反動と同じ)。
2010-03-22 12:00:02○ 55_8 みずから産出した幻影(コンセプトの自立)にみずから煽動され、欲望操作されてしまうという反動。誤認された対象=歴史化(制度化)の願望によってコンセプチュアルアートはみずから破綻する。
2010-03-22 12:30:04○55_9まとめ コンセプチュアルアートはメディアアートに組み込まれたパラドックス(=メディアアートは基底的なメディアを持ちえない=規定できない)の現れ=表現である。
2010-03-22 13:00:04○ 55_10 対して、不活性物質=inert matter は決して消去できない(対象ではなく抵抗として、残る)。
2010-03-22 13:30:02○ 55_11メモ objective correlative (客観的相関物——エリオット)の批判的継承としてのinert matter(不活性物質——デュシャン)。(→『ハムレット』に見いだされるのは、inert matterである)。
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