岡﨑乾二郎「メディアとは?芸術とは?」

第13回メディア芸術祭最終日の2010年2月14日に行われたテーマシンポジウム「メディアとは?芸術とは?」の冒頭で、アート部門審査委員の岡﨑乾二郎氏によって話された内容の要約のまとめ。 議論のハッシュタグは #media_medium でお願いします。 //関連リンク 続きを読む
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@art_studium

○42 デュシャンによれば、芸術係数という語は当時,言われはじめた、「生の芸術※」/アール・ブリュット/à l'état brut の、デュシャン流の翻案である。(※いまはアウトサイダーアートと呼ばれるところの)。

2010-03-20 18:00:03
@art_studium

○43 すなわち「生の芸術」=無垢の「一次過程」など存在しない。だが、一方で「二次過程」によって、すべてが変換されるわけでもない。

2010-03-20 21:00:05
@art_studium

○44 「二次過程」による加工物の残り滓―いわば鑑賞者による(都合のよい)転移(解釈=変換)の残り滓——が、必ず現れる。芸術係数は、この消化されず、予期せず、出現した残り滓=不活性物質にこそ具現されている。これこそ芸術の「生の状態」である。

2010-03-21 00:00:07
@art_studium

○45 不活性物質(inert matter)に示される芸術係数(art coefficient)=生の状態の芸術(art à l'état brut)

2010-03-21 03:00:06
@art_studium

○46 デュシャンにならって,メディアアート(と呼ばれるもの)を、芸術係数によって定義できる。それは特定のメディアに属さない。あらゆるメディアに転移していくことを本質としている。しかし、それがなお、アート(芸術)と呼ばれざるをえないとすれば、

2010-03-21 06:00:07
@art_studium

○47 メディアからメディアへの移行、変換の過程で変換し損ねた、思いがけぬ細部、予期せぬ物質=不活性な抵抗物が、姿を現わすからである。

2010-03-21 09:00:07
@art_studium

○48 アーティストも鑑賞者(鑑賞者はアーティスト以上に)も、そのずれに自覚的となり、そこにとどまらなければ(注視しなければ)ならない。

2010-03-21 12:00:06
@art_studium

○49 あえてその不活性(inert)な状態にとどまり(=遅延し)、その物質的剰余、ずれに注目し、それが生み出したはずの、潜在過程を解読することを試みること。他の形式として,その物質を洗練(=迂回)させること。

2010-03-21 15:00:04
@art_studium

○50 それが芸術係数の効果である。すなわち他の変換過程=メディアを生成させる、あるいはその生成をうながす。

2010-03-21 18:00:05
@art_studium

○51 「二次過程」に見いだされる遅延、不活性な抵抗。つまり物質による批判。

2010-03-21 21:00:06
@art_studium

○52 「二次過程」から遡行的に見いだされる「別の過程」。生の状態。

2010-03-22 00:00:07
@art_studium

○53 そこに留まり、潜在する、ありえた(ありえる)別の可能な形式を見いだす(産出する)。メディア(によるメディア)批判。であれば、それをメディアアートと呼ばざるをえない。

2010-03-22 03:00:07
@art_studium

○54 生の状態に留まったまま、のメディアアート(media art, that is still in a raw state. )

2010-03-22 06:00:07
@art_studium

○55_1補足議論 特定のメディア(メディウム)に限定されず、その翻訳、変換を特質とすることでメディアアートは、メディウムから自立したデータ→コンテンツ→コンセプトという幻影=効果を生み出す。

2010-03-22 09:00:05
@art_studium

○55_2(再確認)このコンテンツ=コンセプトは、複数のメディアの変換過程でのみ効果として現れる。あるいは同じコンテンツを指示している、と見られる異なる複数のメディアの、にもかかわらず通約(翻訳)しがたい平行性、ズレ(芸術係数)にだけコンセプトの存在は示唆される。

2010-03-22 09:30:03
@art_studium

○55_3 以上の原理上、コンセプチュアルアートにおけるコンセプトは、特定のメディアに位置づけられず記載できない。つまり安定したコンテキスト(文脈)上に位置づけられず記載できない(ゆえに当然、みずから独自の文脈を組織し位置づけることもありえない)。

2010-03-22 10:00:08
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○55_4 文脈はメディアに(を)固定され、系として形式化(特定化)できたとき、はじめて安定する=文脈たりえる。(文脈はコードを伴う)。

2010-03-22 10:30:02
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○55_5 (確認。繰り返し)。メディアアート同様にメディアアートに付随した効果としての、コンセプチュアルアートはそれを位置づける基盤としてのメディアをもたない(データになりえない)。

2010-03-22 11:00:04
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○55_6 コンセプチュアルアートは、複数のメディア(それに伴う複数の表現形式系)のズレ(その過程)においてのみ成立する、パフォーマティブな効果としてだけ成立する。この意味でコンセプチュアルアートは(政治的な)活動と同型である。

2010-03-22 11:30:04
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○55_7 コンセプチュアルアートが、にもかかわらず独自のコンテキスト=系を組織し、さらにそのことによって歴史化(制度化)しようとする欲望を抱くとすれば、それは単なる反動である(政治的メカニズムにおける反動と同じ)。

2010-03-22 12:00:02
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○ 55_8 みずから産出した幻影(コンセプトの自立)にみずから煽動され、欲望操作されてしまうという反動。誤認された対象=歴史化(制度化)の願望によってコンセプチュアルアートはみずから破綻する。

2010-03-22 12:30:04
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○55_9まとめ コンセプチュアルアートはメディアアートに組み込まれたパラドックス(=メディアアートは基底的なメディアを持ちえない=規定できない)の現れ=表現である。

2010-03-22 13:00:04
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○ 55_10 対して、不活性物質=inert matter は決して消去できない(対象ではなく抵抗として、残る)。

2010-03-22 13:30:02
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○ 55_11メモ  objective correlative (客観的相関物——エリオット)の批判的継承としてのinert matter(不活性物質——デュシャン)。(→『ハムレット』に見いだされるのは、inert matterである)。

2010-03-22 14:00:02
四谷アート・ステュディウム @art_studium

○ 56 メディアアートはメディアに組み込まれているパラドックスこそを明らかにする。

2010-03-22 17:00:03