消えた都市交通の夢を追う -ソウル・京城軌道

日本統治時代から1968年まで、ソウルに都市近郊私鉄が走っていました。その痕跡と、当時の夢を、追ってみました。
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せき のりかず @kotonoha_s

交通人文前衛社「交通表象」第2号の「消えた都市交通の夢を追う ―ソウル・京城軌道」の補足をしていきましょうかね… #交通人文前衛社 #京城軌道 pic.twitter.com/ROyhvXKWb2

2017-01-01 21:48:17
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京城軌道は1930年11月に、ソウル郊外の往十里から、漢江の渡し船・河川舟運の拠点となっていた纛島(トゥクソム)への地方鉄道的な非電化単線の路線として開業、数年後に電化・市街隣接の東大門へ延伸し、支線も敷設してソウルの近郊電車として活躍。 #交通人文前衛社 #京城軌道 pic.twitter.com/8tesHNlB7B

2017-01-01 21:57:48
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京城軌道は途中さまざまな経緯があるにせよ運行は続けられていたが朝鮮戦争の被災が大きく、市営に転換され戦後復興期にはアメリカ支援の大型路面電車も導入されるなど体質改善が図られつつあったが、市の方針転換で1968年に廃止。しかしその痕跡は今に残る。 #交通人文前衛社 #京城軌道 pic.twitter.com/H4I2nCnkfa

2017-01-01 22:09:37
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京城軌道の市街側起点駅は、東大門の真横。航空写真を見ると、路面電車クラスながら結構立派な駅。着線は3本あり、ホームには大屋根が架かり、駅の手前には貨物取扱用地らしきものも見える。ホームの大屋根は非電化時代から架かっていたとの記録が(NEWSIS及び京城電気社史より)。 #京城軌道 pic.twitter.com/XhNGdAW5bK

2017-01-01 22:42:34
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京城軌道東大門駅、敷地は現在ホテルとなっています。その前には小さな記念碑が建てられていて、過去の栄光を今に伝えます。 駅の背後にあった貨物用地もカーブした敷地の形そのままに雑居ビルとなって現存。廃止から半世紀経った今でも、じゅうぶんに往時を偲べます。 #京城軌道 pic.twitter.com/q3sc41OYWy

2017-01-02 11:07:17
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東大門駅はかなり立派な駅施設でしたが、そこから先の軌道は線路敷だか路地なのか分からないような区間を経て、東廟駅から清渓川沿いへと進みました。当該区間は東大門駅付近の一部は恐らく不法占拠を経てバラック街になり、その先の併用軌道区間は今も路地として残っています。 #京城軌道 pic.twitter.com/Y6C4ggtxxP

2017-01-02 11:26:38
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#京城軌道 の痕跡ですが、東廟駅より先は1970年代の清渓川覆蓋・道路化事業で川沿いが再開発され、鉄道の痕跡は残っていないはずなのですが、軌道跡なのでは?と思わせる路地と、朽ちかけた再開発ビルの様子が相まって、まちあるき的には楽しい区間。写真は旧東廟駅辺りから東側を見た構図。 pic.twitter.com/AqNfSRI2wB

2017-01-02 11:35:02
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#京城軌道 東廟駅の周辺は日本統治時代から区画整理が進められ、良好な住宅地として整備されつつあった地区。今は市街地近接の業務・住宅混在地区となったり、高層アパートで市街地が更新されたりしている。 そんな中、京城軌道の走っていた辺りだけが時代に取り残されたような状況。 pic.twitter.com/4PeFTUMTcX

2017-01-02 11:44:37
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枯れた雰囲気の市場の横、そして先には、清渓川覆蓋・道路化事業と併せて建設した再開発アパート群。1970年代当時は韓国随一の近代的住居として人気を博したようですが、今では枯れきったビル群。そしてこのビル群の底には、京城軌道が埋もれているはず。 #京城軌道 pic.twitter.com/LKeuboR9ye

2017-01-02 12:02:25
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さて #京城軌道 の廃線跡は、清渓川を渡り南下を始めるのですが、その前後の区間は再開発で完全に痕跡は消滅。川の北側は懐かしい街並み、南側は高層団地。そして川には、1970年代の暗渠化・高架道路敷設のモニュメントとして橋脚が残されています。今の清渓川は、いい雰囲気の散策コース。 pic.twitter.com/6gauhq13EZ

2017-01-02 18:07:58
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高層団地の南側に回り込むと、一本の真っ直ぐな路地が見えてきます。恐らくここが旧馬場駅辺りで、この道が軌道跡です。かなり明確に、道が延びています。 #京城軌道 pic.twitter.com/dFtcK727eX

2017-01-02 18:42:42
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周囲の街区とは異なる角度で進む道、周囲の家とは異なる角度で建つ家、倉庫。そして、斜めに割り込んでいく隙間。この先は、往十里駅。 #京城軌道 pic.twitter.com/QF4mIAG7GG

2017-01-02 18:53:32
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往十里駅、ここには京城軌道の駅・車庫、国鉄の貨物取扱用地、そして市電の終点があったのですが大規模に再開発され、往年の雰囲気は全くなくなりました。 #京城軌道 pic.twitter.com/lgtqEENuMK

2017-01-02 19:06:03
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#京城軌道 は駅の南側で国鉄をアンダーパスし、一旦併用軌道となり中浪川を渡り纛島、今の聖水洞へ向かいます。往年は電車とクルマがせせこましく渡っていた橋は、今はこんな立派になり、その脇には地下鉄2号線が走ります。これが、生まれ変わった京城軌道なのですね。 pic.twitter.com/18QwjSd72y

2017-01-02 19:11:45
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#京城軌道 の線路跡は、城東橋を渡った先にも続きます。地下鉄2号線が走る幹線道から一歩入ったところには、上後原駅跡と思しき空間と路地。そして支線が分岐していた方向には、緩やかなカーブを描いた道が。 pic.twitter.com/vWfyVAESk4

2017-01-03 11:38:29
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#京城軌道 の線路跡、聖水エリアでも割と明確に残っています。地下鉄2号線トゥクソム駅の窓から街を見れば、街区を斜めに突き進む細街路があります。これが軌道跡。そしてその先には、1920年代から市街化していた纛島の街。今は、聖水洞と呼ばれています。 pic.twitter.com/vFB0kqeM07

2017-01-03 15:17:59
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京城軌道が目指した纛島(トゥクソム)の街。往時の姿を思い起こさせるような、懐かしくも賑やかな街。なるほど、鉄道を敷きたくなる訳です。こんな街を取り囲むように、軌道が敷かれていました。そしてこの市街地の先には、漢江の舟運拠点となる港がありました。 #京城軌道 pic.twitter.com/8GCIpyVBAk

2017-01-03 16:02:27
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聖水洞には、その昔、電車が走っていました。 ソウル東大門と漢江とを結んだ京城軌道、その痕跡が、まだ街に残っていました。この道は、漢江の河原にほど近い「遊園地駅」へとつづく線路の跡で、道路脇に工場が連なり道幅が僅かに広がるココは、東トゥクソム駅の跡かと。 #体力勝負のソウル日帰り pic.twitter.com/qcfSs4O1jV

2017-07-04 12:39:32
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トゥクソムは、聖水洞の旧地名。東トゥクソム駅から、終点方面へ歩いてみました。電車が営業していた当時、人々が水遊びに集った漢江の河原に遊園地を作り、京城市街からの誘客を図っていたそうな。 人が集い、モノが集まっていたトゥクソムの浜を想いながら、見る漢江。 #体力勝負のソウル日帰り pic.twitter.com/BrMZ7iFPO3

2017-07-04 12:47:25
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電車の線路跡、聖水洞のあちこちに、その面影を見ることができます。 線路跡は、ほぼそのまま道路として残り、ああ、ちょうどここが「町の裏手」だったんだろうな、と思わせる街並みが、残っています。西トゥクソム駅も、痕跡と思しき場所がありました。 #体力勝負のソウル日帰り pic.twitter.com/GG1tJ06YE0

2017-07-04 12:54:36
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纛島の街を行き来する、支線バス。軌道が今も生きていたら、こんな感じで市街地をすり抜けていたのだろうか… #京城軌道 pic.twitter.com/yZSRPKcaiD

2017-01-03 16:23:24
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#京城軌道 の線路跡、上後原駅からの支線は分岐直後こそ明確に軌道跡が残っていますが、その先は高層団地や新道の建設で痕跡そのものは残っていません。しかし新道は、まさに京城軌道の支線をトレースしたもので、ここを歩けば、往年の軌道の様子、そして、もし存続していたら…な妄想が膨らみます。 pic.twitter.com/lbU9MJk9DO

2017-01-03 17:29:20
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調べてみたら、旧華陽駅から旧九宣駅辺りまでは新道の脇にある路地のような道が旧線路跡のようです。また改めて、見に行かないと…

せき のりかず @kotonoha_s

#京城軌道 の線路跡、大きな新設道路に埋もれながらもルートとしてはきっちりトレースする形で終点の広壮里へ続きます。今は高層団地林立エリアになっていますが、開業当時は寒村だった様子。しかし漢江に架かる橋を渡った先には、大きな市場がありました。それを意識して敷設された支線でした。 pic.twitter.com/EZPdfGnYsw

2017-01-03 18:18:37
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せき のりかず @kotonoha_s

京城軌道、廃止へと至った理由は都市開発の支障となったから。 ソウル市は都心部を縦断する清渓川を覆蓋し道路に転用する計画を立て、1950年代後半から一部区間で着工していたが、京城軌道の都心側区間は清渓川に並行するルートなので重複、支障に。この際、市電と一緒に廃止してしまえ…と。 pic.twitter.com/XfPDoOliSu

2017-09-24 18:05:55
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