- USAGI_koTENGU
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サイバーパンクニンジャ活劇『ニンジャスレイヤー』二次創作集『ネオサイタマ・ネヴァーダイズ』より。
2017-01-18 13:02:54「ホワイル・ネオサイタマ・スリープス」#1 pic.twitter.com/i6sq3FPrm3
2017-01-18 13:04:39トコシマ地区、カミオンナ・ストリートの外れに建つマグチ・コーポ。九〇二号室の暖かい闇の中で、黒電話がリンと鳴った。皺だらけの手がすかさず受話器を掴み、遅れて覚醒した二つの瞳が闇に光った。「モシモシ、あたしだよ」嗄れた声が応じた。 2
2017-01-18 13:08:33『モシモシ、お母さん、僕です』受話器から男の声が流れた。『ごめん、今夜もザンギョだ』嗄れた声の主は、しばらく息子の声を聞いていたが、「そうかい、しっかりねェ」と言うなり、性急に通話を打ち切った。 3
2017-01-18 13:10:25パチリと音がして、老いて黄ばんだクリーム色の壁紙が、LEDの白い光を反射した。タタミ六枚ほどの部屋に、モナカ・ギンザは一人きりだった。彼女は伸び上がった姿勢で、天井のLEDボンボリ・ライトから下がった紐を握っていた。古びて傷だらけのチャブ・コタツにこぼれた涎がたまっていた。 4
2017-01-18 13:12:24モナカはひとつあくびをすると、「しょうがないよねェ、実際お仕事だもんねェ」つぶやきながらチャブ・コタツを離れ、よろよろと壁に向かう。右手を添わせ、壁づたいに廊下へ出た。廊下は左手が作り付けのキッチンになっている。モナカは壁から手を離し、よろよろとキッチンに立った。 5
2017-01-18 13:14:17縁に錆の浮いたシンクに渡したまな板の上には、一皿のバッテラ・スシ。モナカは皿を手にすると、元来た道をよろよろと戻った。LED光に照らされて、クロームインゴットめくスシは、オーガニック・バッテラ特有のプリズムを放っていた。モナカが今日のために、息子に用意させたご馳走だ。 6
2017-01-18 13:17:19今日、一月十八日が何の日か、みなさまはご存知であろう。オールド・オーボン。されば、それが日本人にとってどのような意味を持つか、みなさまはご存じだろうか。 7
2017-01-18 13:20:11オールド・オーボンはその名の通り旧きオーボンである。江戸時代の終わりとともに日本の暦は現在の太陽暦に変わり、オーボンも現在の日付に変わった。しかし、もともとは星辰が揃う霊的に特別な夜、具体的には年のはじめの最初の満月の夜に行われる、由緒正しいブディズム儀式であった。 8
2017-01-18 13:22:14「オーボン」という言葉は、古代のブディズム経典にある「ウランバナ」に由来し、古代ゾロアスター教においては「ウルヴァン」と呼ばれていたことが最新の研究で明らかになっている。これらの言葉が指す意味はすべて同じ……すなわち、「見えざる力」。 9
2017-01-18 13:24:18神話時代の人々は、目に見える世界の背後に重なるように存在する、不可視の世界を感知していた。プネウマ、精霊、ゼン・セと呼ばれたもの。人が思考を持った時に生まれ、言葉によって定義される超自然の世界。知と経験の集合、思考と意識のログ、歴史であり……人類の存在証明でもある。 10
2017-01-18 13:26:13電子ネットワークが世界を覆い、サイバネティクスとバイオテックの普及が生活レベルまで及んだ現代、人のありようは旧世紀とは異なる様相を呈する。しかし、人が人より生まれ、人の手で作り上げられた世界に生きる限り、人の系譜は不可視のログ……「見えざる力」としてあり続ける。 11
2017-01-18 13:28:24言葉を持つものたちの【魂】が、旧世紀の幻想詩人が歌ったように、明滅しながら存在すると言われる「仮定された有機交流電燈」。その魂のありか……アノヨが、星辰の並びによって現世と接近する日。人類の霊的存在証明が確認され、更新される夜。それがオールド・オーボンである。 12
2017-01-18 13:30:37……そのようなことを、もちろんモナカ・ギンザは意識していない。先祖が、祖父母が、親がやっていたから、自分もやるべきことと受け入れて、特に複雑なことを考えず、毎年行っているにすぎない。彼女が考え、決めたのは、「オーガニック・バッテラ・スシ」という今夜のメニューだけだ。 13
2017-01-18 13:32:17オールド・オーボンには、先にアノヨへ旅立った死者たちの好物を残された生者が用意するしきたりだ。そしてオーガニック・バッテラ・スシは亡夫チュリジ・ギンザの好物だった。だから、今年もそれを食べると決めた。 14
2017-01-18 13:34:13「うちはみんなバッテラ・スシが好きさ」モナカは独り言をつぶやきながら、ケモビール瓶とユノミ・グラスをオボン・トレイに載せた。この冬に入ってから自分でもおぼつかなくなったとわかる足取りで居間へと運ぶ。チャブ・コタツにオボンを置く時、二つのユノミが触れあい、カチリと鳴った。 15
2017-01-18 13:36:10「オットット……」モナカはビールを注いだユノミを手に、よろよろと壁際のタンスに向かう。そこにはバイオバンブー製のフォトスタンドが置かれていた。ほとんど泡しか入っていないユノミをフォトスタンドの前に置くと、チャブ・コタツへ戻り、同じようにしてバッテラ・スシの一切れを供えた。 16
2017-01-18 13:38:23フォトスタンドの中には、カレサンスイ・ストーンオブジェを思わせるスーツ姿の小柄な男と、キモノ姿の小柄な女が並んでいる。背後には武家屋敷めく建物。入り口に「男」「女」「仏」の三枚のPVCノレン。その上の瓦屋根には「ギンザ・イチバン・フロ」とショドーされたカンバンがある。 17
2017-01-18 13:40:16……モナカは過ぎ去った時間に向けて合掌し、もごもごとブディズム・モージョーを唱えた。唱え終わると、しばし写真に見入った。両目がわずかに潤んだ。 18
2017-01-18 13:42:18なにか具体的な光景が浮かんだわけではないし、想念が言葉の形をとったわけもない。モナカの擦り切れかけたニューロンは茫漠としていた。写真の中と、現実の彼女の間には、あまりに長い時の隔たりがあった。その隔たりが、老婆にかすかな感傷を呼び起こしただけであった。 19
2017-01-18 13:44:30モナカは音高く鼻をすすり込むと、よろよろとチャブ・コタツに戻った。両足をコタツ・フートンの中に正座させた時、ため息を一つ吐いたのは、ただ単に疲れたからだった。ぼんやりとケオスじみた感傷は、かえってその後のゼンめく静寂を際だたせた。「じゃあ、いただこうかねェ」 20
2017-01-18 13:46:12モナカはオーガニック・バッテラ・スシを頬張った。時間をかけて咀嚼し、飲み下してから、「なかなかじゃないか」と品評をつぶやいた。「でも、昔みんなで行った、デパートの方が美味しかったねェ」ユノミにケモビールを注ぎ、ちびちびと舐めた。 21
2017-01-18 13:48:29静かな時間が過ぎていった。……ザンギョで帰宅の遅れる息子のために二切れを残し、オーガニック・バッテラ・スシを平らげたモナカは、空のユノミを置くと、おもむろにリモコンを取り上げ、テレビのスイッチを入れた。 22
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