『危険な遊び』&『ミスト』 究極の選択―メロドラマとSFにおける構造的不条理―
3/13 「藝術の宗教学」研究会 映画部門(関東)第3回ワークショップ http://t.co/MPnjzAG ← 拙ブログ記事 『危険な遊び』&『ミスト』 今回はメジャー作品 そりゃ面白いでしょう!
2011-03-03 03:22:47『危険な遊び』がどれぐらい有名かは知らないけど、■■■■(伏せ字)のファミリー・メロドラマとしてはいまだ最高峰といえましょう マコーレ・カルキンとイライジャ・ウッド共演! マコーレはまだしも、イライジャ好きな方は 必見です☆
2011-03-03 03:24:52『ミスト』も『危険な遊び』もオチが大切な作品なので、お出での方は 何とぞ下調べをしないでいらしてくださいませ
2011-03-03 03:26:27『ミスト』のキーワードは「構造」だと思う 一昔前なら「運命」と云われたもの それで、ワークショップの副題を「メロドラマとSFにおける構造的不条理」、としたのです
2011-03-03 03:48:23《世俗》の特徴のひとつは、《運命》概念のリアリティが失われ、《構造》概念にとって代わられることなんじゃないか、って…
2011-03-03 03:54:54その仮定の論理的帰結のひとつは、例えば、恋愛映画(ラブロマンスの映画)が作りづらく、観賞しづらくなる、ということ 【問い】 さて、この仮定は真か偽か…?
2011-03-03 05:08:09以前から強調していることだけど… 「宗教と映画」という問題設定が僕にとってクルーシアルだと思われるのは、《世俗》を問題化できるからです 《宗教》の方を問題化していっても、かなり凡庸な議論しか展開できないんじゃないか、っていう見通しがあります (ここがなかなか伝わらない…)
2011-03-03 05:10:51@mittsko 硬直化する記号的構造と制度・社会を重ねて世俗と眺めるならば、そのような世俗の間にあって運命概念は何故、いかに今まで生き伸び、尚死に続けるのか、も面白い部分かなと思いました。「世俗」が自分の似姿を銀幕に写したい、そういう必然-運命が沸きだしているのかもしれません
2011-03-03 05:48:22@bbiizzeenn なんと的確なレス! かようにして、《世俗》理解が深まることが「宗教と映画」論には期待されるわけです(自画自賛) さて…運命概念(かなり情緒性と観念性がつよい。地域的偏差も大きそう)の長命具合にむしろ注目するというのは、鋭い視点かと
2011-03-03 07:06:20@mittsko 銀幕が冷たくなって構造が凝る(鶏卵前後でなしに共起・同期)ならば、それも一つの共時的運命なのかなという思いつきでありますw構造化による硬直化で映画の体温が落ちればその健康に気遣うのも我々の幽霊性と共存関係にあるからかもですね。トゥギャありですー
2011-03-03 07:28:08アラン・レネ『メロ』の位置づけはどうなりますかね。タイトルも芝居の撮影っていう設定も自己言及っぽいんですが。再起的メロドラマというか。QT @mittsko: 《運命》概念がメロドラマに必須で、いまや《運命》概念が《構造》概念にとって代わられつつあるとすれば、現代のメロドラマは
2011-03-03 06:03:04恋愛映画というジャンル設定が有意なのかどうか分からんが、"Love Story" という冠詞のないタイトルが『ある愛の詩』と訳される一方で、ロールズの A Theory of Jusice が『ある正義の理論』ではなく『正義論』と訳されたのは何故だろうと思ったことはある。
2011-03-03 06:20:59中二的な答案を書くとすれば、この国において恋愛は常に個人的な体験であるが、正義は個人的なものであってはならないから、という感じになるか。いや、個人化を不可避にしているのはむしろ story という語だろうか。story とtheory の対立?
2011-03-03 06:31:51悲劇というジャンルに運命が欠かせないというのはたぶん常識に属することだと思うのだけど、メロドラマにソフォクレス的な運命は不可欠だろうか。この辺りは、悲劇読みにきいてみたい。
2011-03-03 06:50:44@odg67 『メロ』未見です、というか 知りもしませんでした(面目ございません) むしろ、私から聞きなおしたいぐらいです 「位置づけ」られますか?
2011-03-03 07:03:57「愛による運命との和解」はヘーゲル『キリスト教の精神とその運命』でしたか。哲学屋にとっては、これが崩れないとヘーゲル哲学は始まらないということになるんでしょうが、これをひとつの到達点と考えたいひとも少なくないのではないかと。
2011-03-03 07:06:56おぉ!これは…! RT @odg67: 「愛による運命との和解」はヘーゲル『キリスト教の精神とその運命』でしたか。哲学屋にとっては、これが崩れないとヘーゲル哲学は始まらないということになるんでしょうが、これをひとつの到達点と考えたいひとも少なくないのではないかと。
2011-03-03 07:08:22@mittsko ぼくの感覚ではメロドラマというのは〈頽落した世人が、運命と真摯に向き合うことなく、偶発的な悲哀を弄ぶ〉ジャンルなのですが、レネの『メロ』は、強いていえばそれに「敢えて」を付けた感じの作品だったように思います。で、それは二十代初めのぼくには非常に退屈でした。
2011-03-03 07:14:55@odg67 なるほど、『メロ』評いただきました 一方、メロドラマについては、僕はもっとかなり肯定的にとらえます(印度映画、韓流ドラマ等々を念頭に) あそこにある引力を真正面から飲みこまないと、映画の根底にあるであろう《マグマ》に至れないではないか、と…
2011-03-03 07:21:23@mittsko しかし、『アンティゴネー』と『冬のソナタ』はやはり別物のような気もします。蜷川演出で観ると存外近かったりするのかもしれないという疑念はありますが……。
2011-03-03 07:28:24