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長寿アニメが落語や能狂言と同等の伝統芸能と化していく過程について

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生命情報保存研究所 @rodan670

サザエさんやドラえもんのように、数十年間のスパンにおいてほぼ毎週放送され続ける長寿アニメが日本には複数作品存在しているが、これらは序々に、落語や能狂言といった、伝統芸能に類する領域に入りつつある。

2017-01-25 07:28:28
生命情報保存研究所 @rodan670

落語はまだしも、能狂言は言葉遣いや、芝居における前提、シチュエーションからして現代の人間が慣れ親しんでいるものからはかけ離れており、それを真に楽しむためにはあらかじめある程度の知識を要求される。一般人にはとっつきにくく、いわゆるポップなカルチャーではない。

2017-01-25 07:31:19
生命情報保存研究所 @rodan670

人生を通じて、能や狂言をまともに鑑賞することなどはほぼないという人間のほうが多数派であると考えられる。しかし、能や狂言は絶えることなく演じられ続けているし、人々が「時代遅れだからそのようなものはもう廃せ」と批判することもない。

2017-01-25 07:36:37
生命情報保存研究所 @rodan670

むしろ、常日頃は鑑賞こそしないものの、心のうちではその長年にわたる伝統を有難がり、もしなんらかの事情で実際にこれらが廃止の危機に追い込まれかけるようなことがあれば、何とか阻止できないかと声をあげるものと考えられる。

2017-01-25 07:38:05
生命情報保存研究所 @rodan670

基本的に、新たに生まれた文化、娯楽の多くは、時が立つにつれさらにその後生じた文化、娯楽に押し流される形で忘却の彼方に消えていく。しかしいくつかの要素が積み重なって、ある程度のスパン消失せずに残り続けられた文化は、むしろある程度存在することが当然と認識されるようになり

2017-01-25 07:46:03
生命情報保存研究所 @rodan670

放っておいてもむしろ社会のほうが率先してその風化に歯止めをかけてくれる幸運な立場にシフトする。長年にわたって自らの傍らに存在し続けてきた文化は、その人間にとって自身が生きた歴史の一部と化しており、ゆえに人々はそこに時間的資産価値を感じるためである。

2017-01-25 07:50:14
生命情報保存研究所 @rodan670

長寿化の境地に達しえたアニメには二つの法則性がある。一つは基本的に一話完結型であること。もし作品が全話を通して共通した課題の解決や敵との戦いなどに費やされる形式のものであれば、いざその課題が解決されたり、敵が倒されてしまった場合に、作品はもう描くものがなくなってしまう。

2017-01-26 07:29:02
生命情報保存研究所 @rodan670

回を重ねることで作品内世界に明確な変化が生じることはなく、かりに生じかけたとしても次の回ではすぐリセットされている。一つの回が次の回に重大な影響を及ぼすことはなく、キャラクターは年をとることも成長することもなく、無限に同じ一年を繰り返し続ける。

2017-01-26 07:35:57
生命情報保存研究所 @rodan670

ドラえもんなどにおいてはたまにのび太が真人間になる兆しを見せたり、ジャイアンが善人化することはあっても(TVシリーズとは独立したものとして扱える劇場版でこの傾向は強まる)次の話では何の説明もなく双方とも問題を抱えたもとの姿に戻っている。

2017-01-26 07:39:29
生命情報保存研究所 @rodan670

回を重ねていくごとに、キャラクターも少しずつ精神的に成長していくという、他の作品では多く見られるストーリーが、長寿型アニメでは認められない。のび太が真人間になってしまえば、ドラえもんは未来に帰り最終回を余儀なくされる。のび太は前提としてダメ人間であり続けなければならない。

2017-01-26 07:41:51
生命情報保存研究所 @rodan670

ここでどの回の話を切り出し視聴しても、ほぼ同じに見える金太郎飴的な構図を用意することで、長寿型アニメは自らのストーリーが燃え尽きてしまうことを回避している。

2017-01-26 07:47:01
生命情報保存研究所 @rodan670

そしてこの、基本的に何か重大な事件が起こるわけでもなく、同じような世界観を同じような個性で生き続ける人々を描くという命題を満たす上では、「日常アニメ」の形式がもっとも理想的となる。「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」などといった代表的な長寿型アニメが

2017-01-26 07:48:14
生命情報保存研究所 @rodan670

そろって日常を描いたものであるのもそのためである。 あるアニメが長寿化するためのもう一つの要素は、テレビ局側がそのアニメのための枠を強力に確保し続けてくれるかどうかである。例えば、先にあげた「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」はともに日曜日の午後6時代に放送され続けている。

2017-01-26 07:51:23
生命情報保存研究所 @rodan670

とくに「サザエさん」の場合は、それを視聴するものが日曜日の終了を感じ取り鬱に陥る、「サザエさん症候群」なる心理状態まで生み出してしまっている。この場合、サザエさんはすでに固有の時間を有する「時報」と化している。

2017-01-26 07:58:03
生命情報保存研究所 @rodan670

となれば、もしサザエさんが終了してしまうようなことがあれば、視聴者は日曜日の午後6時半という時間を認識するすべを失い、心に埋められない穴を抱えることとなる。このことへの拒否感が潜在的な圧力と化して、サザエさんの長寿化をさらに下支えする。

2017-01-26 08:01:15
生命情報保存研究所 @rodan670

長寿化しているから長寿化するという正のスパイラルである。「ドラえもん」と「クレヨンしんちゃん」も、長らく金曜日の午後7時代という固有の時間を与えられている。翌日から土日で、子供にとっては楽しい時間帯である。

2017-01-26 08:05:12
生命情報保存研究所 @rodan670

ただし、「クレヨンしんちゃん」は一度この時間を奪われ、土曜日の7時代に流されたことがある。ただあくまで放送時間を変えられただけで、作品自体は毎週続いたので、長寿化しているかどうかについては問題はない。

2017-01-26 08:06:43
生命情報保存研究所 @rodan670

ここで、これまで「クレヨンしんちゃん」が保ってきた枠に割り込んできたのが「あたしんチ」というアニメ作品である。現代を生きる核家族を描いた日常系の作品であり、長寿化しうる要素を豊富に備えており、実際に2002年から2009年の7年にわたって放送され続けた。

2017-01-26 08:08:10
生命情報保存研究所 @rodan670

しかし結果的に「あたしんチ」は2009年をもって最終回を迎える(ただし、2015年に26話の二期が製作されている)この意味で、「あたしんチ」は長寿化アニメになりかけながら、最終的になりきることができなかった。

2017-01-26 08:11:35
生命情報保存研究所 @rodan670

そうなった理由については様々なことが考えられるが、一つには枠の問題があると考えられる。2002年にクレヨンしんちゃんの枠を奪取したあたしんチであったが、2004年にはこの金曜日の枠にクレヨンしんちゃんが再び復帰し、あたしんチは土曜日の午前などに追いやられることとなった。

2017-01-26 08:15:55
生命情報保存研究所 @rodan670

土曜の午前「など」というのは、そもそも金曜7時30分の枠をはなれたあとのあたしンちは、全国各地において放送日時がバラバラであったことによる。この意味であたしンちは、サザエさんやドラえもんが維持し、クレヨンしんちゃんが奪還したような固有の時間を持ち得なかった。

2017-01-26 08:28:37
生命情報保存研究所 @rodan670

つまり「時報」とはなれなかった。時報になれなければそれが終了した際、視聴していた側が受ける心理的打撃は抑えられ、最終回を止めようとする潜在的圧力も高くはなくなる。

2017-01-26 08:30:25
生命情報保存研究所 @rodan670

長寿化しているから長寿化するという正のスパイラルが機能し、他方地上波の枠が限定されている状況においては、必然的に新参者のほうが不利となる。クレヨンしんちゃんもあたしンちも、同じく現代を生きる核家族を描く日常アニメであり、若干かぶる部分があったが

2017-01-26 08:33:27
生命情報保存研究所 @rodan670

もしクレヨンしんちゃんという存在がなければ、代わりにあたしンちが長寿化できていたかもしれない。今日においては、新たなる長寿型アニメが生まれる余地は、過去より低減している。

2017-01-26 08:35:02
生命情報保存研究所 @rodan670

戦後すぐの時代の家族がモデルのサザエさんや、70年代の家族を取り扱ったちびまる子ちゃんなどと対比すると、クレヨンしんちゃんは現代の核家族に焦点を当てた作品であると解釈されてきた。しかしクレヨンしんちゃんもまた放送開始から25年を向かえ、

2017-01-27 07:52:11