美鈴と郭海皇

何回おなじ事つぶやいてんだと思いつつネタをまとめる。
0
銅折葉 @domioriha

この根拠っぽく思うのが、郭海皇が「本物の武」に出会ったのが野試合っぽくて(闘技場ではなさそう)で、大擂台賽とは関係なさそうなところ。海王の質も落ちたものだ的な事を言われてるけど、だったら100年前の大擂台賽に本物の武を備えた海王がごろごろ参加してたかというとそうでもないようだ。

2017-02-03 22:32:37
銅折葉 @domioriha

当時の海皇の称号は、全中国の最強武術家を決めるものとしてまではまだ機能しておらず、むしろ郭海皇が武の頂点として君臨していくに従って権威を保ち、形が出来上っていった制度ではないか(そして1990年代でもまだ十分には機能しきれていない)。

2017-02-03 22:36:14
銅折葉 @domioriha

というような状況を背景にして考慮するに、1898年ごろに舞台を置いて、美鈴は義和団の一派、未婚の下流層の女性で構成されていたという、黄蓮聖母(林鉄児)の紅灯照に属していたのではないか。名無しの妖怪なので紅の名字は便宜的に名乗っていたとか。

2017-02-03 22:39:37
銅折葉 @domioriha

当時の義和団の対外的プロパガンダとして、鍛えた中国武術は銃弾を跳ね返し空を飛び法力で自然発火を起こし建物を燃やすみたいなのがあったようだし、その実例として美鈴が使われていたというのはありそうなラインではないかという。

2017-02-03 22:41:03
銅折葉 @domioriha

当時、すでに最強の名をもちつつも武術を嘲笑うかのように腕力を誇った郭海皇は、勇次郎のようなオンリーワン、誰にも属さない腕力家のスタンスを貫いていたと想定される。勇次郎VS海皇は、力と力を捨てて手に入れた理合として、勇次郎と勇次郎であることをやめた勇次郎という構図。

2017-02-03 22:45:45
銅折葉 @domioriha

おそらく協調性なんか全然なかったであろう郭海皇に、時代の動乱を背景に義信に駆られていた当時の中国武術家たちからの要請を受けて、人間外の強さをもっていた美鈴がなんらかのアプローチを起こし、そこで郭海皇が言う「若年時代は人間以外とも幾度か立ち会ったが」の経緯となる勝負が発生した。

2017-02-03 22:47:13
銅折葉 @domioriha

で、この勝負で単純な力比べで郭海皇が敗北。これで「単純な腕力ならばアジア1」という、100年前なら誰にも力において負けなかったはずなのに「世界一」みたいな表現を避けている理由ではないか。(これが「中国一」なら中華思想的に同義だったかもしれない)

2017-02-03 22:49:21
銅折葉 @domioriha

美鈴との力比べでの挫折が、海皇にとって「本物の武」を探求する原動力になったというのは、少し苦しいが一応整合性は取れる。まあ、やっぱり構図として美しいのは力が武に負けるという、クロスオーバーを排除することなんだけどそれは本末転倒だし考えない。

2017-02-03 22:51:33
銅折葉 @domioriha

で、100年後の大擂台賽の直後くらいに勇次郎と戦った郭海皇が、もう一度美鈴と勝負するために彼女を呼びつけ、当時もう幻想郷で門番をやっていた彼女が呼ばれる。勇次郎戦で消力の問題点を克服した海皇に今度は美鈴が手も足も出ずに敗北して、以後彼女も武術の訓練を見よう見まねで始めるという。

2017-02-03 22:54:06
銅折葉 @domioriha

そんで、まあ、バキの劇中199X年から5年くらい過ぎたところで紅魔郷が起こるという流れでどうか。慧音先生の寺子屋もそうなんだけど、美鈴の武術鍛錬のキャリアってそんなに長くなくて、案外2017年現在で2,30年くらいなんじゃないかというやつ。

2017-02-03 22:56:02
銅折葉 @domioriha

美鈴の武術描写は、仮に100年も200年もずっと正しく武術をやってるとすると、むしろあの程度でいいのかなという気分になるところで(もちろん長くたっていいんだけど、進歩が全然ないという事もできそうで)。ちゃんと鍛錬始めてから意外と日が浅い説を推しておきたい。

2017-02-03 22:58:04
銅折葉 @domioriha

なんだかんだ言って、美鈴がきちんと武として鍛錬を始めてからの期間は妖夢なんかとそんなに変わらないのではないか。

2017-02-03 22:58:50
銅折葉 @domioriha

郭海皇の経歴について想像を巡らせていたが、 1.百年前の大擂台賽では回想のパワー形態で勝ち残り海皇となった 2.当時の大擂台賽には理合を極めた「本物」は不参加 3.烈の現代の「海王のレベルも落ちたもの」発言、ここ数十年の郭海皇と武術省のプロパガンダの結果の可能性

2017-12-05 20:18:53
銅折葉 @domioriha

あと、「武」対「力」の構図で描かれた勇次郎の試合のせいで誤解していたが、「その日から全ての鍛錬器具を捨てた」とか「キャリア140年」を鑑みるに、百年前も郭海皇は普通に武術としての技術は磨いていたのだな。パワーを生かす意味合いではあったろうが。

2017-12-05 20:20:40
銅折葉 @domioriha

そもそも本当に武術としての技巧がない時点でさすがに大擂台賽には出してもらえなかった可能性が高い。(オリバとかの例もあるけどあんな展開じゃなかったろう)あの敗北で力を生かす武術から、理合としての「武(技術)」の極致があればパワーなど不要という視点に開眼したのではないか。

2017-12-05 20:23:21
銅折葉 @domioriha

バキ劇中の大擂台賽がおそらく20世紀末か21世紀初頭で、そこから100年前というとちょうど清朝の末期の義和団事件他で、中国ではこれ以上ないくらい武術家が歴史に関与していた時期であり、秘技や奥義を極めた武術家は空を飛び銃弾すら跳ね返すといった力を喧伝して反抗勢力を増やしていた時代。

2017-12-05 20:27:59
銅折葉 @domioriha

中国武術がひろく歴史の表舞台の転換点にいた時代であり、同時にプロパガンダとして用いられていた時代でもあり、ゆえにこそ海王の名前はそこで重きを持っていたのではないか。同時に、武術で己を磨く求道の立場からはそういった政治的利用を疎ましく思われた可能性も高い。

2017-12-05 20:30:29
銅折葉 @domioriha

郭海皇の100年前の大擂台賽での勝利は、そのあたりが色々複雑に絡まっての結果なのではないか。 バキの世界には渋川先生のように理合でパワーを圧倒する存在が許容されており、100年前の中国にそういった本物がほとんどいなかったというのはちょっと考えにくいんだよなあ。

2017-12-05 20:32:27
銅折葉 @domioriha

そういった達人は大擂台賽や歴史の表舞台に出ようとするとみんな目の前に真の護身を達成した大扉とか崖が出現してしまっていたのかもしれない。

2017-12-05 20:33:18
銅折葉 @domioriha

郭海皇と勇次郎の戦いは「勇次郎であることをやめた勇次郎」と勇次郎の対決ではないかと思ったが、郭海皇をそう評するのは誤っていた。あの人は今も昔も生まれてからずっと武術を手放そうとすらしてない。100年前のスタンスも勇次郎とは異なる。

2017-12-05 20:37:32
銅折葉 @domioriha

ところで劇中郭海皇が武の極致として披露したの「オリジナル」以外の技術らしい技術、消力と擬死くらいなんですが後の克巳へのアドバイスを見るにマッハ突きとか(多分当初の克巳よりは高度なレベルで)はできそうですね。

2017-12-05 20:40:28
カキヤザクロ @z_kakiya

@domioriha 消力って 身体の超高効率運用の究極点という形になるので、コツなどというものがあるとすればありとあらゆる格闘技術に応用が利きますからな

2017-12-05 20:49:25
カキヤザクロ @z_kakiya

@domioriha (めっちゃよくする話なんですが)よく、「力むな」っていうじゃないですか 力を散漫にとにかく出そうとすると、例えば押したい時に、押そうとするための筋肉と引こうとするための筋肉がかなり引っ張り合ってしまうんですね。 本来は意識でそこまで精密に筋肉は運用できない

2017-12-05 20:52:48
カキヤザクロ @z_kakiya

@domioriha もし押したい時に押すための筋肉を100%動かして、引くための筋肉をゼロにできたら、これはもうむちゃくちゃ効率が出るわけですね(^q^) 格闘技術ってこの点をかなり大事にするんです

2017-12-05 20:53:58
カキヤザクロ @z_kakiya

@domioriha そこの究極のコツを曰く「消力」なのではないかと思う訳です(^q^)

2017-12-05 20:54:30